長谷部二郎先生が編集する「ギターの友」に、「ギターとランプ」を連載している。ここ何回か続けて、作曲家・田中修一氏と萩原朔太郎について、詩と音楽をテーマに書いている。原稿の直しをたったいま終えた。午前3時。明日には印刷所に入稿予定という。眠い。こうしたこともすべて「トロッタ」の活動につながると確信している。
今井重幸先生に依頼されて、トロッタ13で初演した『叙事詩断章・草迷宮』の動画をコピーして差し上げる。邦楽曲に編曲したので、奏者に参考にしてもらうのだとおっしゃる。演奏は4月16日(月)。阿佐ケ谷でお目にかかり、にトロッタ15の相談。先生の『狂想的変容』について、ある演出を提案させていただいた。実現すれば面白いが。
昼間から続けていた楽譜の整理をほぼ終える。トロッタの楽譜、ボッサの楽譜、そうしたものを作曲家別に分けた。8回目となるボッサの会は、亡くなったギタリスト、石井康史さんの追悼とする考えだ。石井さんと共演した時の音源も出てきた。明日、その打ち合わせをするので、ぎりぎりのタイミングだと思う。
デザイナーの小松史明さんに、本当は今日、トロッタ15のチラシ原稿を半分以上送る予定だった。できず。明日の朝には何とか送りたい。このまま徹夜して送りたい気持ちだが、駄目。いつも思うが、チラシを作る、配る時点で、すでにトロッタは始まっている。チラシは小松さんの表現だ。
2012年3月27日火曜日
2012年3月26日月曜日
トロッタ15日記.120326の2
これまでは回ごとの袋で楽譜を整理していたが、思い切って作曲家別の整理函に入れ直す。トロッタ14回分とボッサの会などの膨大な楽譜。Youtubeの記録映像でも証明されるが、大変な数だ。トロッタ15回目の函にも楽譜が入りつつある。これらを眠らせず、再演、再々演したい思いが芽生える。
誰のどんな曲が好きですかとしばしば訊かれる。ストラヴィンスキーの、ヴェルディの、メシアンの、ベルクの、などと答えればいいのだろうが、私の答えは、トロッタの作曲家のトロッタの曲が好き、というもの。それ以外に答えられないし、答えたくない。私にはトロッタの人と曲こそが大事だ。
スタンダードとすべき、文字通りにクラシックな大作曲家の曲を理想とし、それに向けて歩まなければならないとしても、トロッタで生まれた曲を、作曲家が思っている以上の域に高められたかというと疑問だ。それほどの表現をしてきたか? トロッタを全うするだけで一生分の人生があっても足りない。
誰のどんな曲が好きですかとしばしば訊かれる。ストラヴィンスキーの、ヴェルディの、メシアンの、ベルクの、などと答えればいいのだろうが、私の答えは、トロッタの作曲家のトロッタの曲が好き、というもの。それ以外に答えられないし、答えたくない。私にはトロッタの人と曲こそが大事だ。
スタンダードとすべき、文字通りにクラシックな大作曲家の曲を理想とし、それに向けて歩まなければならないとしても、トロッタで生まれた曲を、作曲家が思っている以上の域に高められたかというと疑問だ。それほどの表現をしてきたか? トロッタを全うするだけで一生分の人生があっても足りない。
トロッタ15日記.120326の1
小松史明さんの絵ができたので、チラシに載せる文章を揃えなければならない。作曲家、演奏家ともプロフールはほぼできている。問題は曲解説。新曲が殆どなので、作曲家は文章にしづらいのだろう。30日(金)をめどに送ってもらうよう頼んだ。31日(土)最終締め切りで小松さんに送る予定。
長谷部二郎先生編集のギター誌「ギターの友」に、「ギターとランプ」を連載中。その第12回原稿の校正が送られてきた。作曲家・田中修一氏と、詩人・萩原朔太郎の関わりを、連続して考えている。朔太郎関連の演奏会もいずれ開きたい。“詩と音楽を歌い、奏でる”「トロッタの会」にも関係のあること。調整のため、あと400字の加筆が必要となる。
プログラムが多いので、第15回は私の企画である4回シリーズ『ロルカのカンシオネス「スペインの歌」』を引っ込めた。トロッタ16では再開したい。ガルシア・ロルカと音楽、ここにも詩と音楽というテーマがある。ロルカは、詩と音楽を分けて考えていない。私も同じ。結論はそこにある。萩原朔太郎の詩と音楽も、当然、共通したテーマとして考えていける。
長谷部二郎先生編集のギター誌「ギターの友」に、「ギターとランプ」を連載中。その第12回原稿の校正が送られてきた。作曲家・田中修一氏と、詩人・萩原朔太郎の関わりを、連続して考えている。朔太郎関連の演奏会もいずれ開きたい。“詩と音楽を歌い、奏でる”「トロッタの会」にも関係のあること。調整のため、あと400字の加筆が必要となる。
プログラムが多いので、第15回は私の企画である4回シリーズ『ロルカのカンシオネス「スペインの歌」』を引っ込めた。トロッタ16では再開したい。ガルシア・ロルカと音楽、ここにも詩と音楽というテーマがある。ロルカは、詩と音楽を分けて考えていない。私も同じ。結論はそこにある。萩原朔太郎の詩と音楽も、当然、共通したテーマとして考えていける。
2012年3月24日土曜日
トロッタ15日記120324
デザイナーの小松史明さんから、トロッタ15のチラシ確認用画像が届く。田中修一氏の曲『ムーヴメントNo.6 海猫』に合わせたもの。さっそく、ブログを修正した。確認用画像もブログのページ「トロッタ15」に掲載した。ブログの書き換えは久しぶりなので困難を極め時間がかる。
ここしばらく、twitterもFacebookも更新できなかった。チラシ作成も進行中であり、これを機に書き進めていきたい。
ここしばらく、twitterもFacebookも更新できなかった。チラシ作成も進行中であり、これを機に書き進めていきたい。
2012年3月16日金曜日
トロッタ15日記.120316
どうにか部屋の片づけが終わりそう。日本音楽舞踊会議演奏会を終え、次はトロッタ15。気持ちを整える必要あり。部屋の片づけを始めた。古い資料は一掃した。未練なし。三日かけて、トロッタへ向かう室内に、つまり脳内になりつつある。今夜は橘川琢氏、清道洋一氏と神保町で会う。
作曲家、演奏家の皆さんにチラシのための原稿を依頼している。プロフィールと、作曲家は曲解説も合わせて。デザイナーの小松史明さんには多忙のところ無理をお願いしている。ほぼプログラムは決まっているが、チラシ作成とともに最終決定。振り返ればここ三日、片づけしかしていない。
日本音楽舞踊会議の演奏会を終えて思ったことだが、本番は常に実験の舞台でありたい。いつも通りのことをしていては意味がない。いつも通りならしなくてよい。特にトロッタは必ず前と違うことをする。無理に奇をてらうのではなく、自然とそうなるように。知らなかった私に出会おう。
作曲家、演奏家の皆さんにチラシのための原稿を依頼している。プロフィールと、作曲家は曲解説も合わせて。デザイナーの小松史明さんには多忙のところ無理をお願いしている。ほぼプログラムは決まっているが、チラシ作成とともに最終決定。振り返ればここ三日、片づけしかしていない。
日本音楽舞踊会議の演奏会を終えて思ったことだが、本番は常に実験の舞台でありたい。いつも通りのことをしていては意味がない。いつも通りならしなくてよい。特にトロッタは必ず前と違うことをする。無理に奇をてらうのではなく、自然とそうなるように。知らなかった私に出会おう。
2012年3月13日火曜日
トロッタ日記120313
昨夜3月12日(月)、日本音楽舞踊会議の演奏会が終わる。さまざまな反省がある。橘川琢さん、清道洋一さんというトロッタの作曲家の曲に出演したからなおさら。橘川さんの『春告花』、清道さんの『革命幻想菓2』とも、トロッタで演奏してもおかしくない曲だけに。今後の課題だ。
美術家の小松史明さんにチラシ作成を依頼。慌ただしくしていたため、依頼が遅くなった。今日でぎりぎりだろう。小松さんにも迷惑をかける。昨日の演奏会では、トロッタ15の仮チラシを配らせていただいた。不特定多数への告知が始まったことになる。後はトロッタ15のことだけを考える。
美術家の小松史明さんにチラシ作成を依頼。慌ただしくしていたため、依頼が遅くなった。今日でぎりぎりだろう。小松さんにも迷惑をかける。昨日の演奏会では、トロッタ15の仮チラシを配らせていただいた。不特定多数への告知が始まったことになる。後はトロッタ15のことだけを考える。
2012年3月9日金曜日
トロッタ日記120224-0308
田中修一氏より『MOVEMENT』のための詩の依頼あり。当初は新シリーズの詩にするつもりが、やはり『MOVEMENT』で行きたいということ。東京音大でチェロのAさんに会う。演奏者が確定せず、最終決定を引っ張り過ぎた感があるが時間は取り戻せない。これから進めていく。Aさんを最後に、演奏者は全員、全曲について揃ったと思う。滞っていた時期のトロッタ日記を、以下に書く。
2月24日(金)、FIGARO本紹介ページの仕事を降ろされるので激しく動揺。仕事をしなければ、トロッタはできない。お金はあってあり過ぎることはまったくない。
2月25日(土)、押し入れから更科源蔵氏未亡人、千恵さんの手紙が現われる。伊福部昭先生の追悼演奏会で、私が更科氏の詩を朗読したことへの礼状。2006年4月23日付。繰り返し語っているが、トロッタは、このあたりから構想され、始まっている。第1回演奏会の10か月前。秋葉原のカラオケ館で、清道洋一氏『革命幻想歌2』練習。演奏の舞台は日本音楽舞踊会議であり、トロッタではないが、私にとってはすべてトロッタにつながっている。
2月26日(日)、トロッタの準備、できず。
2月27日(月)、造形作家の扇田克也氏、陶芸の金憲鎬(キム・ホノ)氏から、それぞれ個展の案内が届く。扇田氏は前回を含め、何度かトロッタに足を運んでくださった。金憲鎬氏は橘川氏の個展と名古屋での演奏に足を運んでくださった。扇田、金両氏を含め、どなたとも、知っているだけの関係に終わりたくない。知り合っているだけでも奇跡だが、人の存在に、常に触発される自分でありたい。それがトロッタに生かされればいい。
2月28日(火)、トロッタ15に参加してくださるヴィオラのHさんと、東京音大で会った。甲田潤氏が指導する女声合唱団コール・ジューンのMさんより、甲田氏が夏に指揮する伊福部昭先生の『交響頌偈 釈迦』合唱練習のスケジュールが送られて来る。『釈迦』も歌の曲であり、伊福部先生のことを考える機会として、できれば参加したいが先立つものが……。
2月29日(水)、橘川琢氏より、日本音楽舞踊会議演奏会で演奏する『叙情組曲《日本の小径》補遺より「春告花・三景」』の楽譜を明日の夜、発送するとの連絡あり。今日は歌のレッスン。ロルカ採譜の“ZORONGO”。一応、歌ったが、詩についての理解が全然追いついていない。メゾソプラノ松本満紀子さんより、私がデザインした、第三回グループえん演奏会のチラシとチケットが届いたと連絡をいただく。松本さんはトロッタ15で、田中隆司さん作曲の『寒戸の婆』を歌う。テキストは柳田國男の『遠野物語』。田中氏ならではの意欲作である。
3月1日(木)、トロッタ15全詩解説として、過去6曲になる田中修一氏『MOVEMENT』シリーズの一覧を作成。併せて、全曲の解説を【付記】として書く(手直しあり)。橘川琢氏と会って楽譜をもらう。深夜に阿佐ヶ谷まで来ていただいたが、全曲ではなかった。3分の1曲のみ。
3月2日(金)、西川直美さん(sop.)、野田晶子さん(pf.)、河内春香さん(pf.)の演奏会に、上野の旧・東京音楽学校奏楽堂へ。河内さんが尾高尚忠氏の『日本組曲』、野田さんが伊福部先生の『ピアノ組曲/盆踊』を弾く。伊福部先生の曲も“日本組曲”と命名されたもの。同世代の作曲家によってそれぞれの“日本組曲”が書かれたことに、明らかな理由、共通点する思潮のようなものはあったのか?尾高氏は1911年生まれ、伊福部先生は1914年生まれである。
3月3日(土)、一度は売った『ネヴォの記 1930年代・札幌―文化運動の回想』(佐藤八郎著・編)を、インターネットで古書店に注文。ネヴォは、かつて札幌にあった、伊福部昭先生行きつけの店だった。早坂文雄、三浦淳史といった友人と日参。名曲のレコードを聴き続けたという。『ネヴォの記』にも、伊福部先生らの名前が記されている。伊福部先生について、改めて書きたいという気持ちが起こっている(「ギターとランプ」にも、本当は、伊福部先生のギター曲について書かなければならないと思う。しかし、もう作曲家にインタビューできない)。
