2010年2月6日土曜日

「トロッタ通信 11-28」

「トロッタ通信 11-27」(2月6日分)


田中修一さんが、『亂譜』の続篇をと希望をお述べになり、こうして『亂譜 瓦礫の王』を書き、さらに2010年の1月になって『ムーヴメントNo.2』の楽譜が届いてみますと、彼を見る目に、変化が生まれました。こういうと申し訳ないのですが、見直した気になりました。前がよくなくて、その後よくなった、というのではありません。善悪、優劣ではなく、彼に対する見方を改めた、ということです。ひとつの世界を追求していく行き方が、田中さんにあるのだなと思いました。

『亂譜』をシリーズにするとして、では何を書きたいか、私にわかっているわけではありません。さらに第三部をという声を、田中さんからいただいています。安部公房の『第四間氷期』にある、「ブルー・プリント」に通じる世界で、というのです。え? 安部公房。おまけに『第四間氷期』?

このまま『亂譜』が続いていけば、それをテーマにしたリサイタルが開けそうです。しかし、私にとっての『亂譜』が何かは、まだわからないというのが実情です。他の詩も同じで、書き始めてから、書き終えてから、何を書きたかったか、何を書けるのかがわかります。

ただ、二部にボルヘスのような世界をといい、三部に安部公房のような世界をと、田中さんはいいます。二人の作家を、私は好きです。田中さんと、小説家の好みが合っているということが、驚きでした。別に示し合わせたわけではありません。偶然です。

それは、乾いた世界なのでしょうか? 荒廃した世界なのでしょうか? 情緒に溺れない世界なのでしょうか? 抽象的、観念的な世界なのでしょうか? 少なくとも、男女間の情念を描くようなものではありません。私は、そちらも好きなのですが、溺れるタイプではないと思いますので、田中さんとはそのあたりで共通しているのかもしれません。(27回/2.6分 2.8アップ)



「トロッタ通信 11-28」(2月7日分)


演奏前に、あまり手の内をさらすのはよくないと思いますが。

ソプラノの赤羽佐東子さんによる歌は、曲の全体にわたっています。詩唱は、最後に少しだけ出ます。

こうなると、歌と詩唱の違いということが、私としては気になってきます。田中さんにとっての詩唱とは、何なのか?

トロッタで田中さんが発表した、声を使った曲を並べます。


トロッタ1 『立つ鳥は』ソプラノ*木部の詩による 西川直美さんが歌いました

トロッタ3 『ムーヴメント』ソプラノ*木部の詩による 成富智佳子さんが歌いました

トロッタ4 『こころ』ソプラノ*萩原朔太郎の詩による 成富智佳子さんが歌いました

トロッタ5 『遺傳』バリトン*萩原朔太郎の詩による 木部が歌いました

『立つ鳥は』ソプラノ*木部の詩による 赤羽佐東子さんが歌いました

トロッタ6 『「大公は死んだ」附 ルネサンス・リュートの為の「鳳舞」』詩唱*木部に詩による

『田中未知による歌曲』アルト*田中未知の短詠による かのうよしこさんが歌いました

トロッタ7 『こころ』ソプラノ*萩原朔太郎の詩による 笠原千恵美さんが歌いました

トロッタ8 『砂の町』ソプラノ*木部の詩による 赤羽佐東子さんが歌いました

トロッタ9 『ムーヴメント』ソプラノ*木部の詩による 赤羽佐東子さんが歌いました

トロッタ10『雨の午後/蜚』ソプラノとバリトン*木部の詩による 赤羽佐東子さんと木部が歌いました

『めぐりあい~陽だまり~』合唱*木部の詩による 宮文香さんの曲を編曲


ここには器楽曲をあげていませんが、こう見て行きますと、田中さんもかなり、トロッタで歌を発表していることがわかります。このこと自体、田中さんの、ひとつの方向を追求しようという姿勢の表れでしょう。もちろん、トロッタに第一回から参加し続けること自体がそうです。今さら、田中さんへの認識を改めるというのも、おかしな話なのでした。誠に失礼しました。(28回/2.7分 2.8アップ)


「11へ」;46

10時、西荻窪の奇聞屋にて、レッスン中の笠原千恵美さんに、チラシとチケットを渡す。

13時、慶応病院に入院中の石井康史さんをお見舞い。打楽器の内藤修央さん、ヴィオラの仁科拓也さんと落ち合って、打ち合わせ。
仁科さんに、池袋の古書往来堂とミッテンヴァルトに、チラシを持っていってもらう。

チラシを関係者に発送する。今夜の速達には間に合わなかったが、明後日には到着する手はず。

2010年2月5日金曜日

「トロッタ通信 11-26」

「トロッタ通信 11-24」


トロッタ11で『ムーヴメントNo.2~木部与巴仁「亂譜 瓦礫の王」に依る』を発表する田中修一氏に、新しい詩を依頼されたのは、トロッタ9の打ち上げの席でした。“『亂譜』の2をお願いします”というのです。その時はまだ番号がついていませんでしたが、トロッタ9では、『亂譜』という詩に依る、『ムーヴメント』の第一番を演奏しました。編成は、ソプラノ、打楽器、ピアノ、エレクトーン。もともと一番は、トロッタ3で初演されたもので、ソプラと2台ピアノによる曲でした。それを、エレクトーンを入れた形に変えたのです。

『ムーヴメント』について、しばしば田中氏は、2台ピアノによるくらいの曲でなければ作曲したと見なさないと私がいったといいます。トロッタ1で初演しました、『立つ鳥は』の、合わせの後。西日暮里の居酒屋でのことです。

確かにそういいました。力わざ、あるいはスケール感を欲していたのです。2台ピアノにしたから力わざになり、スケール感が出るかというと、多くの方には疑問を抱かれると思います。しかし私は、そのようなことが好きです。逆に、田中氏から、詩で、2台ピアノに匹敵するようなものを書いてくれといわれたら、引き受けるでしょう。私の感覚では、詩を一人で詠んでもスケール感を出さなければいけない、二人で詠むからスケールが生まれるかというとわかりませんが、あえて重唱にしてみる、斉唱にしたり合唱にするという詩作を厭いません。仮にです、ばかばかしいことをわざわざしていると思われても、私はかまわないのです。時には、ばかばかしいことでも、したくなるし、ばかばかしい中に一片の真実でも入れられればと願います。そして、2台ピアノによる『ムーヴメント』をばかばかしいことだとは、私は思っていません。

トロッタ9の『ムーヴメント』は、おおむね好評だったと思います。女性たちだけによる力強い演奏に、感銘を受けたという声を、多く聴きました。ありがたいことだと思いました。(24回/2.3分 2.6アップ)



「トロッタ通信 11-25」


『亂譜』の続篇として、何を書けばいいのか。田中修一さんからは、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの『ブロディーの報告書』のような世界をお願いしますといわれていました。私もボルヘスが好きです。『ブロディーの報告書』も読んでいたはずですが、記憶はありません。本は、すでに売ってしまっていました。改めて購入し、読みましたが、スコットランド人宣教師が異文化の風習を記録したスタイルの、ちょっとグロテスクな話です。観念の迷宮性を描いたのではなく、もっとストレートです。ボルヘスの狙いは、そこにこそ、あったと思われます。

一方で、トロッタ9を終えた後、私はある方から感想をいただきました。おそらく、それがトロッタ9全体への感想だと思うのですが、能の『姨捨(おばすて)』を観に行ったという話をされました。山に捨てられた盲目の老婆が、澄明な心で、月の光を浴びながら踊ります。

