(其の二十九)
今井重幸(まんじ敏幸)は、2011年4月発行の文芸誌「伽羅」第3号に詩を掲載するにあたり、大幅な加筆を行なった。ここに掲げたのは、加筆後の改訂版である。演奏時の詩は異なる可能性があることをお断りする。
単に書き加えたというよりも、音楽とともに詠まれ、歌われる詩と、音楽なしに詠まれる詩に違いがあるのは当然だと思う。再び田中修一に登場してもらうが、彼は私の詩を使い、悪くいうのではなく、詩の形がなくなるほどに変えて、歌にしてくれた。古代中国にある、詩の一部を任意に選んで歌う、断章賦詩という手法を採った。詩人は、最初の一文字から最後の一文字まで、必要だと思うから書いている。しかし詠み手は、詩人ではないから、自分の好きな箇所だけ選んでいいわけだ。小説の拾い読みなど、誰でもすることである。作品として味わうなら最初から読まなければならないわけだが、気になるところ、気に入ったところ、それを読み返したいというのは当然の気持ちだ。断章賦詩もそれだと思えばいい(もちろん作品として発表するなら、詩のすべてを、と詩人は思うだろう。ここで持ち出されるのが、詩のままである詩と、音楽になった詩は違うという考えである)。
今井重幸も、詩としての『草迷宮』に、“詩的断章”という言葉を添えてある。小説の『草迷宮』から採ったのは、「通りゃんせ」の詩だけだという。他は自由に書いた。今井なりの“断章賦詩”だといえるだろうか。
(其の三十)
これを書くなら、他の作曲家についても書かなければならないだろうが、まず今井重幸について書くことを、バランスを失するのだが、お許しいただきたい。特にトロッタが近づくと、今井重幸の家に通うことが多くなる。それは楽譜の受け取りや、編成の打ち合わせなどの用があるわけだが、そうしたことが必要だとしても、遠いと通うのは無理である。しかし、私と今井は、最寄りの駅が隣同士だ。阿佐ヶ谷と荻窪である。電話をかけてから電車に乗り、バスを乗り継いで行ったとしても、30分とかからない。思い切れば、歩いて行くこともできる。
今井に、トロッタへの参加を依頼したことも、ひとつには近所同士で、阿佐ヶ谷の駅でしばしばすれ違うことがあり、その記憶が強かったので、ぜひにと思ったことが理由だ。
また遠い記憶としては、2007年3月4日に「伊福部昭音楽祭」がサントリーホールで開かれた時、終演後のパーティで、酒井健吉が今井重幸と話をした。その折りに今井自ら、もし自分の曲を演奏するならこういう曲があるがという言葉をもらったと聞いた(伝聞なので間違っていたらお許し願いたい)。今井重幸は、前の月の2月25日に行なわれた第一回「トロッタの会」に足を運んでくれた。その上で、酒井にそのような話をしてくれたのだ。重ねて、細かなニュアンスはわからないと断りながら、たいへん勇気づけられたことを、ここに書いておきたい。
今井重幸は伊福部昭の弟子である。しかし伊福部の生前は、親しく話をする機会も得なかった。伊福部の死後、それもトロッタを始めてから、共に会を開くようになり、出品される曲について検討をし、今井の曲に詩唱者として出演し、第十三回では、今井の編曲によるガルシア・ロルカの歌を歌う事にもなった。こうしたことを、ゆっくり振り返る機会もないまま、常に、一種の現場意識で共同作業をしている。得難い縁だと思っている(それはトロッタの作曲家、演奏家全員に思うことで、ただ一度しか参加しなかった人々にも、同じことを感じている。素直に、感謝していると書きたい)。
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