3月4日(日)、田中修一氏の『亂譜 海猫』の詩が最終的な形になってゆく変化を並べた画像を作成。詩の変遷に大きく三段階ある。田中修一氏に送った。秋葉原のカラオケ館にて、清道洋一氏『革命幻想歌2』の練習。清道氏、堀江麗奈さんと。ギターの萩野谷英成さんは来られなかった。
3月5日(月)、「詩の通信VI」13号から16号までを作成。1か月半も発行および発送が滞った。トロッタ15全詩解説として、田中修一氏の4回目をアップ。盛岡の詩人、岩崎美弥子さんから『海猫』の資料にと提供された、震災後の廃墟で鹿踊りが舞われている岩手日報の写真入り新聞記事も載せた。
3月6日(火)、「詩の通信VI」13号から16号までを発送。小島遼子さんとは別に、新たなチェリストを探すことになる。曲数の関係で、どうしても二人必要だ。明日のレッスンのため、ロルカ採譜「lLos pelegrintos」の歌詞を楽譜に書きこんでゆく。これが一苦労。
3月7日(水)、歌のレッスン。「Los pelegrintos」。初めての曲は、強弱などつけられたものではない。すべて力が入ってしまう。ギタリスト鎌田慶昭氏のアルバム「セリエ・アメリカーナ~南米ギター作品集」をディスクユニオンで購入。中古がさらに割引で910円。鎌田慶昭氏のアルバムは、所持するCDが傷んで音が出なくなったので買い直したのである。田中修一氏と連絡を取り合い、新曲の楽譜を送ってもらう相談。次回の「ギターとランプ」のために必要。次も萩原朔太郎と田中修一氏について書く予定。『ネヴォの記』到着する。
2月24日(金)、FIGARO本紹介ページの仕事を降ろされるので激しく動揺。仕事をしなければ、トロッタはできない。お金はあってあり過ぎることはまったくない。
2月25日(土)、押し入れから更科源蔵氏未亡人、千恵さんの手紙が現われる。伊福部昭先生の追悼演奏会で、私が更科氏の詩を朗読したことへの礼状。2006年4月23日付。繰り返し語っているが、トロッタは、このあたりから構想され、始まっている。第1回演奏会の10か月前。秋葉原のカラオケ館で、清道洋一氏『革命幻想歌2』練習。演奏の舞台は日本音楽舞踊会議であり、トロッタではないが、私にとってはすべてトロッタにつながっている。
2月26日(日)、トロッタの準備、できず。
2月27日(月)、造形作家の扇田克也氏、陶芸の金憲鎬(キム・ホノ)氏から、それぞれ個展の案内が届く。扇田氏は前回を含め、何度かトロッタに足を運んでくださった。金憲鎬氏は橘川氏の個展と名古屋での演奏に足を運んでくださった。扇田、金両氏を含め、どなたとも、知っているだけの関係に終わりたくない。知り合っているだけでも奇跡だが、人の存在に、常に触発される自分でありたい。それがトロッタに生かされればいい。
2月28日(火)、トロッタ15に参加してくださるヴィオラのHさんと、東京音大で会った。甲田潤氏が指導する女声合唱団コール・ジューンのMさんより、甲田氏が夏に指揮する伊福部昭先生の『交響頌偈 釈迦』合唱練習のスケジュールが送られて来る。『釈迦』も歌の曲であり、伊福部先生のことを考える機会として、できれば参加したいが先立つものが……。
2月29日(水)、橘川琢氏より、日本音楽舞踊会議演奏会で演奏する『叙情組曲《日本の小径》補遺より「春告花・三景」』の楽譜を明日の夜、発送するとの連絡あり。今日は歌のレッスン。ロルカ採譜の“ZORONGO”。一応、歌ったが、詩についての理解が全然追いついていない。メゾソプラノ松本満紀子さんより、私がデザインした、第三回グループえん演奏会のチラシとチケットが届いたと連絡をいただく。松本さんはトロッタ15で、田中隆司さん作曲の『寒戸の婆』を歌う。テキストは柳田國男の『遠野物語』。田中氏ならではの意欲作である。
3月1日(木)、トロッタ15全詩解説として、過去6曲になる田中修一氏『MOVEMENT』シリーズの一覧を作成。併せて、全曲の解説を【付記】として書く(手直しあり)。橘川琢氏と会って楽譜をもらう。深夜に阿佐ヶ谷まで来ていただいたが、全曲ではなかった。3分の1曲のみ。
3月2日(金)、西川直美さん(sop.)、野田晶子さん(pf.)、河内春香さん(pf.)の演奏会に、上野の旧・東京音楽学校奏楽堂へ。河内さんが尾高尚忠氏の『日本組曲』、野田さんが伊福部先生の『ピアノ組曲/盆踊』を弾く。伊福部先生の曲も“日本組曲”と命名されたもの。同世代の作曲家によってそれぞれの“日本組曲”が書かれたことに、明らかな理由、共通点する思潮のようなものはあったのか?尾高氏は1911年生まれ、伊福部先生は1914年生まれである。
3月3日(土)、一度は売った『ネヴォの記 1930年代・札幌―文化運動の回想』(佐藤八郎著・編)を、インターネットで古書店に注文。ネヴォは、かつて札幌にあった、伊福部昭先生行きつけの店だった。早坂文雄、三浦淳史といった友人と日参。名曲のレコードを聴き続けたという。『ネヴォの記』にも、伊福部先生らの名前が記されている。伊福部先生について、改めて書きたいという気持ちが起こっている(「ギターとランプ」にも、本当は、伊福部先生のギター曲について書かなければならないと思う。しかし、もう作曲家にインタビューできない)。
3月4日(日)、田中修一氏の『亂譜 海猫』の詩が最終的な形になってゆく変化を並べた画像を作成。詩の変遷に大きく三段階ある。田中修一氏に送った。秋葉原のカラオケ館にて、清道洋一氏『革命幻想歌2』の練習。清道氏、堀江麗奈さんと。ギターの萩野谷英成さんは来られなかった。
3月5日(月)、「詩の通信VI」13号から16号までを作成。1か月半も発行および発送が滞った。トロッタ15全詩解説として、田中修一氏の4回目をアップ。盛岡の詩人、岩崎美弥子さんから『海猫』の資料にと提供された、震災後の廃墟で鹿踊りが舞われている岩手日報の写真入り新聞記事も載せた。
3月6日(火)、「詩の通信VI」13号から16号までを発送。小島遼子さんとは別に、新たなチェリストを探すことになる。曲数の関係で、どうしても二人必要だ。明日のレッスンのため、ロルカ採譜「lLos pelegrintos」の歌詞を楽譜に書きこんでゆく。これが一苦労。
3月7日(水)、歌のレッスン。「Los pelegrintos」。初めての曲は、強弱などつけられたものではない。すべて力が入ってしまう。ギタリスト鎌田慶昭氏のアルバム「セリエ・アメリカーナ~南米ギター作品集」をディスクユニオンで購入。中古がさらに割引で910円。鎌田慶昭氏のアルバムは、所持するCDが傷んで音が出なくなったので買い直したのである。田中修一氏と連絡を取り合い、新曲の楽譜を送ってもらう相談。次回の「ギターとランプ」のために必要。次も萩原朔太郎と田中修一氏について書く予定。『ネヴォの記』到着する。
2012年3月5日月曜日
トロッタ15全詩解説『MOVEMENT No.6 海猫』(作曲/田中修一).4
『MOVEMENT No.6 亂譜 海猫』の詩は、田中修一氏の要請によって書かれた。
田中氏から、詩を求める要請があったのは、6月1日である。彼はいくつかの新聞記事によって、東日本大震災の被災地に、次のような事実があることを知った(記事を引用せず、まとめる)。
宮城県気仙沼市朝日町の空き地に、数千羽の海猫が巣を作っている。震災前、付近には水産加工場が並んでいたが、津波に工場は押し流され、あたり一面が廃墟となった。そこに海猫が営巣したのである。なるほど、倒壊した家屋や廃墟となった施設の周囲に、おびただしい海猫がいた。
田中氏は写真入りの記事に接し、そこにさまざまなことを感じた。例えば“無常”といったようなことで、その光景から詩が書けないかと打診してきたのである。もちろん、私が“無常”を感じるかどうかは別であり、まったく違うことを感じていい。ただ、言葉は具体的だしひとり歩きするものでもあるから、被害を受けた方々のことをよく知らないまま、勝手なことを書くのは遠慮しなければならない。しかし遠慮してばかりではいけないとも思い、詩は書こうと思った。それは、何が書けるのかという、自分自身への問いかけでもあるからだ。生半可な言葉は、誰が読んでも生半可に感じられる。自分でもわかる。私もトロッタ13のため、被災地を思い『たびだち/北の町』を書いた。それに続く、東日本大震災以降の詩となる。
まず、7月2日に第一稿を書いて田中氏に送った。田中氏からは、“この線で”という言葉をもらったので、推敲して、7月14日に第二稿を送った。田中氏の感想は、どちらもよいので、それぞれ曲にできれば、というものであった。そして何度かのやりとりがあり、9月10日、田中氏の筆が入った、歌曲のための詩が届いたのである。読みづらいかと思うが、以下に変遷を並べた。
ちなみに、第二稿の第二連に、次の詩句がある。
瓦礫の町に
笛の音(ね)がする
太鼓が響く
踊りの影が足を踏む
瓦礫の町に
歌が聴こえる
囃子も響く
魂よ鎮まれかしと
これは、岩手県の詩人、岩崎美弥子さんから提供された、岩手日報の写真記事を見て、読んで書くことができたのである。被災地の瓦礫の中、鹿踊りが舞われていた。踊りのいわれは諸説あろうが、民俗芸能に共通する性格は、鎮魂である。踊りは基本的に楽しむものだが、死者に思いをはせ、魂を鎮めながら、舞い踊る。もちろん、震災はなければよかった。しかし、それが被災地の鹿踊りだけに、芸能の本質に思いをはせた。さらに、鳥は死者の生まれ変わりだといわれることも思い、瓦礫に巣を作って乱舞する鳥を見て、曲作りを思い立った、田中氏の意図を私なりに汲もうとしたのである。
第二連は、田中氏の意向で、曲には生かされなかった。それはまったく、曲の進行とか、構成といった理由からであろう。しかし詩の根本には、例えば鹿踊りへの思いがあることを、書き添えておきたい。
田中氏から、詩を求める要請があったのは、6月1日である。彼はいくつかの新聞記事によって、東日本大震災の被災地に、次のような事実があることを知った(記事を引用せず、まとめる)。
宮城県気仙沼市朝日町の空き地に、数千羽の海猫が巣を作っている。震災前、付近には水産加工場が並んでいたが、津波に工場は押し流され、あたり一面が廃墟となった。そこに海猫が営巣したのである。なるほど、倒壊した家屋や廃墟となった施設の周囲に、おびただしい海猫がいた。
田中氏は写真入りの記事に接し、そこにさまざまなことを感じた。例えば“無常”といったようなことで、その光景から詩が書けないかと打診してきたのである。もちろん、私が“無常”を感じるかどうかは別であり、まったく違うことを感じていい。ただ、言葉は具体的だしひとり歩きするものでもあるから、被害を受けた方々のことをよく知らないまま、勝手なことを書くのは遠慮しなければならない。しかし遠慮してばかりではいけないとも思い、詩は書こうと思った。それは、何が書けるのかという、自分自身への問いかけでもあるからだ。生半可な言葉は、誰が読んでも生半可に感じられる。自分でもわかる。私もトロッタ13のため、被災地を思い『たびだち/北の町』を書いた。それに続く、東日本大震災以降の詩となる。
まず、7月2日に第一稿を書いて田中氏に送った。田中氏からは、“この線で”という言葉をもらったので、推敲して、7月14日に第二稿を送った。田中氏の感想は、どちらもよいので、それぞれ曲にできれば、というものであった。そして何度かのやりとりがあり、9月10日、田中氏の筆が入った、歌曲のための詩が届いたのである。読みづらいかと思うが、以下に変遷を並べた。
ちなみに、第二稿の第二連に、次の詩句がある。
瓦礫の町に
笛の音(ね)がする
太鼓が響く
踊りの影が足を踏む
瓦礫の町に
歌が聴こえる
囃子も響く
魂よ鎮まれかしと
これは、岩手県の詩人、岩崎美弥子さんから提供された、岩手日報の写真記事を見て、読んで書くことができたのである。被災地の瓦礫の中、鹿踊りが舞われていた。踊りのいわれは諸説あろうが、民俗芸能に共通する性格は、鎮魂である。踊りは基本的に楽しむものだが、死者に思いをはせ、魂を鎮めながら、舞い踊る。もちろん、震災はなければよかった。しかし、それが被災地の鹿踊りだけに、芸能の本質に思いをはせた。さらに、鳥は死者の生まれ変わりだといわれることも思い、瓦礫に巣を作って乱舞する鳥を見て、曲作りを思い立った、田中氏の意図を私なりに汲もうとしたのである。
第二連は、田中氏の意向で、曲には生かされなかった。それはまったく、曲の進行とか、構成といった理由からであろう。しかし詩の根本には、例えば鹿踊りへの思いがあることを、書き添えておきたい。
2012年3月2日金曜日