暴力とかエロスとか、そういう刺激的なものは、誰もが気をひかれて見るだろう。しかし、そんな表面的なものではない、非常に静かな世界。そういうものにある美しさを表現していかなければという批評だと、私は聞いていました。賛成です。暴力やエロスにも人間の本質はあると思います。暴力は嫌いですが、特にエロスにはひかれます。しかし、そのようなことを描くにしても、あくまでもテーマに至るための過程でありたいと思います。そして、最後には澄み切った美しさに到達する。2台ピアノの力強さやスケール感も、美しさに至るためのものでありたいと、今は思います。

お断りしておきますと、その方の感想は、『ムーヴメント』に対するものではありません。別の曲の、別の出演者への言葉です。しかし、繰り返しますが、トロッタ全体への感想だと、私は受け取りました。

田中修一さんのための新しい詩、『亂譜』の続篇は、その方の言葉を受けて書けると確信しました。頭に浮かんだタイトルは、『瓦礫の王』でした。(25回/2.4分 2.6アップ)



「トロッタ通信 11-26」


『瓦礫の王』とは、私が学生時代から大切にしまっておいた題名です。歌舞伎作者、鶴屋南北について、題名どおりのテーマで書こうと思っていました。彼は、すべての常識、既成の価値を崩してしまった後、瓦礫の山に、見たこともない光景を現出させる者だというわけです。

容易には書けません。大き過ぎる題名でもありました。ずっと書けずにいて、書けないうちに、原稿を書いたり芝居をしたりヴィデオ作品を創ったりと、いろいろなことを始めていました。しかし好きな題名で、自画自賛ではありませんが、スケール感が感じられるので、いずれ使いたいと思っていたところに、田中修一さんの話があり、『姨捨』の話を聞いて、これを作品名にした詩を書こう、書けると確信したのでした。『ブロディーの報告書』からはずれますが、しかし小説には、スコットランド人宣教師が見た、異文化の奇怪な王の姿が描かれてもいるので、“瓦礫の王”という題名と無縁でないとも思ったのです。

以下に、詩の全文を掲げます。



瓦礫の王


瓦礫なり

天まで続く 瓦礫なり

眼(まなこ)を奪う

満月

人はなく

銀(しろがね)の光

瓦礫を照らす


舞えよ

月下に われひとり

歌えや

月下に 声をふるわせて

見る者はなし

聴く者はなし


夜は深し

どこまでも深し

落ちゆく先は 底なしの闇

風の音のみ聞いたという

死者の繰り言


舞い続け

舞い続けて月に向く

立ち木として死ね

心に残す

何ものもなし

明日(あした)に残す

一言もなし

瓦礫の王が

ただひとり舞う

(26回/2.5分 2.6アップ)

「11へ」;45

「11へ」;44(2月4日分)
トロッタ11のチラシが3000枚届きました。これを少しでも効率よく配らなければなりません。

橘川琢さんから、昨年12月7日(月)に初演しました、『冬の鳥』のライヴ録音CDが送られてきました。やはり昨年8月2日(日)に行いました、『花の記憶』のCDも同封されていました。ありがとうございます。

仕事の原稿を書いた後、用があって外出しました。明日が締切ですと連絡をもらい、まったく手をつけていない原稿があったことに気づきました。明日までにできるでしょうか。チラシを配らなければならないなど、することが山積しているのに、という思い。しかし、仕事をしなければトロッタも開けないという思いが錯綜します。

仕事に一区切りをつけ、22時ぎりぎりになって、座・高円寺に、トロッタ11のチラシを置きに行きました。
23時45分ごろ、橘川氏に阿佐ヶ谷駅改札まで来てもらい、チラシを渡しました。

「11へ」;45(2月5日分)
9時からギターのレッスンです。言い訳になりませんが、トロッタの準備その他で忙しく、まったく練習できていないので、お話しにならないできです。申し訳ありません。
長谷部二郎先生に、ギタリスト萩野谷英成さんの分と合わせて、チラシとチケットをお渡ししました。
その後、今井重幸先生宅にうかがい、チラシとチケットをお渡ししました。
帰宅後、弁当を食べただけで、2時過ぎに待ち合わせしている根岸一郎さんに会いに、新宿へ。チラシとチケットをお渡しました。その後、根岸さんとタワーレコードに行き、チラシを置かせてもらいました。
そのまま新宿で仕事をし、原稿を送りました。
16時、森川あづささんに、チラシとチケットを渡しました。
渋谷に行き、フライングブックスと、渋谷のタワーレコードに、チラシを置かせてもらいました。
18時過ぎ、徳田絵里子さんにチラシとチケットを渡しました。
その後、吉祥寺の古書店、百年と、西荻窪の古書店、音羽館に、チラシを置かせてもらいました。

9時前からずっと外出していた感じで、まったく落ち着かない一日でした。

2010年2月3日水曜日

「11へ」;43

朝は9時からギター、11時半から歌のレッスンでした。
ギターから帰ると、トロッタ11のチケットが届いていました。

座・高円寺に行き、チラシを置いているカウンターが、何月までの契約になっているか確認しました。契約が切れていたら、チラシが置けません。幸い、4月まではお金を先払いしていました。ひと月200円です。7月まで、延長しました。
このカウンターを、もう少し有効活用したいものです。トロッタや催物がなくても、何か置きたいものです。そのつもりだったのですが、なかなか手が回りません。

twitterを宣伝い役立てようと思い、久しぶりで更新しました。torottaというユーザー名です。つぶやきといっても、何をつぶやいていいか難しいのですが。

2010年2月2日火曜日

「トロッタ通信 11-23」

「トロッタ通信 11-20」


『うつろい』は、とてもわかりやすい詩です。

物語を書くのか、心の風景を書くのか。私の詩はふたつに大別され、物語の方に比重があると思います。『うつろい』は、幻想的な詩なので、物語と心象風景と、いずれの要素もあるのではないでしょうか。詩の先生なら、違うことをいうと思いますが。

トロッタは、“詩と音楽を歌い、奏でる”会です。詩と音楽の関係については、様々な考えがあると思います。考えの中身はさておき、『うつろい』をめぐる詩と音楽の関係について、見てみましょう。

詩は、「古ぼけた柱時計が 満開の桜の枝に掛かっていたらおもしろい/カウンターの向こうから 浜辺の歓声が聞こえてきたらおもしろい」という言葉で始まります。喫茶店の椅子に座る人物が、このようになったらおもしろいという、四季折々の幻想を風景として見ています。

しかし音楽としての『うつろい』は、回想から始まります。詩のいちばん最後の連、「今はない 街角の喫茶店/いつの間にか 消えていた/ぼくは今も この町にいる/でも あの人は いない/うつろう季節に連れられて/どこかへ行ってしまった」を曲の始めに持ってきて、詩唱者に詠ませました。その後に、詩の始まりである四季の幻想を、やはり詩唱者に詠ませました。譜面には、こんな指示があります。

「鮮やかに思い出がよみがえるように」「軽やかに、しかしさびしげに」「少し、かげりをもって」「思い出をいつくしむように」。そして[春]の歌が始まると「思い出の場面に、歌が重なるように。自分の深く、なつかしく、さびしい思い出に語りかけるように」

『うつろい』は過去に寄り添おうとする詩ですが、橘川さんの手によって、懐古性が強まりました。私は、言葉を持って、最後に懐古の気持ちを強調しました。橘川さんは、言葉を前に移動させ、同じ言葉「今はない 街角の喫茶店/いつの間にか 消えていた」以下を、最後は歌手に歌わせることで、より強調してみせたのです。(20回/1.30分 2.2アップ)



