2011年5月15日日曜日

トロッタ13通信(30/5月15日分)

(其の五十一)
■ 山本和智
 第七回に『齟齬』を出品した。齟齬をテーマに四行詩を書いてほしい、というのが山本の希望であった。詩人(私とは限るまい)が書く言葉を、作曲家が拡張ないし増幅しなければおもしろくないと、第六回を聴いて考えたという。『齟齬』の楽器編成も、弦楽四重奏とJAZZアンサンブルで、トロッタでは初めて、PAを通した演奏をお聴きいただくことになった。生の音と増幅された音。これ自体が“齟齬”といえたかもしれない。さらにJAZZ奏者らが、女優と一緒に演技を伴って登場したこと自体、初めてのことであった(もっともこの回は、清道洋一の『ナホトカ音楽院』があって、この曲にも清道特有の演劇的演技があり、花いけの上野雄次がトロッタに初出演して花いけを見せ、語りの要素が濃いファブリツィーオ・フェスタの『神羽殺人事件』が初演されて、これまでになく、“増幅”ないし“拡張”的な曲が多かった)。
 その後、山本には、谷中ボッサの「声と音の会」に曲を出してもらえないかと打診してスケジュールが合わず、またトロッタにもいつでも曲を出してほしいといっているが、これも実現していない。山本は、私が上野雄次と行なった『花魂-HANADAMA-』にも、ソロライヴと銘打って行なった『隠岐のバラッド』にも足を運んでくれた。山本のために、私は詩を書きたいと思っている。出会った当初の彼がいった四行詩の形で、例えばこのようなものを書いてみたが、どうだろうか−−。

(其の五十二)

齟齬の町

木部与巴仁

何かが少し違う町
見慣れているのに見慣れていない
何かが少し狂った町
覚えているのに覚えていない

節電のためしばらくの間
当店は午前九時開店と致します
貼紙が風に舞うコインランドリー
当店が無理なら別の店に行きますよ

洗濯駕篭を提げて歩く町
初めてじゃないだろう
初めてに見えるのだが
洗濯駕篭が恥ずかしい

朝の光が塀を照らす
朝の光が道を照らす
ここはどこの町?
ここはどこにある町?

私は知らない町を歩いていた
私は見たことのない町を歩いていた
こんな近所にこんな町が?
私は歩いたことのない町をさまよっていた

ぬけだせるのか? どうやって
洗濯をしなければ
ぬけだせない どうやっても
洗濯をするまでは

携帯電話が鳴っている
「もしもし私」「ああ、おれだよ」
「もしもし、いまどこにいるの?」「ああ、おれにもわからないんだよ」
「もしもし私よ」「おれだったらおれだよ」

すぐかっとする女なのだ
ばかにしないでと叫ぶなり切ってしまった
すぐかっとするのだおれも
ばかにしないでと聞く前に切ってしまった

朝の光が翳りを帯びて
朝の光が力をなくして
見知らぬ町に落ちている
見知らぬ町に降っている

知らない町を歩いていた
見たことのない町を歩いていた
もう二時間が経つ
歩いたことのない町をさまよい続けた



 山本和智は、アウトサイダー・アーティストのフリードリヒ・シュレーダー・ゾンネンシュターンを敬愛しているという。ゾンネンシュターンの絵は、日本ではシュルレアリストたちの評価を得たようだ。しかし、画家本人にとっては、彼が描く世界は超現実ではなく、現実だったのではないか。
 山本和智は、やはりアウトサイダー・アートのヘンリー・ダーガー(2011年5月15日まで、ラ・フォーレ原宿で作品展が行なわれていた。私は行けなかったが、山本は先月、すでに足を運んでいる)の作品を評して、“生きるための絵”とも、“描かねば生きることができなかった画家の絵”ともいった。心に刻みこんでおきたい言葉だ。

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