トロッタ15全詩解説『MOVEMENT No.6 海猫』(作曲/田中修一).3
『MOVEMENT No.3 ムーヴメントNo.3~木部与巴仁「亂譜 未來の神話」に依る』
MOVEMENT No.3 (poem by KIBE Yohani "RAN-FU", Myths in the future)
■ 第12回 トロッタの会
2010年11月6日(土)
会場・早稲田奉仕園 スコットホール
【解説】この詩で、木部与巴仁氏は未来における風景を描いた。遺跡「東京」は水底の瓦礫であった。安部公房氏は『未来は、それが未来だということで、すでに本来的に残酷なのである。』といった。其の責任は現代にあるのだが。
作品では各々の楽器に些かプリミティヴな奏法を求めた。(田中修一)
【付記】ギターに造詣の深い田中修一氏が、トロッタで初めてギターを使った曲になった。しかし当初は、ハープを使えないかという希望だった。ハープ奏者にあたったものの無理となったので、ギターになった。しかし私としては、ギターでよかったと思う。この曲については、雑誌「ギターの友」の連載、「ギターとランプ」に書くことができた。『亂譜』も『瓦礫の王』も、舞台として廃墟になった新宿を想い浮かべることができるが、『未來の神話』はいささか異なる。田中氏からはっきりと、安部公房の『第四間氷期』を題材にした詩を、という依頼があった。どんな詩が生まれるのかわからないのではない、作曲家と詩人が共通の認識に立って創作しよう、という働きかけと受け取れる。仮に、安部公房を私が好きではなかったら、この働きかけは不調に終わったかも知れない。『第四間氷期』を読んでなければ、戸惑いが生じたかも知れない。しかし私にとって安部公房は関心の中心にある存在で、とりわけ『第四間氷期』が好きなのだった。
書きながら思い出したが、「No.3」の『第四間氷期』と同様、「No.2」は、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの『ブロディーの報告書』を題材にしてほしいという依頼があった。このボルヘスも、私は好ましく思っている。つまり、私自身の奥底にある精神性に触れて来る作家だ。ボルヘスに続いて安部公房の名前が出た時、田中氏と私は関心の方角が一致するのかなと思った。彼は伊福部昭先生に学び、私は伊福部先生について文章を書いた。明らかにその流れでトロッタを運営し、彼は第一回から参加し続けている。
ちなみに、彼は19世紀イングランドの画家、ジョン・エヴァレット・ミレーの水死したオフィーリアの絵を好むという。これまた私も同様で、2008年に東京で行われた展覧会には足を運んだ。田中氏は、スコアの表紙にオフィーリアの絵をあしらっていた。ここまで関心が一致するのかと驚くとともに、彼には“水の女”に寄せる心があるのかとも意外だった。私は詩『水の女』を書き、酒井健吉氏によって作曲された。私なら、自分が“水の女”を描きたがるとわかっており、そればかりではいけないと、『未來の神話』は当初、“水底(みなぞこ)の若者”を書いたのだ。
詩は「涙を詰めた小瓶を海に/鱗をまとった/水底の青年が/揺れながら漂う/小さな光に/未来を感じる」となる。
これを田中氏は次に改変した。「涙を詰めた小瓶を海に/鱗をまとった/水底(みなそこ)の處女(をとめ)が/搖れながら漂ふ/小さな光に/未來を感じる」
彼の心にある、私の知らない浪漫性を想像したのである。
*
『MOVEMENT an extra 木部与巴仁「亂譜外傳・儀式」に依る』
MOVEMENT an extra(poem by KIBE Yohani "RAN-FU"an extra canonical, The Rite of Hooakha Huchy Tribes)for 2Voices,Bassoon,3Conga-drums and Piano
■ 第13回 トロッタの会
2011年5月29日(日)18時30分開演 18時開場
会場・早稲田奉仕園 スコットホール
【解説】この作品に登場するハナアルキ(鼻歩き)とは、南太平洋ハイアイアイ群島に棲息した、鼻で歩き鼻で捕食する哺乳類で、核実験の影響で島と共に沈んでしまった鼻行類Rhinogradentiaの別名である(ハラルト・シュテュンプケ著『鼻行類』参照)。その原産地である南海のハイアイアイ群島の発見者、シェムトクヴィストは原住民フアハ=ハチの儀式をいきいきと描写している。「フアハ=ハチ族は当時(ちょうど春分の頃だった)ホーナタタ(ハナアルキの別称*筆者註)祭を祝っていた.この祭礼のときには,彼らは村の集会所で祭礼の歌をうたいながら脂身をはさんで焼いたホーナタタを食べる.それは夕闇迫る時分であった.(後略)」(前掲書)。(田中修一)。
【付記】三度び、田中氏から題材に依る作詩の依頼が来た。今度は“ハラルト・シュテンプケの『鼻行類』”である。ハナアルキという、名前どおりの生物群を解説するフィクション。この奇妙な書物は、読んでいたものの所持していなかったので、さっそく求めた。そして、このような世界にひかれる田中氏の精神性に思いを至らせた。「ギターの友」に記した田中氏の言葉に、2億年後の世界に生きる架空の生物を考察した『フューチャー・イズ・ワイルド』を自分は好むが、木部氏も同じではないか、というものがある。そちらは読んでおらず、表紙は何度も見たが、手に取ることがなかった。田中氏は、ハナアルキや2億年後の生物が好きである。おそらく、形状にも惹かれているだろう。私にそのような精神性はない。だが、『鼻行類』をという求めがあった以上、それに応えたいと思った。そこで書いたのが、ハナアルキという言葉をまったく用いない詩だ。それは、次のように始まる。
「焼けた風に/黒髪をなびかせて/波打際を駈けてゆく(*駈ける)/女は/ヒトではなかった(中略)/火の山の下(もと)/死の果てに生まれた生命(いのち)/原生の密林に/奥深く住むという(*住む)/女は/ヒトではなかった」
田中氏は次のように改変した。
「焼けた風に/波打際を駈けてゆく(*駈ける)ものは/ヒトではなかった(中略)火の山の下(もと)/死の果てに生まれた生命(いのち)/原生の密林に/奥深く住むという(*住む)/ハナアルキ」
私は、ハナアルキという言葉を用いたら、『鼻行類』に依ることが明らかになると思い、架空の生き物の名を使わなかった。しかし田中氏は使った。よほど、ハナアルキに愛着を持っており、ハナアルキと歌わなければおさまらない、創作意欲を持っていたのだろう。仮に、である。架空の生き物を使いたいというなら、私は“私のハナアルキ”を創る。『第四間氷期』や『ブロディーの報告書』に依ってほしいと頼まれ、それを承知しつつ、それらの作品に現われる言葉なり設定をまったく用いていないのは、そのような理由からである。文学作品と音楽作品には隔たりがあるが、『第四間氷期』『ブロディーの報告書』『鼻行類』と私の詩は、言葉を用いた表現という点で、隔たりがない。ないなら、自分で隔たりを作ろうと思うのが、書き手の本能であろう(簡単にいえば、他人の世界ではない、自分の言語による世界を創ろうということだ)。
私はこの曲に出演している。「No.2」にも出演している。詩唱者として思うことは別にあるが、今は詩についてのみ記した。
*
『MOVEMENT No.5 ムーヴメントNo.5-木部与巴仁「亂譜 樂園」に依る』
MOVEMENT No.5 (poem by KIBE Yohani “RAN-FU”, PARADISE)
for Solo Voice,Oboe,Piano and Contrabass
■ 第14回 トロッタの会
2011年11月13日(日)18時30分開演 18時開場
会場・早稲田奉仕園 スコットホール
【解説】木部与巴仁氏がハラルト・シュテュンプケ著『鼻行類』(鼻行類は南太平洋のハイアイアイ群島に生息し、核実験の影響で島と共に沈んでしまったという哺乳類である。)に取材して2010年12月5日に詩「亂譜 楽園」を送ってくれたが、そのままになってしまっていた。後になって「樂園」という題名につよく惹かれて、新たに此の詩と向き合うと、別の意味を持って私に迫って来たのであった。一連の「MOVEMENT」はデフォルメされた音楽様式となっているが此の作品でもそれが顕著にあらわれている。(田中修一)
【付記】「No.5」のもとになった詩が『楽園』であり、これが田中氏の書斎を訪れた体験から生まれたものであることは、先に書いた。田中氏はもともと、『楽園』を曲にすることは無理だといっていた。彼は、人の私生活が透けてみえるような世界は苦手だという。私生活から生まれた世界だから、なるほど、それなら無理だろうと納得した。それが曲になったのは、私生活部分をまったくカットしたからだ。つまり、以下のくだり。
「いつからだろう/目覚まし時計の力を借りず/午前三時に目を醒ますようになったのは/孤独の荷を下ろした/ひとりの時間/窓から見える/あの山の向こうで/誰かが男を呼んでいた/妻と子は/何も知らない」
この前後にある、「わたしの声が聞こえたら/返事をください」「わたしの声が聞こえたら/あなたの目を閉じてください」で始まる詩の流れは、そのまま歌に生かされた。
次の改変も大きい。田中氏の詩−−
「見える/一羽の鳥が/氣流に乘って飛んでゆく/海といふ海の/風を集めて/ただひとつ殘された/樂園をめざし 幾千年」
しかし、もとの詩は、次のようだ。
「見える/一羽の男が/気流に乘って飛んでゆく/海という海の/風を集めて/ただひとつ殘された/楽園をめざし/千年」
飛ぶのが鳥と男では、まるで違う。私は田中氏を飛ばした。だが彼は、男は地上にいて、飛ぶのはあくまで鳥である見方を貫いた。もとの詩は次のように結ばれる。
「なりたいのになれなかった/それは男の/理想の形」
鳥になる、あるいは飛ぶのが男の理想なのだから、詩としては人に飛んでもらわなければならない。
私は人間が好きなのだとわれながら思う。奇妙な形をした生物よりも(彼らから見れば、人も相当、奇妙な形をしているかもしれない)。つまり人という生物の私生活に関心がある。田中氏は、さして私生活には関心がない、あるいは自分に触れたくない、それでいて(いや、だからこそ?)“水の女”死せるオフィーリアには関心がある。詩人と作曲者に隔たりがあればあるほど、おもしろいかもしれない。
MOVEMENT No.3 (poem by KIBE Yohani "RAN-FU", Myths in the future)
■ 第12回 トロッタの会
2010年11月6日(土)
会場・早稲田奉仕園 スコットホール
【解説】この詩で、木部与巴仁氏は未来における風景を描いた。遺跡「東京」は水底の瓦礫であった。安部公房氏は『未来は、それが未来だということで、すでに本来的に残酷なのである。』といった。其の責任は現代にあるのだが。
作品では各々の楽器に些かプリミティヴな奏法を求めた。(田中修一)
【付記】ギターに造詣の深い田中修一氏が、トロッタで初めてギターを使った曲になった。しかし当初は、ハープを使えないかという希望だった。ハープ奏者にあたったものの無理となったので、ギターになった。しかし私としては、ギターでよかったと思う。この曲については、雑誌「ギターの友」の連載、「ギターとランプ」に書くことができた。『亂譜』も『瓦礫の王』も、舞台として廃墟になった新宿を想い浮かべることができるが、『未來の神話』はいささか異なる。田中氏からはっきりと、安部公房の『第四間氷期』を題材にした詩を、という依頼があった。どんな詩が生まれるのかわからないのではない、作曲家と詩人が共通の認識に立って創作しよう、という働きかけと受け取れる。仮に、安部公房を私が好きではなかったら、この働きかけは不調に終わったかも知れない。『第四間氷期』を読んでなければ、戸惑いが生じたかも知れない。しかし私にとって安部公房は関心の中心にある存在で、とりわけ『第四間氷期』が好きなのだった。
書きながら思い出したが、「No.3」の『第四間氷期』と同様、「No.2」は、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの『ブロディーの報告書』を題材にしてほしいという依頼があった。このボルヘスも、私は好ましく思っている。つまり、私自身の奥底にある精神性に触れて来る作家だ。ボルヘスに続いて安部公房の名前が出た時、田中氏と私は関心の方角が一致するのかなと思った。彼は伊福部昭先生に学び、私は伊福部先生について文章を書いた。明らかにその流れでトロッタを運営し、彼は第一回から参加し続けている。