「トロッタ通信 11-21」


以下は、橘川さんに取材などせずに書くことです。橘川さんには、まったく別の考えがあるはずです。

橘川さんとした初めての共同作業は、『時の岬・雨のぬくもり』でした。私の詩「夜」が『時の岬』となり、橘川さんの詩「幻灯機」が『雨のぬくもり』となり、初めての「詩歌曲」が生まれたのです。「詩歌曲」という言葉自体に、トロッタのテーマである“詩と音楽”が入っています。また橘川さんは、曲だけでなく、詩も書きました。2009年3月22日(日)に行われた第3回個展「花の嵐」のプログラムに、詩「幻灯機」の意味が書かれています。

「先の『夜』の詩中、『どこへ向かおうとしているのか』を受けて創られた。言うなら木部さんへの私なりの返歌である。『夜』が厳しく心が凍えるような世界であるのに対し、『幻灯機』はその世界を歩く人の心を描きたいと思ったのだ」

橘川さんは、「詩歌曲」という音楽のスタイルを掲げ、さらに詩を書き、もちろん音楽も書くことで、トロッタの世界をまるごと引き受け、体現してみせようとしたのではないでしょうか。『時の岬・雨のぬくもり』以降、彼の詩は表現されていません。詩作は、すべて私にまかせ、自分は作曲に専念しようとしていると思われます。

いや、実のところ、トロッタ9で『1997年 秋からの呼び声』が初演される予定で、これはすべて橘川さんの詩による曲だったのですが、残念ながら事情があり、演奏はされないまま別の曲に差し替えられました。

もしかすると、私は意識して、橘川さんへの“返歌”を書くべきかもしれません。前だけを見ず、時には橘川さんという存在を顧みて、彼の音楽を心で思い返しながら、彼のための詩をと思って、新作を書いていいかもしれません。それが、いずれ開かれるだろう、第四回個展で初演されればと思います。(21回/1.31分 2.2アップ)



「トロッタ通信 11-22」


感情のほとばしりを感じます。ほとばしりが、音楽になるのだなと思います。

「今はない 街角の喫茶店/いつの間にか 消えていた」以下、曲の始めでは、詩唱で表現されました。その同じ言葉が、感情のほとばしりを得て、「今はない 街角の喫茶店/いつの間にか 消えていた」以下の歌になりました。

言葉に感情が伴うと、メロディが生まれ、リズムが生まれるという推測。その通りのことを、橘川さんの曲は実践しています。だからこそ、彼の音楽は、トロッタのあり方そのもの、典型だと思いました。他の方の曲がそうではないということではありません。他の方は他の方なりに、トロッタの可能性を実践しています。ただ、橘川さんは、初めに詩を書いて来ました。それが興味深いことと、私は記憶するわけです。“返歌”だといった点に、橘川さんの生真面目さ、創作意欲を感じます。

それならば、音楽になった詩を、もう一度、私の手で詩に戻すことも、興味深いと思われます。彼と共同作業をしていれば、詩が生まれて音楽になって、また詩が生まれて音楽になるという繰り返しです。結果的に、音楽の次に詩を書いているのですが、そのことの意味を意識し、方法として行ってはどうかと思うのです。

まだ、抽象的な話です。音楽を詩に戻すといっても、すぐにはできません。どうすればいいかもわかりません。それを、考えるわけです。『時の岬・雨のぬくもり』の先にある世界を、今度は音楽への返歌として書いてもいいでしょう。『うつろい』のその後を、続篇として書いてもいいでしょう。先に音楽があって、それに詩をつけることも、本来はあまり好きな方法ではないのですが、納得のゆく形にして行ってもいいかのでしょう。他にも、いろいろな形が考えられるはずです。彼は、模索しています。共同作業者の一方にだけ模索させて、私という他方は、あいもかわらず詩を書くだけでは怠慢というものです。トロッタにおける詩人は、従来の方法論に安住してはいません。(22回/2.1分 2.2アップ)



「トロッタ通信 11-23」


先に、中川博正さんと、詩唱を追究していきたいと書きました。その形が少しでも見えれば、橘川さんに取り入れてもらい、新曲の演奏形態としていいでしょう。例えば、こんな楽器があるから、それを生かして作曲しませんかと働きかけるのです。

折しも、今日、中川さんと、トロッタ11で試演する詩が決まりました。私の、『夜が来て去ってゆく』です。デュオらしく、ひとりではできない形を試みますが、例えばそれを、橘川さんの新曲に取り入れてもらうということです。

このようなことは、橘川さんにとどまりません。他の作曲家との作業も同様です。

詩も音楽も、完成形にしがみつかないこと。もちろん、詩作も作曲も、完成させるために行うのですが、できたからといって安心しません。一回の演奏で満足したくないのです。何度でも演奏を重ね、そのたびに模索をしたいと思います。よりよい変化なら、私は積極的に受け入れます。編曲だとも思いません。一回一回、創作であるべきです。

『うつろい』にせよ、演奏するたびに、演奏者の変化がありました。一度はオーボエを入れたヴァージョンをつくりました。トロッタ11では、オーボエはなく、上野雄次さんによる花いけが入り、『うつろい 花の姿』というタイトルになります。生きた人がしている音楽なのですから、ひとつの形にこだわる必要はありません。

だからこそ、私は橘川さんとの共同作業に、新しいスタイルを持ちこみたいのです。『うつろい』は、以前と同じ譜面を使って演奏するのですが、少しでも前と違う新しさを、『うつろい 花の姿』として、お聴かせできないものでしょうか。(23回/2.2分 2.3アップ)

「11へ」;42

「11へ」;41
2月最初の日だというのに、書き込みができませんでした。
雪が降り、昼間から寒い一日でした。
関係者に、本番までの日程を出していただくよう、お願いしています。

かねて知り合いの作曲家から、トロッタに参加したい、歌を書きたいので、詩を送ってもらえないでしょうか、というメールをいただきました。
その方については、以前、私の中で、連絡さえ取れれば参加していただきたいと、心を決めていました。何人かの方からも、賛意を得ています。すぐに返事をさせていただき、オリジナルの詩をいくつか書きまして、選べるようにして送ることを約束しました。どうしても無理なら、あるいは、まだ曲になっていない詩でふさわしいものがあると判断されれば、それも含めて送ることにしました。
私としては、ピアノだけの伴奏ではなく、他の楽器を含めた、例えば『摩周湖』のような、ヴィオラとピアノと歌といった編成が望ましいと考えます。

お恥ずかしい話ですが、トロッタの集客のために、twitterを使えばどうかという課題が、私の中で浮上しています。以前、登録だけはしたのですが、使えないままに終わっており、パスワードが思い出せるかどうかという状態です。不特定多数のお客様を集めなければということは思っていますので、そのためにtwitterが有効に使えればいうことはありません。何とかしたいと思います。

新しい詩を書いて、送るべき方に送りました。
どう使われるかわからず、純粋に、書きたいから書いた詩です。
実はその詩は、メインに使っているMacBookではなく、もう10年以上前に購入し、しばらく使っていませんでしたPowerBook3400というマシンで書きました。
そのこと自体については、思うことがたくさんありますが、ここはトロッタのブログなので、書きません。1996年公開のアメリカ映画『インディペンデンス・デイ』で活躍したマシンです、などといっても、ほとんどの方はわかりません。わかったところで意味がありません。しかし、古いマシンでも、きちんと書けるという、素朴で純粋な事実が、うれしかったのです。

