2011年5月6日金曜日

トロッタ13通信(21/5月6日分)

(其の三十一)
 第十二回から、アンコール曲として『たびだち』を演奏することにした。作曲は、宮﨑文香。それまでに六回演奏された『めぐりあい』に続き、美しいメロディを創ってくれた。今回は『たびだち』の二度目で、詩は『北の町』を用いる。詩は、次に掲げるとおり、はっきりと、東日本大震災を念頭に書いた。
 挨拶文にも書いたことだが、3月11日の地震、津波、原発被害で、世間は大きく変わった。考え方が根底から覆った人もいるだろう。しかし私の考えは、それ以前から、少しずつでも世界は変わっていたのだということ。強くありたい。強くなければ、トロッタは続けられない。何もないところからトロッタを始めたのである。今も同じだ。いつでもゼロであり、そこから作り始める。
 3月11日の直後、さすがに愕然として数日を過ごした。これではいけないと、ある原稿を書き始めた。それはトロッタと同じで、他人にいわれて書くものではない。私自身の意志で書こうとし、一冊分は書いたが本にならずにある、同じテーマの別原稿だ。書き手は、書くことで、生きる。演奏家は、演奏することで、生きるだろう。作曲家は、作曲することで生きる。誰もがそうして生きている。地震の直後、大停電なども噂され、トロッタは開催できるかと不安だった。事実、多くの演奏会が中止になっている。そんな馬鹿な、と正直に思った。生きる場が失われるではないか。私の書く仕事も、大幅に減った。現実に、生きるための手段がなくなってゆく。(電車に乗って、車内広告がほとんどなくなっているのを見て、ぞっとした。企業が広告を出さないということは、私が書く、広告関係の原稿仕事もなくなるということなのだ)
 そうした現実に、何としても立ち向わなければならない。その思いで書いたのが、「たびだち・北の町」だった。地震から一か月が経とうとする、4月8日に書いている。

(其の三十二)
たびだち・北の町(歌唱版)

星が見たもの
それは人
遠い町で
泣いてた
星が見たもの
それは人
遠い町で
泣いていた

消えた町
流れた町
何もかもなくした
思い出も

声もない
悲しみに
眠れない
とき過ごす
面影を追いながら

星が見たもの
それは人
時が経ち時が過ぎ
耳をすませて
星は聴く
歌ってる小さな声で
取り戻す歌声と
微笑みと優しさと
声を合わせて歌う時
灯はともる
北の町に

 ここに掲げたのは、歌唱版とあるとおり、編作をした田中修一によって、歌うために改められた詩である。お客様と、思いをこめて歌いたい。第十三回を収めるために。第十四回に続くために。
 宮﨑文香は、『たびだち』ではない別の曲を、出品予定であった。私の詩はいくつか渡してあり、彼女もそれを受け取り、編成を考えるなどして、作曲を励みにしていた。しかし、いろいろな理由で無理となった。作曲家は、作曲することで生きる。宮﨑には、尺八奏者としての顔がある。知り合った当初は長崎にいたが、今は東京にいて、音楽の道を生きている。第十四回には、新曲を出品したいという。私も聴きたい。。

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