ちなみに、彼は19世紀イングランドの画家、ジョン・エヴァレット・ミレーの水死したオフィーリアの絵を好むという。これまた私も同様で、2008年に東京で行われた展覧会には足を運んだ。田中氏は、スコアの表紙にオフィーリアの絵をあしらっていた。ここまで関心が一致するのかと驚くとともに、彼には“水の女”に寄せる心があるのかとも意外だった。私は詩『水の女』を書き、酒井健吉氏によって作曲された。私なら、自分が“水の女”を描きたがるとわかっており、そればかりではいけないと、『未來の神話』は当初、“水底(みなぞこ)の若者”を書いたのだ。
詩は「涙を詰めた小瓶を海に/鱗をまとった/水底の青年が/揺れながら漂う/小さな光に/未来を感じる」となる。
これを田中氏は次に改変した。「涙を詰めた小瓶を海に/鱗をまとった/水底(みなそこ)の處女(をとめ)が/搖れながら漂ふ/小さな光に/未來を感じる」
彼の心にある、私の知らない浪漫性を想像したのである。
*
『MOVEMENT an extra 木部与巴仁「亂譜外傳・儀式」に依る』
MOVEMENT an extra(poem by KIBE Yohani "RAN-FU"an extra canonical, The Rite of Hooakha Huchy Tribes)for 2Voices,Bassoon,3Conga-drums and Piano
■ 第13回 トロッタの会
2011年5月29日(日)18時30分開演 18時開場
会場・早稲田奉仕園 スコットホール
【解説】この作品に登場するハナアルキ(鼻歩き)とは、南太平洋ハイアイアイ群島に棲息した、鼻で歩き鼻で捕食する哺乳類で、核実験の影響で島と共に沈んでしまった鼻行類Rhinogradentiaの別名である(ハラルト・シュテュンプケ著『鼻行類』参照)。その原産地である南海のハイアイアイ群島の発見者、シェムトクヴィストは原住民フアハ=ハチの儀式をいきいきと描写している。「フアハ=ハチ族は当時(ちょうど春分の頃だった)ホーナタタ(ハナアルキの別称*筆者註)祭を祝っていた.この祭礼のときには,彼らは村の集会所で祭礼の歌をうたいながら脂身をはさんで焼いたホーナタタを食べる.それは夕闇迫る時分であった.(後略)」(前掲書)。(田中修一)。
【付記】三度び、田中氏から題材に依る作詩の依頼が来た。今度は“ハラルト・シュテンプケの『鼻行類』”である。ハナアルキという、名前どおりの生物群を解説するフィクション。この奇妙な書物は、読んでいたものの所持していなかったので、さっそく求めた。そして、このような世界にひかれる田中氏の精神性に思いを至らせた。「ギターの友」に記した田中氏の言葉に、2億年後の世界に生きる架空の生物を考察した『フューチャー・イズ・ワイルド』を自分は好むが、木部氏も同じではないか、というものがある。そちらは読んでおらず、表紙は何度も見たが、手に取ることがなかった。田中氏は、ハナアルキや2億年後の生物が好きである。おそらく、形状にも惹かれているだろう。私にそのような精神性はない。だが、『鼻行類』をという求めがあった以上、それに応えたいと思った。そこで書いたのが、ハナアルキという言葉をまったく用いない詩だ。それは、次のように始まる。
「焼けた風に/黒髪をなびかせて/波打際を駈けてゆく(*駈ける)/女は/ヒトではなかった(中略)/火の山の下(もと)/死の果てに生まれた生命(いのち)/原生の密林に/奥深く住むという(*住む)/女は/ヒトではなかった」
田中氏は次のように改変した。
「焼けた風に/波打際を駈けてゆく(*駈ける)ものは/ヒトではなかった(中略)火の山の下(もと)/死の果てに生まれた生命(いのち)/原生の密林に/奥深く住むという(*住む)/ハナアルキ」
私は、ハナアルキという言葉を用いたら、『鼻行類』に依ることが明らかになると思い、架空の生き物の名を使わなかった。しかし田中氏は使った。よほど、ハナアルキに愛着を持っており、ハナアルキと歌わなければおさまらない、創作意欲を持っていたのだろう。仮に、である。架空の生き物を使いたいというなら、私は“私のハナアルキ”を創る。『第四間氷期』や『ブロディーの報告書』に依ってほしいと頼まれ、それを承知しつつ、それらの作品に現われる言葉なり設定をまったく用いていないのは、そのような理由からである。文学作品と音楽作品には隔たりがあるが、『第四間氷期』『ブロディーの報告書』『鼻行類』と私の詩は、言葉を用いた表現という点で、隔たりがない。ないなら、自分で隔たりを作ろうと思うのが、書き手の本能であろう(簡単にいえば、他人の世界ではない、自分の言語による世界を創ろうということだ)。
私はこの曲に出演している。「No.2」にも出演している。詩唱者として思うことは別にあるが、今は詩についてのみ記した。
*
『MOVEMENT No.5 ムーヴメントNo.5-木部与巴仁「亂譜 樂園」に依る』
MOVEMENT No.5 (poem by KIBE Yohani “RAN-FU”, PARADISE)
for Solo Voice,Oboe,Piano and Contrabass
■ 第14回 トロッタの会
2011年11月13日(日)18時30分開演 18時開場
会場・早稲田奉仕園 スコットホール
【解説】木部与巴仁氏がハラルト・シュテュンプケ著『鼻行類』(鼻行類は南太平洋のハイアイアイ群島に生息し、核実験の影響で島と共に沈んでしまったという哺乳類である。)に取材して2010年12月5日に詩「亂譜 楽園」を送ってくれたが、そのままになってしまっていた。後になって「樂園」という題名につよく惹かれて、新たに此の詩と向き合うと、別の意味を持って私に迫って来たのであった。一連の「MOVEMENT」はデフォルメされた音楽様式となっているが此の作品でもそれが顕著にあらわれている。(田中修一)
【付記】「No.5」のもとになった詩が『楽園』であり、これが田中氏の書斎を訪れた体験から生まれたものであることは、先に書いた。田中氏はもともと、『楽園』を曲にすることは無理だといっていた。彼は、人の私生活が透けてみえるような世界は苦手だという。私生活から生まれた世界だから、なるほど、それなら無理だろうと納得した。それが曲になったのは、私生活部分をまったくカットしたからだ。つまり、以下のくだり。
「いつからだろう/目覚まし時計の力を借りず/午前三時に目を醒ますようになったのは/孤独の荷を下ろした/ひとりの時間/窓から見える/あの山の向こうで/誰かが男を呼んでいた/妻と子は/何も知らない」
この前後にある、「わたしの声が聞こえたら/返事をください」「わたしの声が聞こえたら/あなたの目を閉じてください」で始まる詩の流れは、そのまま歌に生かされた。
次の改変も大きい。田中氏の詩−−
「見える/一羽の鳥が/氣流に乘って飛んでゆく/海といふ海の/風を集めて/ただひとつ殘された/樂園をめざし 幾千年」
しかし、もとの詩は、次のようだ。
「見える/一羽の男が/気流に乘って飛んでゆく/海という海の/風を集めて/ただひとつ殘された/楽園をめざし/千年」
飛ぶのが鳥と男では、まるで違う。私は田中氏を飛ばした。だが彼は、男は地上にいて、飛ぶのはあくまで鳥である見方を貫いた。もとの詩は次のように結ばれる。
「なりたいのになれなかった/それは男の/理想の形」
鳥になる、あるいは飛ぶのが男の理想なのだから、詩としては人に飛んでもらわなければならない。
私は人間が好きなのだとわれながら思う。奇妙な形をした生物よりも(彼らから見れば、人も相当、奇妙な形をしているかもしれない)。つまり人という生物の私生活に関心がある。田中氏は、さして私生活には関心がない、あるいは自分に触れたくない、それでいて(いや、だからこそ?)“水の女”死せるオフィーリアには関心がある。詩人と作曲者に隔たりがあればあるほど、おもしろいかもしれない。
2012年3月1日木曜日
トロッタ15全詩解説『MOVEMENT No.6 海猫』(作曲/田中修一).2
これまでの、『MOVEMENT』全6曲の歴史を振り返ってみよう。
『MOVEMENT 声と2台ピアノのためのムーヴメント~木部与巴仁「亂譜」に依る』
■ 第3回 トロッタの会
2007年5月27日(日)
会場・タカギクラヴィア 松濤サロン
【解説】MOVEMENTとは、「運動」「楽章」「詩の律動的な調子」と云った程の意の語です。此の作品では、7拍子を核とした律動により、詩の趣意を表現したいと考えました。
また、作詩者の提案をうけて、独唱歌曲の伴奏を2台ピアノとしたのは、危険な冒険であり、些かの不安を禁じ得ないのでした。(田中修一)
【付記】何といっても『MOVEMENT』はここから出発したので、思い出に残る。2台ピアノに対しては、何も2台使わなくてもという批判がある。私の提案なのだが、勘違いであれ、ものの量感を作ろうとする態度を認めたいと、常々思っている。それに応えてくれた田中氏に感謝している。再演できればと思う。--2台ピアノを提案したのは私だとすっかり思いこんでいたが、田中氏の発案であった。「洪水」第1号の、私、田中氏、橘川琢との話し合いで、田中氏が述べている。話し合いの日は、2007年5月28日、まさに『MOVEMENT』初演の翌日であった。田中氏がいうような言い方を私がしたか疑問だが、彼なりの受け止め方なので、私はそのままでいい。この貴重な記録を残してくださいました、「洪水」編集長の池田康さんにお礼を申し上げます。
「トロッタの会の第一回のときに『立つ鳥は』という、伊福部昭先生にささげる追悼の曲をやりましたが、そのリハーサルを終わった後、木部さんと一杯飲んで、そのときに『亂譜』書きます、少しずつスケッチを進めていますという話をして、だけどピアノだけだと物足りないなと言い、木部さんもなにか伴奏つけたらボリューム出るよねと言う。チェロとかコントラバスも面白いけど、打楽器とかもいいんじゃないかと一瞬思った。だけど打楽器だと練習で楽器を持ち込まなきゃいけないとか大変でコストがかかる。冗談半分で、二台ピアノというのも面白いねと僕が言ったんです。まさか二台ピアノの独唱歌曲なんていままで聞いたこともない、そんなものは絶対言わないだろうと思ったら、木部さんが、おう、それやろう、面白いじゃないかと。一台ピアノで書いたら手抜きしたと見なすぞと言うので、じゃあ二台ピアノでということになったんです。書いてみると、ああ面白いなと思うようになってきました」
*
『MOVEMENTムーヴメント~木部与巴仁「亂譜」に依る』
■ 第9回 トロッタの会
2009年9月27日(日)
会場・エレクトーンシティ渋谷
【解説】MOVEMENTとは、「運動」「楽章」「詩の律動的な調子」と云った程の意の語です。此の作品では、7拍子を核とした律動により、詩の趣意を表現したいと考えました。
この度、木部与巴仁氏より、電子オルガンを使用した作品を、と云う依頼をうけ、『声と2台ピアノのためのムーヴメント〜木部与巴仁「亂譜」に依る(2007年作曲)』を、声とピアノ、打楽器、電子オルガンのために編作しました。(田中修一)
【付記】思いがけず『MOVEMENT』が復活することになった。ただし2台ピアノ版ではなく、電子オルガン版として。エレクトーンシティでトロッタを開くという大前提があったので、田中氏も電子オルガンを使ったのだ。録音を改めて聴くと、これはすばらしい曲である。電子オルガンの音色が、世界を格段に大きくしている。生音の楽器で演奏できればなおいいのだろうが、電子オルガンの特性を、田中氏はよく生かしたと思う。編作だから、2台ピアノ版と同じ世界なのだが(詩はもちろん同じ)、別の世界が現われている。楽器によって違う世界が生じるという、当たり前のことを実感させてくれる。二曲の間に、2年と4か月の歳月があり、5回のトロッタがあった。田中氏とは、いろいろな思いの交錯があった。通じるところがあり、通じないところがあった。しかし、その上でつきあう努力をすれば、曲が生まれるということを、私自身、学んだ。仮に、たった今、トロッタが終わり何もかも断ち切られても、曲は残る。知らない時代に、知らないところで、知らない誰かが『MOVEMENT』を演奏するかもしれない。萩原朔太郎も、まさか一世紀近い後に、私たちが、自身の曲をめぐって会話しているなど、思いも寄らなかったであろう。不思議だ。
*
『MOVEMENT No.2 ムーヴメントNo.2 木部与巴仁「亂譜 瓦礫の王」に依る』