バンドネオンの生水敬一朗さんが、メールマガジンを創刊されました。ライブ情報のみ、ペーストしておきます。今後の展開に期待します。

・2月5日(金)27:30~ TOKYO FM
「MUSIC SEED~インディーズクラシックの音楽家たち~」
…先日収録したトーク、CDから二曲が放送されます

・ 2月21日(日)
「奇聞屋さんの午後の素敵なコンサートvol.5」
@奇聞屋(西荻窪)
料金:3,000円(1ドリンク付き)
出演:松宮和葉(カンツォーネ)、生水敬一朗(バンドネオン)他
・・・ソロの他、久々にピアソラ等を演奏致します。

「11へ」;42
晴れた朝です。白い雪に、朝日が当たっています。続きは順次、書きます。

朝からずっと原稿書きで、食事をする時間もありません。
夕方になって外出しようと思いますと、池田康さん編集の雑誌「洪水」が届いていました。
また、事情があって手放していました、西村洋さんとデボラ・ミンキンさん演奏による伊福部昭先生のギター・リュート作品集CDが届いていました。
印刷所から、チケットが発送されたとの連絡が来ました。一日遅れでチラシが来るはずです。

2010年1月31日日曜日

「11へ」;40

今日で一月が終わります。いよいよ、トロッタ11の練習が本格的に始まる、2月に入ります。
今朝は、ピアノの徳田絵里子さんのために、仮チラシを作りまして、お渡ししました。今日、ライヴがあったのですが、私は行けませんでした。どうも、仕事がたてこんでしまっており、落ち着きません。ご盛会であったと思います。

その帰り道、練馬区美術館にて、日本画の菅原武彦さんの作品を拝見しました。大きな作品です。私も大好きな、故横山操氏に影響されたそうで、大きさだけでも横山氏に負けまいと描いた作品があるそうです。実にすばらしい心構えだと思いました。

「トロッタ通信 11-19」

『うつろい』は、トロッタ11で、4度目の演奏になります。2008年1月26日(土)、トロッタ5で初演。同じ年の7月28日(金)、名フィル・サロンコンサート「詩と音楽」で再演。2009年3月22日(日)、橘川氏の個展「花の嵐」で三演しました。幸せな曲だと思います。それだけの魅力がある曲です。この演奏回数に匹敵する橘川さんの曲といえば、『花の記憶』でしょう。

たった今、新しい詩を書いています。詩は、誰が書いても短いもので、文字数はたいしたことがありませんから、すぐ書けそうだと錯覚します。しかし、なかなか書けません。説明のための文章ではありませんから、書けばいいというものになりません。

目の前にある、形を取りつつある詩は、いつ、どこで詠む、曲になるというあてのない作品です。書きたいから書いています。詩で商売をしようなどという人は、おそらくありません。商売になるわけがなく、仮に原稿料をもらったとしても、それは一時的なもので、持続性はなく、従って生活を支えるものとはなりません。なればいいと思いますが、ならない方がいいともいえます。

詩の書き方も、おそらく、決まったものはないでしょう。その人だけのものです。詩の教室も、あると思います。そこに通えば、不特定多数の方に、ある程度の説得力を持つ詩が書けるのでしょう。しかし、生まれたものは、詩人にとって絶対の詩ではありません。講師料を受け取る、先生の生活を支えるために書かれたようなものです。

そういえば、私も詩の講座に、一度だけ顔を出したことがあります。どんなことが語られているのだろうと思いまして。また、知り合いが講師をしていた関係もありました。自分の詩を朗読するというので、『夜が吊るした命』という、後に酒井健吉さんが作曲してくれた詩を持参しました。先生が、何かいってくださいました。詩を書く視点、といったようなことだったと思います。詩は、ビルの屋上で、電線にからんで身動きが取れず、冷たい冬空の下で死んでゆく烏を描いています。詩が、私の視点なのか、烏の視点なのか、といったような講評でした。先生の言葉が、正しいのかもしれません。その時の私の関心は、どのように朗読するかに大部分がありました。先生と、関心のありかがずれていたと思います。先生のお言葉を受けて、詩を直そうとは思いませんでした。強情になったわけではなく、これでいいと思ったからです。いや、一種の強情だったのでしょう。

そのことより、講座の主催者が、その後、間もなくして亡くなってしまったことの方が、私の記憶に刻まれています。私よりだいぶ若い方でしたのに。初期の「詩の通信」は送らせていただいていました。まだ「トロッタの会」は始めておらず、彼にも、トロッタに足を運んでいただきたかったと思います。(19回/1.29分 1.31アップ)

「トロッタ通信 11-18」

橘川琢さんと『うつろい』


先に紹介しました、『冬の鳥』評が載った「音楽の世界」誌で、改めて橘川琢さんの曲解説を読みました。私との共同作業が、17作目だと書いています。もう、そんな数になるのでしょうか。驚きましたが、トロッタ11で演奏されます『うつろい』は、その中でも初期の作品にあたります。2008年1月26日(土)の、トロッタ5で初演されました。橘川さんが、チラシの解説に書いています。

『旧い歌曲や唱歌、どこかさびしげでなつかしい歌謡曲…ちょっと時代がかった、はかなげな歌を作りませんか?』…などと木部与巴仁さんとお話していたら、少しして「うつろい」という素敵な詩が届いた

当時、橘川さんのリクエストには、唱歌のようなという表現もあったと思います。高校生のころから、喫茶店が好きな私です。喫茶店にはさまざまな思いがあります。喫茶店には何があってもおかしくありません。喫茶店幻想、といったような詩を書いてみようと思いました。いや、書いているうちに、そうなったのか。

詩の全文を掲げましょう。


うつろい


古ぼけた柱時計が

満開の桜の枝に掛かっていたらおもしろい

カウンターの向こうから

浜辺の歓声が聞こえてきたらおもしろい

落ち葉が舞って

コーヒーカップに浮かんだらおもしろい

椅子に腰かけたまま

しんしんと降る雪の気配を感じたらおもしろい


静かに器を洗う音を

今でも憶えている

その喫茶店では

いつも ひとりの女性が

うつむいたまま仕事をしていた

控えめな笑みを 浮かべて

ほんのり紅く 頬を染めて


[春]


憶えているよ

春になると 桜が咲いたね

花びらが吹雪になって

店いっぱいに舞っていた

季節がうつろう

不思議な喫茶店

今はもう消えてしまった


[夏]


憶えているよ

夏になると 海が見えたね

窓の外には水平線

遙かに遠く かすんでいた

天井をつらぬく

八月の太陽

ぼくの心をじりじり焼いた


[秋]


憶えているよ

秋になると 木立が燃えたね

散り敷く落葉は炎の形

ランプの灯に照らされて

喫茶店は錦に染まる

歌が聞こえた

誰の姿も見えないのに


[冬]


憶えているよ

冬になると 雪が降ったね

白くなってゆく店に

マフラーをまいたまま

じっと座っていた

ぼくはここにいる

時間だけが過ぎてゆく


今はない 街角の喫茶店

いつの間にか 消えていた

ぼくは今も この町にいる

でも あの人は いない

うつろう季節に連れられて

どこかへ行ってしまった

(18回/1.28分 1.31アップ)

2010年1月30日土曜日

「11へ」;39

すみだトリフォニー小ホールにて、テルミンの大西ようこさんと、ギターの三谷郁夫さんのデュオによる演奏会があり、今井重幸先生の「小ロマンス」が初演されました。今井先生の『神々の履歴書』が、トロッタ11で初演される旨のチラシを配らせていただきました。ありがとうございます。