MOVEMENT No.2 (poem by Kibe Yohani “RAN-FU, Gwareki no Wau”)for 2Voices, Marimba and Piano
■ 第11回 トロッタの会
2010年3月5日(金)
会場・スタジオ ヴィルトゥオージ
【解説】「No.2」、第二番と名づけられたことで、『MOVEMENT』のシリーズ化が決まった。曲の世界が掘り下げられ、大きくなろうとしている。実のところ意外だったが、作曲家・田中修一氏に、そのような息の長い心の働きがあると知って、彼に対する認識を改めた。僭越だが、すばらしい。トロッタに、第一回から参加し続けているだけのことはある。一番の詩は『亂譜』、二番の詩は『亂譜 瓦礫の王』である。まず、荒涼とした都市の風景を詠み、さらには廃墟で舞う、ひとりの王の姿を詠んだ。力強くも美しい、極限の音楽世界が表現できればよい。(木部与巴仁)
【付記】“瓦礫の王”とは、私は学生時代から温めていた言葉だ。あるテーマを小説か評論にしたいと思っていたが、それができず、詩になった。初めに思っていた形ではものにならず、別の形を得て世に現われる、ということがしばしばあると思う。私の場合、同様の作品に、酒井健吉氏によって作曲された『水の女』がある。田中氏や酒井氏たち、トロッタの作曲家、そして演奏家たちによって、私は自分の思いを形にできた。感謝している。
前作の詩『亂譜』は、瓦礫になった、想像上の新宿を詠んでいる。荒涼とした美しさを表現したいと思った。今回はそこに、ひとりの王を立たせた。王という存在は、現実的には好きではない。支配者だからだ。しかし、支配者の孤独には関心がある。『MOVEMENT』が初演されたのと同じトロッタ3で、私は『大公は死んだ』という詩を発表した。これはトロッタ6において、田中氏の曲『「大公は死んだ」附 ルネサンス・リュートの為の「鳳舞」』になった。またトロッタ12では、ヘンリー八世の曲によった詩唱曲を発表した。大公の詩は、シリーズ化したいと思いながら果たせないでいる。音楽から美しさを想像できるか? 演奏の美しさではなく、視覚的な美を。私は、田中氏の『MOVEMENT』に、美を感じる。美を見ている。それは田中氏にとって本意ではないかもしれない。荒涼とした都市。廃虚としての新宿。そうしたものは、連想に過ぎないだろうから。だが、田中氏には申し訳ないながら、音響によって生じる視覚体験というものがあり、それは特に詩があるからだが、音の力によって実に具体的に、まざまざと見えてくる風景がある。『瓦礫の王』は、特にその相乗効果を意識して書いた。
『MOVEMENT 声と2台ピアノのためのムーヴメント~木部与巴仁「亂譜」に依る』
■ 第3回 トロッタの会
2007年5月27日(日)
会場・タカギクラヴィア 松濤サロン
【解説】MOVEMENTとは、「運動」「楽章」「詩の律動的な調子」と云った程の意の語です。此の作品では、7拍子を核とした律動により、詩の趣意を表現したいと考えました。
また、作詩者の提案をうけて、独唱歌曲の伴奏を2台ピアノとしたのは、危険な冒険であり、些かの不安を禁じ得ないのでした。(田中修一)
【付記】何といっても『MOVEMENT』はここから出発したので、思い出に残る。2台ピアノに対しては、何も2台使わなくてもという批判がある。私の提案なのだが、勘違いであれ、ものの量感を作ろうとする態度を認めたいと、常々思っている。それに応えてくれた田中氏に感謝している。再演できればと思う。--2台ピアノを提案したのは私だとすっかり思いこんでいたが、田中氏の発案であった。「洪水」第1号の、私、田中氏、橘川琢との話し合いで、田中氏が述べている。話し合いの日は、2007年5月28日、まさに『MOVEMENT』初演の翌日であった。田中氏がいうような言い方を私がしたか疑問だが、彼なりの受け止め方なので、私はそのままでいい。この貴重な記録を残してくださいました、「洪水」編集長の池田康さんにお礼を申し上げます。
「トロッタの会の第一回のときに『立つ鳥は』という、伊福部昭先生にささげる追悼の曲をやりましたが、そのリハーサルを終わった後、木部さんと一杯飲んで、そのときに『亂譜』書きます、少しずつスケッチを進めていますという話をして、だけどピアノだけだと物足りないなと言い、木部さんもなにか伴奏つけたらボリューム出るよねと言う。チェロとかコントラバスも面白いけど、打楽器とかもいいんじゃないかと一瞬思った。だけど打楽器だと練習で楽器を持ち込まなきゃいけないとか大変でコストがかかる。冗談半分で、二台ピアノというのも面白いねと僕が言ったんです。まさか二台ピアノの独唱歌曲なんていままで聞いたこともない、そんなものは絶対言わないだろうと思ったら、木部さんが、おう、それやろう、面白いじゃないかと。一台ピアノで書いたら手抜きしたと見なすぞと言うので、じゃあ二台ピアノでということになったんです。書いてみると、ああ面白いなと思うようになってきました」
*
『MOVEMENTムーヴメント~木部与巴仁「亂譜」に依る』
■ 第9回 トロッタの会
2009年9月27日(日)
会場・エレクトーンシティ渋谷
【解説】MOVEMENTとは、「運動」「楽章」「詩の律動的な調子」と云った程の意の語です。此の作品では、7拍子を核とした律動により、詩の趣意を表現したいと考えました。
この度、木部与巴仁氏より、電子オルガンを使用した作品を、と云う依頼をうけ、『声と2台ピアノのためのムーヴメント〜木部与巴仁「亂譜」に依る(2007年作曲)』を、声とピアノ、打楽器、電子オルガンのために編作しました。(田中修一)
【付記】思いがけず『MOVEMENT』が復活することになった。ただし2台ピアノ版ではなく、電子オルガン版として。エレクトーンシティでトロッタを開くという大前提があったので、田中氏も電子オルガンを使ったのだ。録音を改めて聴くと、これはすばらしい曲である。電子オルガンの音色が、世界を格段に大きくしている。生音の楽器で演奏できればなおいいのだろうが、電子オルガンの特性を、田中氏はよく生かしたと思う。編作だから、2台ピアノ版と同じ世界なのだが(詩はもちろん同じ)、別の世界が現われている。楽器によって違う世界が生じるという、当たり前のことを実感させてくれる。二曲の間に、2年と4か月の歳月があり、5回のトロッタがあった。田中氏とは、いろいろな思いの交錯があった。通じるところがあり、通じないところがあった。しかし、その上でつきあう努力をすれば、曲が生まれるということを、私自身、学んだ。仮に、たった今、トロッタが終わり何もかも断ち切られても、曲は残る。知らない時代に、知らないところで、知らない誰かが『MOVEMENT』を演奏するかもしれない。萩原朔太郎も、まさか一世紀近い後に、私たちが、自身の曲をめぐって会話しているなど、思いも寄らなかったであろう。不思議だ。
*
『MOVEMENT No.2 ムーヴメントNo.2 木部与巴仁「亂譜 瓦礫の王」に依る』
MOVEMENT No.2 (poem by Kibe Yohani “RAN-FU, Gwareki no Wau”)for 2Voices, Marimba and Piano
■ 第11回 トロッタの会
2010年3月5日(金)
会場・スタジオ ヴィルトゥオージ
【解説】「No.2」、第二番と名づけられたことで、『MOVEMENT』のシリーズ化が決まった。曲の世界が掘り下げられ、大きくなろうとしている。実のところ意外だったが、作曲家・田中修一氏に、そのような息の長い心の働きがあると知って、彼に対する認識を改めた。僭越だが、すばらしい。トロッタに、第一回から参加し続けているだけのことはある。一番の詩は『亂譜』、二番の詩は『亂譜 瓦礫の王』である。まず、荒涼とした都市の風景を詠み、さらには廃墟で舞う、ひとりの王の姿を詠んだ。力強くも美しい、極限の音楽世界が表現できればよい。(木部与巴仁)
【付記】“瓦礫の王”とは、私は学生時代から温めていた言葉だ。あるテーマを小説か評論にしたいと思っていたが、それができず、詩になった。初めに思っていた形ではものにならず、別の形を得て世に現われる、ということがしばしばあると思う。私の場合、同様の作品に、酒井健吉氏によって作曲された『水の女』がある。田中氏や酒井氏たち、トロッタの作曲家、そして演奏家たちによって、私は自分の思いを形にできた。感謝している。
前作の詩『亂譜』は、瓦礫になった、想像上の新宿を詠んでいる。荒涼とした美しさを表現したいと思った。今回はそこに、ひとりの王を立たせた。王という存在は、現実的には好きではない。支配者だからだ。しかし、支配者の孤独には関心がある。『MOVEMENT』が初演されたのと同じトロッタ3で、私は『大公は死んだ』という詩を発表した。これはトロッタ6において、田中氏の曲『「大公は死んだ」附 ルネサンス・リュートの為の「鳳舞」』になった。またトロッタ12では、ヘンリー八世の曲によった詩唱曲を発表した。大公の詩は、シリーズ化したいと思いながら果たせないでいる。音楽から美しさを想像できるか? 演奏の美しさではなく、視覚的な美を。私は、田中氏の『MOVEMENT』に、美を感じる。美を見ている。それは田中氏にとって本意ではないかもしれない。荒涼とした都市。廃虚としての新宿。そうしたものは、連想に過ぎないだろうから。だが、田中氏には申し訳ないながら、音響によって生じる視覚体験というものがあり、それは特に詩があるからだが、音の力によって実に具体的に、まざまざと見えてくる風景がある。『瓦礫の王』は、特にその相乗効果を意識して書いた。
トロッタ15全詩解説『MOVEMENT No.6 海猫』(作曲/田中修一).1
田中修一氏の『ムーヴメント6 海猫』について、書く。この曲が、6曲目となる「ムーヴメント」シリーズの最新作だと思うと、どうしても過去を振り返っておく必要にかられる。昨年来、田中氏の作品を整理したり、「ムーヴメント」全曲を収めたDVDを創るなどしたことも、その全体性を考えようとする態度につながっているのだろう。「ムーヴメント」の歩みを、田中氏の作品一覧から抜粋する(酒井健吉氏の表と同じく、クリックすると拡大される)。
誰にとっても同じだが、作曲をする風景、場所というものがある。
私は「ギターの友」の連載原稿のため、田中修一氏の家を訪れた。
書斎に通された。
彼は引っ越しをしたから、二か所を訪ねたのだが、どちらの部屋も似ていた。
大きな窓に面して机がある。
見晴らしがよく、実に整然と片づけられている。
余分なものがひとつもない。
散らかっていて余分なものだらけの私の部屋とはまるで異なる。
うらやましいと思ったが、私が田中氏の部屋に住めば、たちまち散らかってしまうだろうから同じだ。
その感銘を書いた詩が、『樂園』である。
ここに描写した、ある男の部屋の風景は、そのまま田中氏の書斎だ。
「詩の通信V」第10号に掲載した。
田中氏はその詩を使って、『MOVEMENT ムーヴメントNo.5-木部与巴仁「亂譜 樂園」に依る』を書いた。
田中氏の手法によって、南海の島を描いた詩と音楽になったが、もとの詩は、横浜にある彼の書斎を描写している。
このような極端な違いを、私はおもしろいと思っている。
詩はもはや詩人のものではない。
作曲家によって彼自身のもの、聴く人のものになる。
解釈の違いというより、作曲家が自由になるための、詩は力なのだと思う。
誰にとっても同じだが、作曲をする風景、場所というものがある。
私は「ギターの友」の連載原稿のため、田中修一氏の家を訪れた。
書斎に通された。
彼は引っ越しをしたから、二か所を訪ねたのだが、どちらの部屋も似ていた。
大きな窓に面して机がある。
見晴らしがよく、実に整然と片づけられている。
余分なものがひとつもない。
散らかっていて余分なものだらけの私の部屋とはまるで異なる。
うらやましいと思ったが、私が田中氏の部屋に住めば、たちまち散らかってしまうだろうから同じだ。
その感銘を書いた詩が、『樂園』である。
ここに描写した、ある男の部屋の風景は、そのまま田中氏の書斎だ。
「詩の通信V」第10号に掲載した。
田中氏はその詩を使って、『MOVEMENT ムーヴメントNo.5-木部与巴仁「亂譜 樂園」に依る』を書いた。
田中氏の手法によって、南海の島を描いた詩と音楽になったが、もとの詩は、横浜にある彼の書斎を描写している。
このような極端な違いを、私はおもしろいと思っている。
詩はもはや詩人のものではない。
作曲家によって彼自身のもの、聴く人のものになる。
解釈の違いというより、作曲家が自由になるための、詩は力なのだと思う。
2012年2月24日金曜日
トロッタ15全詩解説『美粒子』(作曲/酒井健吉).4
酒井健吉氏の表現ジャンルに、“室内楽劇”がある。酒井氏によると、それは「物語性が強い内容を持ち、詩唱とともに歌唱が非常に重要な作品」である。
2008年8月22日(金)に『海の幸 青木繁に捧ぐ』を長崎で初演した折り、私が書いた文章があるので掲載する。トロッタ15の『美粒子』は室内楽劇ではないようだが、酒井氏の作曲態度を知る手がかりにはなるだろう。(8月22日に配布した文章のうち、作曲一覧に手を加えて最新版とした。8月22日以降の作品も掲載してある)
室内楽劇の歩み 詩作者の視点
木部与巴仁
八篇で構成される詩『海の幸 青木繁に捧ぐ』を完成させたのは、ほぼ一年前である。2007年8月17日(金)に第一篇「放浪 *『大穴牟知命』に寄せて」を、8月24日(金)に最終篇「終 *『女の顔』」を書いた。一日一篇の進行であった。『海の幸』が“室内楽劇”として初演されるのは、詩の完成からほぼ一年を経てのこととなる。
“室内楽劇”。作曲の酒井健吉氏が命名した、音楽の様式である。『海の幸』初演のチラシに、酒井氏の言葉がある。
室内楽劇について 。
「名前だけ見るとただの室内オペラではないかと思われるだろう。しかし通常のオペラと決定的に違う点がある。それは全編に朗読が入っていて非常に重要な役割を担っていることである。(中略)私や詩を書いた木部さんは朗読も音楽の一部、朗読者は楽器と考える。この歌手と朗読、器楽アンサンブルのスタイルは私にとって物語性のあるものを表現するのにとても自然体に作曲ができるものになった」
酒井氏が初めて“室内楽劇”という言葉を用いたのは、2007年7月22日(日)、名古屋市音楽プラザで行なわれた名フィル・サロンコンサート「詩と音楽2007」において、『天の川』を初演した時である。現在に至るまでの、私と酒井氏の共同作業を見よう。大幅な改訂を施さない再演は省略した。
朗読を伴う作品は10曲、歌を伴う作品は5曲になる。
東京を舞台に、作曲家や演奏家と、「トロッタの会」を共同で運営している。“詩と音楽を歌い、奏でる”と銘打つもので、酒井氏の他、これまでに橘川琢、清道洋一、田中修一、松木敏晃、宮﨑文香、Fabrizio FESTAの各作曲家が参加した。そのどなたもが、朗読か歌を伴う曲を創っている。2007年2月25日(日)、第一回演奏会のチラシに記しておいた。
「詩は、歌うものでしょうか? 奏でるものでしょうか? 答えは出ませんが、ただ読むだけのものにはしたくありません。少なくとも黙読には終わらせたくない。声に出して詠むうち、詠み手だけのリズムが生まれ、原初のリズムが生じる。そして楽器とともに詠み、あるいは他の声と重ねることで、ハーモニーもまた生まれる。それは音楽と呼べないのでしょうか、と問いたいのです」
この答えは出ていない。しかし、問う前から出ているともいえる。音楽と呼べるのだ。酒井氏との実践、「トロッタの会」を通じた作曲家たちとの実践が、すでに答えである。演奏会を開いているのだから。その過程で、酒井氏は“室内楽劇”という言葉を発想し、他にも橘川琢氏は“詩歌曲”という言葉を用い、自身の様式とした。さらにいえば、そうした言葉を用いないことが、ある作曲家にとっては答え。様式化するまでもない、ということになる。
厳密にいえば、トロッタの問いに答えは出ているものの、言葉による裏づけ、こうだから詩は音楽になるという他者への説得性は、いまだ持ちえていないと感じる。しかし、それは必要だろうか。私や作曲家、演奏家が考えるものだろうか。時間が回答するに違いない。また、裏づけに時間を費やすくらいなら、私は一つでも多くの曲で詠み、詠(うた)いたい。酒井氏との新たな共同作品として、9月には『水にかえる女』の、演奏を弦楽四重奏にした改訂版。11月には朗読を伴う新曲『庭鳥、飛んだ』。2009年1月には『祈り 鳥になったら』のオーケストラによる改訂版を演奏する。さらに『海の幸』は、2009年の夏、東京での演奏を予定している。
この原稿を書いている間、酒井健吉氏は“室内楽劇”の作曲を行なっている。私もまた、いつかは音楽になるための詩を構想し、書いている。そのための紙上の舞台、「詩の通信III」の、今日は発行日である。これから先、どんな“室内楽劇”が生まれるか。私も知らない私自身の心に、まだ見たことのない形がある。
2008.8.18(月)
2008年8月22日(金)に『海の幸 青木繁に捧ぐ』を長崎で初演した折り、私が書いた文章があるので掲載する。トロッタ15の『美粒子』は室内楽劇ではないようだが、酒井氏の作曲態度を知る手がかりにはなるだろう。(8月22日に配布した文章のうち、作曲一覧に手を加えて最新版とした。8月22日以降の作品も掲載してある)
室内楽劇の歩み 詩作者の視点
木部与巴仁
八篇で構成される詩『海の幸 青木繁に捧ぐ』を完成させたのは、ほぼ一年前である。2007年8月17日(金)に第一篇「放浪 *『大穴牟知命』に寄せて」を、8月24日(金)に最終篇「終 *『女の顔』」を書いた。一日一篇の進行であった。『海の幸』が“室内楽劇”として初演されるのは、詩の完成からほぼ一年を経てのこととなる。
“室内楽劇”。作曲の酒井健吉氏が命名した、音楽の様式である。『海の幸』初演のチラシに、酒井氏の言葉がある。
室内楽劇について 。
「名前だけ見るとただの室内オペラではないかと思われるだろう。しかし通常のオペラと決定的に違う点がある。それは全編に朗読が入っていて非常に重要な役割を担っていることである。(中略)私や詩を書いた木部さんは朗読も音楽の一部、朗読者は楽器と考える。この歌手と朗読、器楽アンサンブルのスタイルは私にとって物語性のあるものを表現するのにとても自然体に作曲ができるものになった」
酒井氏が初めて“室内楽劇”という言葉を用いたのは、2007年7月22日(日)、名古屋市音楽プラザで行なわれた名フィル・サロンコンサート「詩と音楽2007」において、『天の川』を初演した時である。現在に至るまでの、私と酒井氏の共同作業を見よう。大幅な改訂を施さない再演は省略した。
朗読を伴う作品は10曲、歌を伴う作品は5曲になる。
東京を舞台に、作曲家や演奏家と、「トロッタの会」を共同で運営している。“詩と音楽を歌い、奏でる”と銘打つもので、酒井氏の他、これまでに橘川琢、清道洋一、田中修一、松木敏晃、宮﨑文香、Fabrizio FESTAの各作曲家が参加した。そのどなたもが、朗読か歌を伴う曲を創っている。2007年2月25日(日)、第一回演奏会のチラシに記しておいた。
「詩は、歌うものでしょうか? 奏でるものでしょうか? 答えは出ませんが、ただ読むだけのものにはしたくありません。少なくとも黙読には終わらせたくない。声に出して詠むうち、詠み手だけのリズムが生まれ、原初のリズムが生じる。そして楽器とともに詠み、あるいは他の声と重ねることで、ハーモニーもまた生まれる。それは音楽と呼べないのでしょうか、と問いたいのです」
この答えは出ていない。しかし、問う前から出ているともいえる。音楽と呼べるのだ。酒井氏との実践、「トロッタの会」を通じた作曲家たちとの実践が、すでに答えである。演奏会を開いているのだから。その過程で、酒井氏は“室内楽劇”という言葉を発想し、他にも橘川琢氏は“詩歌曲”という言葉を用い、自身の様式とした。さらにいえば、そうした言葉を用いないことが、ある作曲家にとっては答え。様式化するまでもない、ということになる。
厳密にいえば、トロッタの問いに答えは出ているものの、言葉による裏づけ、こうだから詩は音楽になるという他者への説得性は、いまだ持ちえていないと感じる。しかし、それは必要だろうか。私や作曲家、演奏家が考えるものだろうか。時間が回答するに違いない。また、裏づけに時間を費やすくらいなら、私は一つでも多くの曲で詠み、詠(うた)いたい。酒井氏との新たな共同作品として、9月には『水にかえる女』の、演奏を弦楽四重奏にした改訂版。11月には朗読を伴う新曲『庭鳥、飛んだ』。2009年1月には『祈り 鳥になったら』のオーケストラによる改訂版を演奏する。さらに『海の幸』は、2009年の夏、東京での演奏を予定している。
この原稿を書いている間、酒井健吉氏は“室内楽劇”の作曲を行なっている。私もまた、いつかは音楽になるための詩を構想し、書いている。そのための紙上の舞台、「詩の通信III」の、今日は発行日である。これから先、どんな“室内楽劇”が生まれるか。私も知らない私自身の心に、まだ見たことのない形がある。
2008.8.18(月)
トロッタ日記日記120213-16(*前回投稿の日記に先立つ)
2月13日(月)、(*kibeyohaniのツイッターと重複するが音楽関係にしぼって記す)ギタリスト深沢七郎との出会い。代々木上原の古書店ロスパペロテスで、深沢七郎の『深沢ギター教室』を初めて手にした。アリステア・マクラウドの本を買いに行ったがそれはなく、代わりが深沢七郎(マクラウドの本3冊はamazonで古書を注文した)。深沢七郎がギターを弾いて日劇ミュージックホールに出ていたことは知っていたが、このようなクラシックギターの教本を著すほどのギタリストとはまったく知らなかった。昨年は山梨県立文学館で深沢七郎の企画展が開催され、何度もチラシを手にしていたのに、自分には関係ないと思い、行かなかった(深沢七郎について知っていたら、間違いなく文学館に行っただろう)。『深沢ギター教室』は2100円だったので、この日は買わず。しかし、オークションや古書店のネット販売を見ると、軽く4000円以上するもの。2100円は安いとわかり、買うしかないと思う。
萩原朔太郎の“詩と音楽”演奏会準備のため、前橋文学館に行かなければと思う。演奏会の準備というより、まだ考えをあたためる過程である。早ければ明日14日(火)に行けると思うが、ほとんど準備していないので、それは取りやめ。前橋に行くなら、市中をまわりたい。朔太郎の詩が生まれた土地を肌で感じたい。深沢七郎同様、朔太郎もギタリストであった。マンドリンと一緒に弾いた。演奏会プログラムには「ギター 萩原氏」などと出ている。ギターやマンドリンを弾きながら詩を詠むこともあったかもしれない。室生犀星の『野火』は、朔太郎自身が旋律化しているほどだ。自作の詩を歌などにした記録はないと思うが、遠く時間が経って、田中修一氏が作曲しているので、朔太郎の“詩と音楽”は、彼の手は直接加わっていないが、間接的にせよ、絶えずに継続されているテーマだといえる。継続されているということを、演奏会で打ち出したい。
2月14日(火)、久しぶりとなる花の新作詩『花首』を完成させ、上野雄次氏と橘川琢氏に送信。曲になればいいが、ならなくてもよい(約束はしていないという意味)。作曲されればもちろんよい。詩の自立性を考えれば、旋律やリズムのために、言葉をゆがめることはない。ただ、共同作業が前提であるなら、あえて言葉への制限を引き受けようと思う。旋律に乗せるのが苦しい言葉に固執しようとは思わない。作曲家に苦しみを引き受けさせようとは思わない。花の詩は、次々に書いていきたい。しかし、無理な状況だ。新鮮さが失われているのかと思っている。その反省もあって、何か書きたいと思ったのだ。上野氏が関係するふたつのイベント、花のバトルと花会を経て、詩になった。上野氏以前に意識していた花道家、中川幸夫のこと、花だけでなく美術作品から受ける詩への影響など、考えることは無数にある(船越桂、有元利夫の作品も、私に詩が書けるかもしれないという気持ちを強く起こさせる)。
結局、この日は前橋に行かず、部屋の整理を始める。明日のレッスンの準備すらしていない。ロルカについても勉強しなければ。“Zorongo”の詩はロルカが書いたというが、詩集に載っているのか? 載っているという話だが、全集をめくっても見つからない。ロルカ伴奏によるアルヘンティーナの歌唱の、早口言葉のように速いこと! これを私はどう歌う? テーマだけ増えて、ひとつひとつが深まらない焦り。午前2時過ぎまで起きていたが、何も進まなかった。
2月15日(水)、練習不足のまま、ロルカの“Zorongo”をレッスンしていただく。全然駄目だと思う。このような歌は、ばかにする意味ではなくできるはずもないが、ギターを弾きながらさっと歌いたいものだ。それでこそ味わいが生まれる歌であるはず(考え違いかもしれない。練習はしているが、すればするほど、本来の形から離れていく気がする。しかし、民謡の歌い手も、世界のどこであれ練習しているわけで、その上で他人に聴いてもらっているので、練習が不要のはずはない。練習の仕方が違っているのか? 私の心構えが違っているのか?)。