明日、ピアノの徳田絵里子さんがご出演のライヴで配る、トロッタ11の仮チラシを作り始めました。何とか、午前中にはお渡ししたい予定です。

2010年1月29日金曜日

「11へ」;38

朝、「トロッタ通信 11」の2回目を、サイトにアップしました。ブログで綴っていることを、まとめたものです。

夜は草月ホールに行き、「日本の音楽展」XXXIIで演奏された、今井重幸先生の『仮面の舞』を聴きました。新宿ハーモニックホールのトロッタ8で演奏させていただいた曲です。今井先生の『神々の履歴書』のチラシを、明日まで置かせていただいています。いろいろな意味で刺激になった演奏会でした。

「トロッタ通信 11-17」

正直いって、私の詩唱に、他人に伝えるべき方法論はありません。詩唱の講座を開いたとして、この基準に達したから合格点といったことがいえないのです。五里霧中です。どうなったからいいということをいえません。朗読のための朗読になっているから、どうすれば音楽的な朗読になるのかなど、『冬の鳥』の演奏について、評者が批判する点を、どうすれば改善できるか、はっきりしたことがいえないのです。

音楽には楽器ごとに先生がいて教室があります。芝居には養成所があり、朗読にも、朗読教室なるものがあります。世の中、教室のないものなど、ないのではないでしょうか? ロックやジャズにも教室があり、先生がいます。聴く人を納得させられる方法論が、そこでは伝授されているのでしょう。古い時代には、教室など皆無だったはずですが、音楽は成立していました。教室のようなものに向かない人、教室をはみ出すような人にこそ、もしかすると、やむにやまれず生まれる音楽があるのではないかと思いますが、個人的には、先生と生徒の関係を否定してはいません。

詩唱にせよ、無手勝流でいいとは思わないのです。でたらめにしているつもりはなく、その底流には、私の経験から芝居と歌がある、芝居と歌を生かしたいと思っているので、だから、声楽のレッスンを受けています。歌えるようになって、私の詩唱はあると思います。さらに、最近のことですが、ギターのレッスンも受けるようになりました。楽器、特にギターは詩唱にうってつけだと思いますし、それを奏でながら詩唱できるようになれば、表現の幅が広がると思います。

これは先生方には申し訳ありませんが、自己流でできるとしても、先生と話しながらレッスンをしていく過程で、いろいろなことを考えられます。理屈だけで音楽とは? 詩唱とは? トロッタのあり方とは? そんなことを考えていても仕方ないので、実際に音を出し、コミュニケーションしながら表現を模索してゆくおもしろさがあります。もちろん、ほとんどの時間は五里霧中です。中川博正さんと、詩唱を追究しようと思いました。少しでも具体性を持ちたくて、一緒に探っていこうと思いました。中川さんを見ながら、わかることがあると思うのです。(17回/1.27分 1.29アップ)

2010年1月28日木曜日

「11へ」;37

早朝、小松史明さんから、チラシの直しが送られてきました。そして確認をし、夜になって、印刷所に入稿をいたしました。チケットも同様です。ずいぶん長くかかったようですが、一段落つきました。

2010年1月27日水曜日

トロッタ通信 11-16

1月27日(火)、東京音楽大学民族音楽研究所にて、甲田潤さん立ち会いのもと、根岸一郎さん、仁科拓也さん、並木桂子さんが参加して、『摩周湖』の二度目の合わせが行われました。私はずっと聴いていました。

思いましたことです。どんな楽器の伴奏もなく、また自らの言葉に旋律もリズムもなく、ただ語るだけであれば、人は言葉の意味を考えながら読みます。大人ならそうするでしょう。子どもは、自分の経験からして、あまりできないと思います。いずれにせよ、しかし伴奏が伴い、言葉に旋律やリズムが与えられると、人はとたんに意味を見失い、意味を乗せられなくなるのだなということです。乗せられますが、音楽として乗せるのが、非常に難しくなると思いました。根岸さんは、健闘しておられました。当然、私などよりも乗せておられます。折しも、昼間は、三木稔さんのオペラの稽古があったそうで、日本語を歌うことの難しさを実感したところだったそうです。

並木桂子さんが、日本音楽舞踊会議の機関誌「音楽の世界」2010年1月号を持ってきておいででした。そこに、去る12月に行いました、同会議の演奏会「初冬のオルフェウス」の演奏会評が載っていました。私も出ました、橘川琢さんの『冬の鳥』について、詳細な批評がありました。そもそも、今号は、「初冬のオルフェウス」の批評特集なのです。4人の評者が、演奏された8曲すべてについて、語っています。私関係について、抜き書きしましょう。

「男声の語りは多少耳障りな叫びや、言い回しが少し気になる」

「木部の朗読は、思い入れが大きく朗読のための朗読になっていて、声色・リズム・テンポ・調子等を工夫して、コンサートの朗読であるのだからもう少し音楽的な朗読を試みたらどうか」

「時折、詩の朗読が音楽的調和を乱しているように感じられる個所があった」

「詩と朗読はいささか鑑賞に傾きつつも、人間の宿命に対する締念と歓喜の入り混じったような、割り切れない世界を描こうとしていた」……

もちろん、私に関するだけの批評ではありません。しかし、この批評は、私ができたこと、できなかったこと、しようとしていること、などについて触れていると思いました。(16回/1.26分 1.27アップ)

「11へ」;36

「11へ」;35
昨日は、朝から、サイトの更新作業をしました。時間がかかりましたが、いつかはしなければなりません。スタートページの画像、左端の欄がトロッタ11専用となり、詩も掲載されています。トロッタのサイトは、トロッタ11に向けて、新しくなっています。もし、古いままでしたら、再読み込みをしてみてください。間違いなどありましたら、ご一報ください。ただちに対処します。

kinko'sにて、チラシを出力しました。きれいな状態で見なければ、校正できません。わずかですが、直すべき箇所がありました。小松さんからは、新しい要素を入れた絵が、近々、届く予定です。届き次第、すぐ印刷所に入稿しなければなりません。

夜は、東京音楽大学民族音楽研究所で、『摩周湖』の合わせでした。根岸一郎さん、仁科拓也さん、並木桂子さんにより、甲田潤さんのご意見をうかがいながら、練習しました。

「11へ」;36
8時半過ぎ、今井重幸先生宅にうかがい、チラシの校正刷りと、『神々の履歴書』初演の告知に特化したチラシをお渡ししました。今井先生の新曲が、1月30日(土)に初演されるので、その会場で配る予定です。続いて、ギターのレッスン、歌のレッスン。
いったん帰りまして、再び外出し、kinko'sへ。『神々の履歴書』のチラシをコピーして、1月30日配布分を郵送するためです。また、今井先生のおすすめで、1月29日(金)、先生の曲が演奏される、「日本の音楽」の会場である、草月ホールでも配ることにしました。その分もコピーし、草月ホールに持参しました。

草月会館には、1、2階の吹き抜けに、巨大な石の庭園が造られています。私は、生け花のことを知りませんし、草月流の本質も知りません。あれだけ大きな建物を造るからには、いろいろな意味で、すごいのだろうなと思います。しかし、権威には反対します。反対しながらも、ある種の大きさを表現するためには、大きな器が必要だとわかっています。そのことを、石の庭園で実感しましった。

阿佐ヶ谷駅で今井先生と会い、いろいろ話しつつ、新宿までご一緒しました。

2010年1月26日火曜日

「トロッタ通信 11-15」

*以下の文章は、1月25日にアップされるべきものでしたが、26日朝のアップとなりました。


奇聞屋に向かう前、打ち合わせの時に、中川さんと雑談しました。声優の事務所と契約するのに、デモテープが必要だといいます。2分ほどの朗読テープが必要だといい、例えばこのようなものを読めればといって、彼は川端康成の『掌の小説』を見せてくれました。しかし、それは登場人物が男女であり、男と女の会話が基本でした。私は彼のために、ドラマを書こうと思い、約束しました。不出来なものでなければ、オリジナルの方がいいのではないでしょうか? 声優としての、彼の力を聴かせられればいいわけです。書き上げて彼に送ったのは、二日後です。