『深沢ギター教室』がどうしても欲しくなり、古書店ロスパペロテスに予約。気がつけば、ロスパペロテスはロルカの朗唱者、天本英世氏が連絡場所にしていた喫茶店があるビルに入っていた。この店で何度か、天本氏と打ち合わせさせていただいた。形にできなかったが。それは無念だ。無念さを、自分で晴らそうとする。それがトロッタの根にある。ロスパペロテスの玄関まで50cmと接近した瞬間、ギタリストの萩野谷英成氏からメールが届く。文面は、『深沢ギター教室』を代わりに買ってほしい、というもの。彼が注目するのは当然だが、このタイミングでメールが届いたことに驚く。思いが一致したわけで、このような偶然、必然は逃したくない。
これに先立ち、山梨県立文学館に電話して、展覧会「深沢七郎の文学 『楢山節考』ギターの調べとともに」の図録と関連資料1点を注文。料金も、即刻支払った。気分が高揚し、田中修一氏の歌曲『鳥ならで』を弾く。田中氏が、私にこの曲を与えてくれたことを奇跡のように思う。いや、私の詩による詩唱曲、歌曲は、すべて奇跡のようなもので、作曲の皆さんには感謝してもしきれないのだが(同時に、詩を書いた者として背負うべき荷であると思っている。負うことを引き受けるべき荷だ)、『鳥ならで』はギター曲であるだけにありがたいと思う。難しいと弾けないのだが、『鳥ならで』なら何とか、いや、この曲すら駄目なのだ。『鳥ならで』が弾けるようになれば、次は朔太郎の詩による『遺傳』。さらには朔太郎の『ぎたる弾くひと』に触発されて書いた、ギタリスト石井康史氏の追悼曲『ギター弾く人』も。道は遠いが、どこかで加速させ、次々に弾いていきたい。西荻窪・奇聞屋の朗読会が行われた日だが、忘れて行けなかった。たるんでいると思う。私にとって、大事な拠点ではないか。だが、たった今あるすべてをこなしきれないのも事実。言い訳だろう。前橋文学館学芸員の小林氏とメールで連絡を取り合い、明日16日(木)に、おそらく、行くことにする。深夜になっても態度決まらず。しかし、準備不足でも行ける時に行くしかない。
2月16日(木)、8時32分、阿佐ケ谷から中央線で上野をめざす。9時37分、上野発高崎行きに乗車。高崎には11時16分に着く予定。10時05分、大宮発。友人のいる上尾を経て、10時22分鴻巣着。熊谷、岡部、本庄を経て、籠原で車輛切り離しのため乗り換え。榛名山を遠望する。竹下夢二で親しんだ山だが、遠くてもきちんと見るのは初めてかもしれない。11時26分高崎発、両毛線伊勢崎行きに乗り換えて前橋へ。46分前橋着。シャトルバスに乗って中央前橋駅に行く。広瀬川沿いを歩いて文学館へ。小林氏の導きを受け、展示室、ホールを見学。閲覧室にて、朔太郎の自筆譜、プログラム、メモ、ノートなど、音楽資料をすべて撮影。15時半ごろ終了。3時間半の作業だったが、空腹も手伝ってふらふらになる。市中をめぐるのは次の機会にしよう。車がなく、バスは頻繁になく、タクシーをやとうお金もない(いっそ、一泊した方が安いかもしれない)。道がわかったので、徒歩で前橋駅まで戻る。16時04分発の電車で高崎に戻り、21分発の上野行きに乗った。今度は上野回りでなく、赤羽で乗り換えて新宿に向かう。16時54分に籠原発。日が長くなって、まだ外は明るい。
萩原朔太郎の“詩と音楽”演奏会準備のため、前橋文学館に行かなければと思う。演奏会の準備というより、まだ考えをあたためる過程である。早ければ明日14日(火)に行けると思うが、ほとんど準備していないので、それは取りやめ。前橋に行くなら、市中をまわりたい。朔太郎の詩が生まれた土地を肌で感じたい。深沢七郎同様、朔太郎もギタリストであった。マンドリンと一緒に弾いた。演奏会プログラムには「ギター 萩原氏」などと出ている。ギターやマンドリンを弾きながら詩を詠むこともあったかもしれない。室生犀星の『野火』は、朔太郎自身が旋律化しているほどだ。自作の詩を歌などにした記録はないと思うが、遠く時間が経って、田中修一氏が作曲しているので、朔太郎の“詩と音楽”は、彼の手は直接加わっていないが、間接的にせよ、絶えずに継続されているテーマだといえる。継続されているということを、演奏会で打ち出したい。
2月14日(火)、久しぶりとなる花の新作詩『花首』を完成させ、上野雄次氏と橘川琢氏に送信。曲になればいいが、ならなくてもよい(約束はしていないという意味)。作曲されればもちろんよい。詩の自立性を考えれば、旋律やリズムのために、言葉をゆがめることはない。ただ、共同作業が前提であるなら、あえて言葉への制限を引き受けようと思う。旋律に乗せるのが苦しい言葉に固執しようとは思わない。作曲家に苦しみを引き受けさせようとは思わない。花の詩は、次々に書いていきたい。しかし、無理な状況だ。新鮮さが失われているのかと思っている。その反省もあって、何か書きたいと思ったのだ。上野氏が関係するふたつのイベント、花のバトルと花会を経て、詩になった。上野氏以前に意識していた花道家、中川幸夫のこと、花だけでなく美術作品から受ける詩への影響など、考えることは無数にある(船越桂、有元利夫の作品も、私に詩が書けるかもしれないという気持ちを強く起こさせる)。
結局、この日は前橋に行かず、部屋の整理を始める。明日のレッスンの準備すらしていない。ロルカについても勉強しなければ。“Zorongo”の詩はロルカが書いたというが、詩集に載っているのか? 載っているという話だが、全集をめくっても見つからない。ロルカ伴奏によるアルヘンティーナの歌唱の、早口言葉のように速いこと! これを私はどう歌う? テーマだけ増えて、ひとつひとつが深まらない焦り。午前2時過ぎまで起きていたが、何も進まなかった。
2月15日(水)、練習不足のまま、ロルカの“Zorongo”をレッスンしていただく。全然駄目だと思う。このような歌は、ばかにする意味ではなくできるはずもないが、ギターを弾きながらさっと歌いたいものだ。それでこそ味わいが生まれる歌であるはず(考え違いかもしれない。練習はしているが、すればするほど、本来の形から離れていく気がする。しかし、民謡の歌い手も、世界のどこであれ練習しているわけで、その上で他人に聴いてもらっているので、練習が不要のはずはない。練習の仕方が違っているのか? 私の心構えが違っているのか?)。
『深沢ギター教室』がどうしても欲しくなり、古書店ロスパペロテスに予約。気がつけば、ロスパペロテスはロルカの朗唱者、天本英世氏が連絡場所にしていた喫茶店があるビルに入っていた。この店で何度か、天本氏と打ち合わせさせていただいた。形にできなかったが。それは無念だ。無念さを、自分で晴らそうとする。それがトロッタの根にある。ロスパペロテスの玄関まで50cmと接近した瞬間、ギタリストの萩野谷英成氏からメールが届く。文面は、『深沢ギター教室』を代わりに買ってほしい、というもの。彼が注目するのは当然だが、このタイミングでメールが届いたことに驚く。思いが一致したわけで、このような偶然、必然は逃したくない。
これに先立ち、山梨県立文学館に電話して、展覧会「深沢七郎の文学 『楢山節考』ギターの調べとともに」の図録と関連資料1点を注文。料金も、即刻支払った。気分が高揚し、田中修一氏の歌曲『鳥ならで』を弾く。田中氏が、私にこの曲を与えてくれたことを奇跡のように思う。いや、私の詩による詩唱曲、歌曲は、すべて奇跡のようなもので、作曲の皆さんには感謝してもしきれないのだが(同時に、詩を書いた者として背負うべき荷であると思っている。負うことを引き受けるべき荷だ)、『鳥ならで』はギター曲であるだけにありがたいと思う。難しいと弾けないのだが、『鳥ならで』なら何とか、いや、この曲すら駄目なのだ。『鳥ならで』が弾けるようになれば、次は朔太郎の詩による『遺傳』。さらには朔太郎の『ぎたる弾くひと』に触発されて書いた、ギタリスト石井康史氏の追悼曲『ギター弾く人』も。道は遠いが、どこかで加速させ、次々に弾いていきたい。西荻窪・奇聞屋の朗読会が行われた日だが、忘れて行けなかった。たるんでいると思う。私にとって、大事な拠点ではないか。だが、たった今あるすべてをこなしきれないのも事実。言い訳だろう。前橋文学館学芸員の小林氏とメールで連絡を取り合い、明日16日(木)に、おそらく、行くことにする。深夜になっても態度決まらず。しかし、準備不足でも行ける時に行くしかない。
2月16日(木)、8時32分、阿佐ケ谷から中央線で上野をめざす。9時37分、上野発高崎行きに乗車。高崎には11時16分に着く予定。10時05分、大宮発。友人のいる上尾を経て、10時22分鴻巣着。熊谷、岡部、本庄を経て、籠原で車輛切り離しのため乗り換え。榛名山を遠望する。竹下夢二で親しんだ山だが、遠くてもきちんと見るのは初めてかもしれない。11時26分高崎発、両毛線伊勢崎行きに乗り換えて前橋へ。46分前橋着。シャトルバスに乗って中央前橋駅に行く。広瀬川沿いを歩いて文学館へ。小林氏の導きを受け、展示室、ホールを見学。閲覧室にて、朔太郎の自筆譜、プログラム、メモ、ノートなど、音楽資料をすべて撮影。15時半ごろ終了。3時間半の作業だったが、空腹も手伝ってふらふらになる。市中をめぐるのは次の機会にしよう。車がなく、バスは頻繁になく、タクシーをやとうお金もない(いっそ、一泊した方が安いかもしれない)。道がわかったので、徒歩で前橋駅まで戻る。16時04分発の電車で高崎に戻り、21分発の上野行きに乗った。今度は上野回りでなく、赤羽で乗り換えて新宿に向かう。16時54分に籠原発。日が長くなって、まだ外は明るい。
トロッタ15全詩解説『美粒子』(作曲/酒井健吉).3
酒井健吉氏との、『美粒子』をめぐる架空の対話。
【木部】 私が『美粒子』を発行したのは、2006年の10月です。当時の電子メールを確認したら、10月28日に印刷所から手元に送られて来ていました。写真家で、映像集団ゴールデンシットの一員だった木村恵多さんの写真4点を見ることで、詩の気持ちをかきたてて行きました。木村さんは、『新宿に安土城が建つ』を一緒に公演した仲間です。私が日本工学院専門学校で教えていた時の学生だったのですが、卒業したら、古い関係はもう捨てて、表現者同志で何ができるかを考えました。先日、『美粒子』を書いていたころのメモが出てきたのです。木村さんの写真をカラーコピーし、それに白紙を貼り足して、詩の言葉をいっぱいに書いていました。その言葉を削って、最終的な形にしたということを思い出しました。
【酒井】 2006年というと、木部さんの詩による『トロッタで見た夢』は、前の年の2005年に、もう書きあげて8月に初演していました。続いて、2006年の2月には、やはり木部さんの詩で『夜が吊るした命』を初演。7月には『兎が月にいたころ』と『ひよどりが見たもの』を初演しています。そうした流れの中で、秋に送っていただいた『美粒子』も、曲にしたいと思っていましたね。トロッタが始まるのは2007年2月です。1月には、やはり木部さんの詩で『雪迎え/蜘蛛』を初演しています。“詩と音楽”の活動が始まろうとするころの詩なんですね。
【木部】 詩を書いてから、7年経って、トロッタ15で曲になるわけです。この詩は、さっきいったように、写真を見て書いたもので、私の中に何かがすでにあってできたものではありません。視覚的に反応して生まれた、純粋な言葉といえるでしょう。不純な言葉とは何かというと、先にいいたいことがあって、それを説明する道具になってしまった言葉です。言葉には説明の役目も大きいので、否定はしませんが、やはり純粋な言葉こそ、拙くても美しいといえましょう。存在の仕方が美しいと思います。伊福部昭先生がよくおっしゃっていた言葉に純音楽というものがあって、じゃあ不純な音楽とは? とよく質問して、いまだにはっきりした答えは出てないと思いますが、それが自分のことだと、純粋な言葉などといってしまいます。でも、そうとしかいえないと思います
【酒井】 『美粒子』がどのような作品になるか、作曲者の僕にも最終的なことはわかりません。できるだけ早く書きたいと思いますが。今は、次のような点に注意して作曲をしているところです。まず、木部さんによる詩唱パートがあり、独自の相対的記譜法によって、曲全体に変化を与えてゆくものとします。そして詩唱には、母音唱法による歌唱があります。
【木部】 私は歌うわけですか!?