声優であれ、演奏者であれ、さらに詩唱者でも、どれだけ立派な意味を持ち、立派な考えを持っていても、それが表現できなければ、それこそ意味はないというのが、私の考えです。詩なりドラマの背景を理解するのは、当然です。しかし、意味だけ伝えようとしても無意味だと思います。

弾ける人にはつまらないたとえ話でえすが、例えば、私は今、ギターを習っています。指が回りません。非常に苦労しています。また、爪を伸ばして初めてわかりましたが、人さし指の爪の形が、ちょっと変で、先端が鳥の爪に似て、ひっかかりやすくなっています。中指も薬指もまっすぐ伸びているのに。

指が回らないこと。爪の形がいびつであること。克服する方法はきっとあります。練習あるのみでもかまいません。しかし、そこに意味が入り込む余地は、私にはないのです。肉体が動くようにする。その目標だけがあります。

*文章表現でも、実は意味が最優先じゃないんだと、わかっています。もっと、肉体の表現であり、感情の表現です。しかし、読者が受け取る際、作者の肉体がそこに不在であることは間違いありません。読者が、食費も足りない貧しい状態で、むさぼるように小説を読んでいる時、印税で肥え太った作者が、ますます肥え太る食事をしていてもかまいません。ただし、私はそんなあり方に共感しません。送り手と受け手が、場を共有できればいいと思っています。

中川博正さんがほしいものは、意味ではなく、自分を表現する素材でしょう。演奏家にとっての楽譜です。うまくできたかどうかは知らず、私は、そのようなものを欲する中川さんに共感し、ドラマを提供したいと思いました。

「トロッタ通信 11-14」

*以下の文章は、1月24日分を、1月25日にアップしたものです。


ひとつ、私の詩は、発声するところから始めたいと思っています。この時点では、朗読も詩唱も同じです。少なくとも詩は、声に出して詠みたい。なぜかといえば、声に出すことは人にとって、文字を読む、文字を書くより先にあった行為だから。文字がなくても、声は出せます。書き留められていない物語も、声に出して聴かせる、表現することができます。物語を共有できます。場も共有できます。文字を読むとは、個人の営みにとどまります。大ベストセラーで、大部数が出たとしても、個人の営みが別々の場所で行われたに過ぎないと、私は感じます。声が出れば、それは肉体表現として音楽に大きく近づくと、私は思います。

何度も書きましたが、大晦日のニューヨークで、朗読会に参加しました。私は読まず、聴いていただけです。今は出版されていない長編小説を、声に出して回し読むことで、体験しようという催しでした。これにひかれました。私にとって、詠むことの原点です。ただ、音楽性は皆無でした。皆さん、座って、文字に目を落としながら詠んでいます。抑揚とかリズムとか、最低限のものはありますが、特に意識されてはいません。音楽性ではなく、声に出している点に、私はひかれたのです。

それでは、小学校の朗読と変わらないではないか。そう、変わりません。学校では、どのように意味付けているのでしょう。授業中の朗読を。見当がつきません。ただ読むだけでは、深く理解することにならないと思います。読む本人は、読むことだけに気をとられてしまいますので。意味をとらえることができないのではないでしょうか。−−これに似た点を、理由は違うと思いますが、私は重視したいのでしょうか? 朗読は、意味をとらえられない。意味ではなく、声による音を、重視するということ。

「トロッタ通信 11-13」

*以下の文章は、「トロッタ通信 11」の13回目です。2日遅れで、1月25日にアップしました。


詩唱は、朗読に似ています。同じだといってもいいのですが、音楽を伴う表現として、私は朗読と区別しています。音楽として詩を詠もうと思っています。なぜ、音楽にこだわるのか? 先の記述と矛盾しますが、楽器の伴奏がなくても成り立つ、声だけの音楽表現を念頭に置きながら、このことを考えたいと思います。中川さんと追求したいのも、その点です。“詩と音楽を歌い、奏でる”トロッタが追求したい、といってもいいかもしれません。

私の中で、朗読は演劇に近く、詩唱は音楽に近いという区別があります。絶対の区別ではなく、仮にとしてでかまいません。

さらに、演劇は小説に近く、音楽は詩に近いという期別もあります。これも絶対ではありません。さらにいえば、詩唱は演劇ではなく踊りに近く、音楽は小説ではなく踊りに近いとも考えます。

演劇、音楽、小説、詩、さらに踊り。それぞれ、似たところはあっても、異なる独立の表現です。わざわざ共通点を探すことはありません。似ているという根拠も、印象に拠るところがほとんどです。ただ、これはいいたいところです。私は意味からできるだけ自由になりたい。意味にしばられたくない。教養や知識からも自由でいたい。私にとって、先にあげた表現で、最も意味性を感じる表現は、小説です。次に演劇です。次いで詩です。踊りが続き、音楽が最後です。いや、踊りを最後に持ってくる方がいいかもしれません。

音楽にも、言葉を伴う歌の場合があります。詩唱を音楽と考える私にとって、言葉をともないながら、それは意味から自由な音楽だと言い切るのは、実は困難です。その困難なことを実行したいのです。

2010年1月25日月曜日

「11へ」;34

ここ数日、更新が滞っていました。いけません。わずかでも書かなければ。トロッタ11の準備は進んでいるのですから。

「11へ」;31
1月22日(金)、朝早く、小松史明さんに、チラシの直しを伝えました。細かい作業が多く、手間をかけてしまいます。

午前中に扇田克也さんと打ち合わせをしました。昨夜、上野雄次さんを交えて行った話し合いの続きです。都合により、金沢における、私のギター演奏は取りやめることにしました。
WEB用の書評原稿を送りました。漫画の「聖☆おにいさん」について書きました。今の心境を、非常に反映した表現になりました。

夕方はギターのレッスンでした。金沢での演奏が中止になっても、ギターは弾きます。ギターを弾くことは、詩唱の延長上にある、非常に自然なことです。
会場のスタジオヴィルトゥオージに行きまして、下見ができないか尋ねましたが、使用している人がいるので、この夜は駄目でした。明日、改めて尋ねる予定にしました。打楽器の使用はできないといわれました。使用案内には書かれていないことです。深夜、今井重幸先生と打ち合わせをし、太鼓を激しく打ち鳴らすようなことはしないので、何とか交渉してみることにしました。

夜は疲れるまでギターの練習をしました。しかし、全然足りません。弦を張り替えました。

「11へ」;32
1月23日(土)、早朝、清道洋一さんから、トロッタ11で演奏する曲についてなど、彼が目下、考えているさまざまなことについて、メールが届きました。返事をしたいと思います。しかし、すぐにできません。彼が考えていることについて、私も考えなければならないからです。

一日、心落ち着かない時間を過ごしました。午後4時、スタジオヴィルトゥオージに行きました。以前、下見をしたとおりの会場でした。記憶の中で、広がりも狭まりもしていません。ただ、楽屋として使えるBスタジオは、思ったより広く、安心しました。

役者の中川博正さんのために、短いドラマを書いて送りました。彼が、デモテープを作りたいのだそうです。

「11へ」;33
1月24日(日)、朝、デザイナーの小松史明さんから、チラシの絵が送られてきました。強烈な絵です。詩『瓦礫の王』からインスピレーションを得たものです。一日、仕事のための本を読んで過ごしました。

「11へ」;34
本日、1月25日(月)は「詩の通信IV」第13号を発行しました。久しぶりで、予定通り発行できました。その前に、朝、小松さんと電話で話しあいをし、絵を描き直してもらうことにしました。非常に心苦しいお願いでした。

今朝は、近所の資源ゴミの日でした。何冊か、かつて大事だった本を捨てました。今の私にとって、基本的に、本は必要ありません。すべて否定してもいいくらいです。特に、ある詩人に対する気持ちの変化は、自分でも驚くべきものです。学生時代から、あれほど大切だったと思う人に対し、今はまったく心が動きません。本屋でその人の本を見つけても、手に取ろうと思いません。目を避けるほどです。その反面、トロッタに関わる人たちの、お客様を含め、何と大事な存在であることか。

明日の夜は、「摩周湖」の、二回目の合わせです。

下の花を、「詩の通信IV」第13号に掲載しました。ミモザを用いました。田中隆司さんが戯曲を書きました、萬国四季協會公演『鬼沢』を観ての帰り道、神楽坂で求めたミモザです。『鬼沢』は、二度観ました。いろいろと考えたいことがありましたので。
このミモザは、もう、ドライフラワーになっていました。黄色い花の下に、写真では見えませんが、緑の葉を敷いてあります。手にするだけで、ぱらぱらと落ちてきました。気がつかなかったけれど、実は死んでいたのだという事実を、心にとどめました。




「トロッタ通信 11-12」

*以下の文章は、「トロッタ通信」の1月22日分で、1月25日にアップしました。


中川博正さんは、詩唱の表現者として来てもらいました。何も、私が自分の表現を追求したいから協力を求めたのではなく、役者であり声優である、彼の表現にも役立つ、詩唱もまた彼の表現になると信じるからです。

そこで、1月20日(水)、西荻窪の奇聞屋にて、彼と一緒の舞台に立ちました。音楽はありません。声だけの舞台となりました。本来は、即興ピアノを弾いてくださる吉川正夫さんがおられるのですが、お風邪をひいてお休みでした。つまり、助けになるものがないわけですが、それでいいと思いました。詩唱だけで独立した表現にできます。

作品は、私の詩『夜が来て去ってゆく』を選びました。清道洋一さんのリクエストに応えて書いた詩で、「ドアを開けると/女が男を殺していた」のように、ドアを開けると、次から次へと、思いがけない光景が展開してゆくといった内容です。舞台が始まる2時間前に集合し、西荻窪で稽古をしました。私は、自分で書いたのですから内容をわかっていますが、中川さんは、この日に初めて目を通す詩です。即興が苦手だということでしたが、時間がないので、ひらめきをそのまま舞台で表現することにもなりました。

即興表現だけがよいのではありません。しかし、即興にも対応できればしたいと思います。何かが起きた時、舞台でとっさの判断ができることは重要です。それは、自分の声を聴くことでもあります。役者は、長い稽古を積み重ねて舞台に立ちますから、知らず知らずのうちに、稽古してきた通りに演じようと思いがちです。それでいいのですが、自然の生理に素直になることも大切です。舞台で、こうしたいと思えば、それに従おうと思います。生きているのだし、再生機械ではないのですから。

2010年1月22日金曜日

「11へ」;29

いろいろと、考えることのあった一日でした。一時的なショックはあれ、何事も、前向きにとらえたいと思います。

2010年1月21日木曜日

「トロッタ通信 11-11」

*以下の文章は、1月25日にアップしました。


中川博正さんと、何をするかは決まっていません。曲がないのです。正式のプログラムではなく、試演という名目で、短い詩を、一緒に詠もうとしています。打楽器の内藤修央さんにもご協力いただくことになっています。内藤さんには、即興の演奏をお願いしています。内藤さんは、前回のトロッタ10で、今井重幸先生の曲にお出になりました。私とは、谷中ボッサで三度、ご一緒させていただきました。内藤さんと即興でつとめる舞台の緊張感は、他で得られないものです。

しかし、詩は即興というわけにいかないので、本番までに決めます。つまり、私は中川さんと、詩唱のデュオで出演するつもりです。詩唱という表現を、追求したいのです。

こんな批判が、成り立つと思います。

詩の“朗読”を、音楽に助けてもらっている。

事実、そのとおりです。詩唱といいません、“朗読”を、声だけでもたせるのは、至難のわざです。ただ詠むだけなら誰でもできますが、それを表現にすることの難しさ。だからこそ、音楽があれば助かる。それではいけないという気持ちと、それでいいのだという、両方の気持ちがあります。後者は、初めから一体となった表現だから、切り離せず、どちらにとってもどちらも必要。別に助け合っているのではないということ。前者は、音楽がなくても、声だけで聴く者を飽きさせない技術が必要だという思います。どちらの考えにも正当性はあると思います。その、どちらの正当性も、私は追求していきたいのです。中川さんとともに。

「11へ」;28

デザイナーの小松史明さんから、文字だけを載せたチラシの原稿が送られてきました。確認中です。細かなミスがありました。完璧にはできないと思いますが、最善を尽くします。

6月に金沢で開かれる扇田克也さんの個展のため、上野雄次さんを交えてミーティングを行いました。上野さんには、橘川琢さんの「うつろい」の楽譜をお渡ししました。

バンドネオンの生水敬一朗さんからご連絡をいただきました。「レコード芸術」誌で、生水さんのCDが準推薦盤に選ばれたそうです。ご覧くださいませ。

2010年1月20日水曜日

「トロッタ通信 11-10」

*以下の文は、1月25日にアップしました。


トロッタ11で、再び、中川博正さんに参加していただくことにしました。

中川さんとは、9月にエレクトーンシティ渋谷行われた、トロッタ9でご一緒しました。特に、橘川琢さん作曲の『花骸-はなむくろ-』と、清道洋一さんの『アルメイダ』で共演したのです。中川さんは役者です。声優でもあります。声を出す人です。私もまた、声を出す人間です。

正直に申し上げて、似た表現をする彼を、私はじっと見ていました。冷静に。どんな表現をするのだろうという興味。どんな声を出すのかいう判断。どんな人なのかという疑問。中川さんには、私の目は、冷たく映ったかもしれません。

トロッタ10の舞台に、彼の出番はなかったのですが、裏方として参加していただきました。人手が足りなかったという事実はあります。役者なら体が動くから、裏方として協力してもらえるのでは? という期待がありました。それに加えて、彼という人間を知りたかったのだと思います。

その後、中川さんが出演した舞台、『天才バカボンのパパなのだ』を観に行きました。彼は、バカボンのパパを演じていました。

まず、中川さんの目で見て、私は不足していると思います。私から見て、中川さんには不足の点があります。さらに、お客様として足を運んでいただいた、ある役者の方に、方々といってもいいですが、私の表現は不足なのだそうです。あるいは、違っているのだそうです。似た表現をしている者は、お互いに対して敏感です。表現の細部がわかりますので。だから、私は中川さんを見ることができました。その中川さんと、トロッタ11で、再び共演したいと思いました。

「11へ」;27

池袋にて、『摩周湖』の合わせを行いました。
詩唱の中川博正さんと共に、奇聞屋の朗読会に出演しました。詠みました詩は、私の『夜が来て、去ってゆく』です。
詩『人形の夜』を、ギターを弾きながら詩唱しました。生まれて初めて、人前でギターを弾きました。指が動きませんでした。場数を踏むことが必要です。

2010年1月18日月曜日

「トロッタ通信 11-9」

明日、1月20日(水)トロッタ11のための、初めての合わせが池袋で行われます。『摩周湖』の練習です。バリトンの根岸一郎さん、ヴィオラの仁科拓也さん、ピアノの並木桂子さんによります。私も聴かせていただきますが、非常に楽しみです。

『摩周湖』は、ソプラノの藍川由美さんに献呈されています。藍川さんは、伊福部先生の歌曲だけを集めたリサイタルを、何度か開催されました。CDとしても、10曲を収録して、作品世界をまとめておられます。藍川さんがいなければ生まれなかった作品だと思います。生まれたかも知れませんが、すぐ演奏することにはならなかったでしょう。藍川さんは、歌いたいと思っておられました。その気持ちが作曲家を動かしたのだと確信しています。幸せな、音楽の関係だと思います。

トロッタ11でお歌いになるのは、根岸一郎さんです。始めに書きました。演奏家の側から、こんな曲を演奏したいという希望が、もっと出てもいい、と。詩人と作曲家だけでなく、演奏家と作曲家、演奏家と詩人、さらに詩人と演奏家と作曲家という関わりの中で、もっと曲が生まれていいと思います。

すでにその形は示していると思いますが、もっと深く。トロッタを開催する時だけ集まるのではなく。--いや、トロッタを開催する時だけに集まるからいいのかもしれません。

トロッタはどこに行くのか? というテーマをしばしば投げかけられます。それはわからないのですが、詩人と演奏家と作曲家が共同作業をする形は、維持していいでしょう。それを維持することが目的、その方向で音楽を創る、それがトロッタの行く先だとは確かにいえます。その形を作っておけば、何でもできると思います。

「11へ」;26

原稿の締切日で、朝から落ち着かず、お昼過ぎになって、やっと提出できました。

田中修一さんから電話があり、伊福部玲さんの陶芸展のチラシができ、送られてきたそうです。八王子の「ギャラリー・スペース ことのは」で4月に開催され、田中さんが編曲した、伊福部先生の『土俗的三連画』などが、会期中に演奏されるといいます。楽しみです。

明日、9時半から、池袋にて、『摩周湖』の合わせが行われます。トロッタ11のための、初めての合わせです。幸い、毎週行われているギターと歌のレッスンが、両日とも先生のご都合で行われないので、私も参加できます。その代わり、ギターのレッスンは、本日です。

詩唱者としてトロッタ11に参加される中川博正さんのため、詩を三篇、送りました。「夜が来て去ってゆく」「北へ、アカシアへ」「夜の花」。実験的な試みとして、休憩時間の終わりごろに、このうちのどれかを、一緒に詠もうと思っています。その準備を始めます。

「トロッタ通信 11-8」

伊福部先生は、詩人ではありません。音の作り手ではありますが、言葉の作り手ではありません。『管絃楽法』のような解説書はありますが、文学ではありません。先生のお考えはわかりませんが、一方に音楽があれば、一方に詩がある。どちらの表現も芸術と呼ばれる。自分が音楽の書き手であれば、詩の書き手がほしい。詩そのものがほしい。それは、自分が仮に詩人なら書いたであろう、言葉の連なりである。更科源蔵の詩に、共感できた。共感できたなら、それを歌曲にしてみたい。このようなお考えではなかったでしょうか?

『知床半島の漁夫の歌』にせよ、『オホーツクの海』にせよ『摩周湖』にせよ、スケールの大きさを感じます。大自然とか、民族とか、歴史とか、そのような言葉も印象として浮かびます。伊福部先生の音楽には、そのようなスケール感があります。伊福部先生の音楽は、やはり、大きなスケールの詩を欲したのでしょう。それに応えた更科の詩も、スケールが大きいということになります。ちまちましていません。いきなり、山や川や海の姿を詠み、人を、それと同等のものして歌い上げるのですから。東京の街の中にいたのでは、生まれない詩ばかりです。伊福部先生もまた、森林官として山に住み、海を間近に感じて、青年期を過ごしました。ふたりとも、そんな自分の姿を客観視するだけの近代性は持っていたのですが。ふたりとも近代人です。丸ごとの野生児ではありません。野生児なら、詩も音楽も必要なかったでしょう。野性的な感性を持った近代人として、さらに同じスケール感を持つ者同士として、詩人と作曲家は、幸福な出会いをしたことになります。

「トロッタ通信 11-7」

以下は、トロッタ11のチラシのために書きました、解説です。


摩周湖 【1992】

作曲・伊福部昭 詩・更科源蔵

トロッタ第10回公演で演奏した『知床半島の漁夫の歌』と同じく、更科源蔵の詩による、伊福部昭の歌曲である。「摩周湖を書くことは、私にとってもっとも容易であり、同時に一番むずかしいことでもある」更科は、著書『北海道の旅』で、こう述べる。生まれ故郷の北海道・弟子屈村東端にある摩周湖は、更科自身の肉体であり、父であり母でもあった。詩は1943年刊行の第二詩集『凍原の歌』で発表された。伊福部が作曲したのは、半世紀後の1992年で、初演は翌1943年。伊福部作品に力を注ぐソプラノ藍川由美の歌とともに、ヴィオリスト百武友紀の存在も、『摩周湖』作曲の大きな力となった。伊福部によると、摩周湖はアイヌによって“神の湖”と呼ばれた。哀しいほどに美しい摩周湖の姿を、バリトン根岸一郎、ヴィオラ仁科拓也、ピアノ並木桂子の演奏で受けとめていただきたい。(木部与巴仁)


字数の制限がありますので、短くまとめましたが、曲の概要は、ほぼおわかりいただけると思います。続いて、『摩周湖』の全文を載せます。


『摩周湖』


更科源蔵


大洋(わだつみ)は霞て見えず釧路大原

銅(あかがね)の萩の高原(たかはら) 牧場(まき)の果

すぎ行くは牧馬の群か雲の影か

又はかのさすらひて行く暗き種族か


夢想の霧にまなことぢて

怒るカムイは何を思ふ

狩猟の民の火は消えて

ななかまど赤く実らず


晴るれば寒き永劫の蒼

まこと怒れる太古の神の血と涙は岩となつたか

心疲れし祖母は鳥となつたか

しみなき魂は何になつた


雲白くたち幾千歳

風雪荒れて孤高は磨かれ

ヤマ ヤマに遮り はて空となり

ただ

無量の風は天表を過ぎ行く


以上です。

2004年の『時代を超えた音楽』で、当時の私なりに、『摩周湖』を分析しています。本来は、音楽を聴き、楽譜を読み、詩を読み、それだけでいいはずのところを、いろいろと書いているので、それ自体が私の思いの表われではありますが、余計なことという思いが、今の心境としてはあります。文章で書くと、どんなにすぐれた分析でも限界はあるので、それよりは、トロッタの会のように、演奏するのが一番だと、私は思っています。しかし何度も書きますが、伊福部先生への取材に始まり、関係した人や土地を取材し、さまざまな文献を読み、三冊の本にし、そういうことを経ないではトロッタに行き着けなかったのですから、何もかもが必要だったこと、遠回りでも無駄はひとつもない、たとえ出発点が音楽ではない文学であろうともと、私は納得したいと思います。

「11へ」;25

「トロッタ通信 11」が、実際の日付に、追いつきそうです。1回目を書いただけで書けませんでしたが、さかのぼってお読みいただければ幸いです。
詩人・更科源蔵と、作曲家・伊福部昭の関係について、改めて考えています。

ただいま、追いついたと思います。8回目まで行きました。少しは務めを果たした思いです。