【酒井】 歌ってください。『天の川』でも、かささぎの歌を歌ったじゃありませんか。
【木部】 努力しましょう。
【酒井】 器楽パートについては、まずオーボエには独奏楽器としての役割を持たせます。オーボエが、ヴァイオリン2挺、ヴィオラ、チェロ、コントラバスとピアノによるピアノ六重奏と協奏し、これを軸にしながら詩唱がからんでゆくことで、ふたつのソロパートを持つ、ドッペルコンチェルトとしての性格を明らかにしてゆくのです。
【木部】 オーボエは、酒井さんが長崎から呼んでくださる、西川千穂さんですね。長崎には懐かしさがあります。それこそ“詩と音楽”の初期にはよく行きました。酒井さんと同じく宮﨑文香さんも長崎で、トロッタは長崎に縁が深いと思っています。もう一方で縁が深いのは、北海道ですが。
【酒井】 西川さんのことは楽しみにしていてください。上手なオーボエ奏者ですよ。作曲者の心構えとしては、『美粒子』を詩唱パートのある純音楽として作っています。木部さんが先ほど、詩の『美粒子』は純粋な言葉として書いたとおっしゃいましたが……。
【木部】 誤解を生むかもしれませんが、純粋じゃない詩は、ありえないでしょうね。
【酒井】 僕の曲も、純粋な音楽です。決して、何かを説明するためにあるのではありません。
【木部】 『天の川』のような曲だと物語がありますから、それを説明するための詩、言葉という側面もあるのですが、『美粒子』は視覚性だけで物語がありませんから、純粋性は高いでしょうね。本当に、説明のための言葉は嫌です。目的することが説明になってしまいます。詩に中身など、なくていいと思います。言葉だから意味はあるのですが、意味からも自由になった言葉が並んでいればいい。言葉が意味をなくした時、生まれてくる意味は、読み手や聴き手という、受け手側が自由に抱くものになるでしょうね。それこそ美粒子のような言葉が、生まれて消えればいいんじゃないかと思います。
【酒井】 僕が今いえることは、こんなところですね。どんな形になるか、僕自身が楽しみですよ。
【木部】 私が『美粒子』を発行したのは、2006年の10月です。当時の電子メールを確認したら、10月28日に印刷所から手元に送られて来ていました。写真家で、映像集団ゴールデンシットの一員だった木村恵多さんの写真4点を見ることで、詩の気持ちをかきたてて行きました。木村さんは、『新宿に安土城が建つ』を一緒に公演した仲間です。私が日本工学院専門学校で教えていた時の学生だったのですが、卒業したら、古い関係はもう捨てて、表現者同志で何ができるかを考えました。先日、『美粒子』を書いていたころのメモが出てきたのです。木村さんの写真をカラーコピーし、それに白紙を貼り足して、詩の言葉をいっぱいに書いていました。その言葉を削って、最終的な形にしたということを思い出しました。
【酒井】 2006年というと、木部さんの詩による『トロッタで見た夢』は、前の年の2005年に、もう書きあげて8月に初演していました。続いて、2006年の2月には、やはり木部さんの詩で『夜が吊るした命』を初演。7月には『兎が月にいたころ』と『ひよどりが見たもの』を初演しています。そうした流れの中で、秋に送っていただいた『美粒子』も、曲にしたいと思っていましたね。トロッタが始まるのは2007年2月です。1月には、やはり木部さんの詩で『雪迎え/蜘蛛』を初演しています。“詩と音楽”の活動が始まろうとするころの詩なんですね。
【木部】 詩を書いてから、7年経って、トロッタ15で曲になるわけです。この詩は、さっきいったように、写真を見て書いたもので、私の中に何かがすでにあってできたものではありません。視覚的に反応して生まれた、純粋な言葉といえるでしょう。不純な言葉とは何かというと、先にいいたいことがあって、それを説明する道具になってしまった言葉です。言葉には説明の役目も大きいので、否定はしませんが、やはり純粋な言葉こそ、拙くても美しいといえましょう。存在の仕方が美しいと思います。伊福部昭先生がよくおっしゃっていた言葉に純音楽というものがあって、じゃあ不純な音楽とは? とよく質問して、いまだにはっきりした答えは出てないと思いますが、それが自分のことだと、純粋な言葉などといってしまいます。でも、そうとしかいえないと思います
【酒井】 『美粒子』がどのような作品になるか、作曲者の僕にも最終的なことはわかりません。できるだけ早く書きたいと思いますが。今は、次のような点に注意して作曲をしているところです。まず、木部さんによる詩唱パートがあり、独自の相対的記譜法によって、曲全体に変化を与えてゆくものとします。そして詩唱には、母音唱法による歌唱があります。
【木部】 私は歌うわけですか!?
【酒井】 歌ってください。『天の川』でも、かささぎの歌を歌ったじゃありませんか。
【木部】 努力しましょう。
【酒井】 器楽パートについては、まずオーボエには独奏楽器としての役割を持たせます。オーボエが、ヴァイオリン2挺、ヴィオラ、チェロ、コントラバスとピアノによるピアノ六重奏と協奏し、これを軸にしながら詩唱がからんでゆくことで、ふたつのソロパートを持つ、ドッペルコンチェルトとしての性格を明らかにしてゆくのです。
【木部】 オーボエは、酒井さんが長崎から呼んでくださる、西川千穂さんですね。長崎には懐かしさがあります。それこそ“詩と音楽”の初期にはよく行きました。酒井さんと同じく宮﨑文香さんも長崎で、トロッタは長崎に縁が深いと思っています。もう一方で縁が深いのは、北海道ですが。
【酒井】 西川さんのことは楽しみにしていてください。上手なオーボエ奏者ですよ。作曲者の心構えとしては、『美粒子』を詩唱パートのある純音楽として作っています。木部さんが先ほど、詩の『美粒子』は純粋な言葉として書いたとおっしゃいましたが……。
【木部】 誤解を生むかもしれませんが、純粋じゃない詩は、ありえないでしょうね。
【酒井】 僕の曲も、純粋な音楽です。決して、何かを説明するためにあるのではありません。
【木部】 『天の川』のような曲だと物語がありますから、それを説明するための詩、言葉という側面もあるのですが、『美粒子』は視覚性だけで物語がありませんから、純粋性は高いでしょうね。本当に、説明のための言葉は嫌です。目的することが説明になってしまいます。詩に中身など、なくていいと思います。言葉だから意味はあるのですが、意味からも自由になった言葉が並んでいればいい。言葉が意味をなくした時、生まれてくる意味は、読み手や聴き手という、受け手側が自由に抱くものになるでしょうね。それこそ美粒子のような言葉が、生まれて消えればいいんじゃないかと思います。
【酒井】 僕が今いえることは、こんなところですね。どんな形になるか、僕自身が楽しみですよ。
トロッタ日記120214-23
2月14日(火)、橘川琢氏と上野雄次氏に花の詩『花首』を書いて送った。
2月15日(水)、歌のレッスン。酒井健吉さんが『美粒子』の作曲方針を送ってくれる。前橋文学館学芸員の小林氏に、氏が教えてくれた日程にもとづき、明日の訪問は無理か尋ねる。明日でもさしつかえなし。
2月16日(木)、萩原朔太郎の“詩と音楽”を求めて前橋に行く。トロッタから派生する、どんな演奏会が開けるか。朔太郎の“詩と音楽”を、(トロッタをよりどころにする)私たちとして、どこまで追究できるか、“詩と音楽”の実践の場にできるか。学芸員の方との打ち合わせ、資料の撮影はしたが、前橋市内の実地調査はできなかった。慣れない遠出で昂奮してしまい、眠れない。無理に寝た。トロッタ15には無縁だが、朔太郎を知ることは、必ずトロッタに生きる。彼は“詩と音楽”の先達だ。
2月17日(金)、お金の支払いが滞っているという連絡がある。愛媛県に出張中の清道洋一氏から、『革命幻想歌2』の稽古をしたいという連絡がある。トロッタ15ご出演の松本満紀子さんから、グループえんのチラシ作りについて相談の連絡がある。それらすべてがトロッタに反映する。日本音楽舞踊会議演奏会のため、清道洋一氏作曲『革命幻想歌2』の準備を始める。遅い?(この日に清道氏から稽古の申し入れがあったのはシンクロ)横滑ナナさんの踊りを観に横浜へ行った。思うこと多し。舞踏に接し続けた20代前半の日々が、今の土台にある。
2月18日(土)、日本音楽舞踊会議演奏会のため、『革命幻想歌2』の稽古を、清道洋一氏、堀江麗奈さんと秋葉原で行う。久しぶりの、芝居の動きだ。早朝に清道洋一氏からメールがあり、10時に秋葉原駅改札口に集合して、『革命幻想歌2』の稽古をしたいという申し入れ。望むところである。ソプラノ大久保雅代さん、ピアノ徳田絵里子さん。トロッタ15に出演する二人の演奏会が、雑司が谷音楽堂で行われた。トロッタの会場として、何度も検討した会場である。今のトロッタはスコットホールで行うが、検討したことも歴史にあってのスコットホールなのだ。つまり、ことの大小を問わず、行った一つ一つが礎となって、トロッタを形成しているということ。何かをすればもちろん、何もしなければ、それがそのままトロッタに反映される。本当は日常のすべてをトロッタに使いたいと思うが、それは不可能。そこに問題がある。清道洋一氏が『革命幻想歌2』の稽古を終えていったこと。トロッタの練習も、これくらい(前から? あるいは細かく? 両方だろう)したい、と。その通りである。間際になっての練習が多すぎる。原因はいろいろだが、日常の行い一つ一つを振り返れば反省できる。トロッタ15についても、本番はまだ先だが、準備、練習ということでは、もう取り返せない遅れが出ていると思う。目に見えなくても。逆に、例えば萩原朔太郎の“詩と音楽”のため前橋に行ったことが、関係なさそうでもトロッタに生きる、というようなことはある筈。山梨県立文学館から深沢七郎展の図録など届く。ギタリストとしての深沢七郎を知ること。これもトロッタに通じる筈。
2月19日(日)、昨日の『革命幻想歌2』の稽古で、喉をいためた。声の出し方がまずいのだ。喉をいためるように出してしまっている。風邪に注意。台詞を覚えなければ。覚えて心と身体から発声し、動きを伴わせれば、喉をいためないと思う。何もできない一日。特に「詩の通信VI」2号分の発行が滞っている。明日は月曜日だが、出せるか? 駄目なら3号分が停滞する。詩はできているというのに。
2月20日(月)土曜日の、『革命幻想歌2』の稽古でいためた喉が少しよくなっている。よくなってほしい。誰のせいでもない。私がいけない。言葉が身体に入っていないのに、大きな声をはりあげたから。歌と芝居の声の出し方は違うと自覚しなければ。誰がしても、同じではないと思う。トロッタの表現についてもいえること。私は歌い、詩唱している。どちらも、私の表現としては詩唱だが、逃げるつもりはない。歌として、まずいと、評価してほしい。かつて、田中修一氏の『遺傳』を歌った時、歌の後の朗読はよい、と書かれた。歌はまずいということだ。
2月21日(火)ほとんど何もできない日。花粉の影響もあって集中できない。部屋を少しだけ整理したら、トロッタ15で初演する、酒井健吉さん作曲『美粒子』の詩を書いていたころのメモが出てきた。木村恵多さんの写真4点を原寸でカラーコピーし、周囲に詩をびっしりと書いていた。酒井健吉さんに、『美粒子』の作曲メモを送ってほしい、原稿にして紹介するからといい、送ってもらったのに肝心の原稿を書いていない。前橋に行くなどするうち、気持ちがばらばらになってしまった。申し訳ない。『美粒子』のメモが出てきたので、これを契機に書こう。トロッタのことではないが、田中修一さんに、山梨県立文学館から届いた深沢七郎の資料をコピーして郵送。深沢七郎について考え、彼が尊敬した作曲家・小栗孝之について考えるなどするうち、ギターを弾きたい気持ちが強まり、田中氏が私の詩をもとに書いてくれた『鳥ならで』を弾いて歌い続ける(下手に)。音はまずいが、時にぞくっとする瞬間がある。曲がいいから。多少ともうまく弾けるようになれば、もっとぞくっとするであろう。これで聴く人をぞくっとさせられればよい。今は、ぞっとさせる段階。できないことが多すぎる。
2月22日(水)ファゴット奏者のTさんと東京音大で会う。出演を引き受けてくださる(新メンバーの名前は、すべて確定するまで匿名とする)。コントラバスの丹野敏広さんと引き合わせる。民族音楽研究所の甲田潤さんとも。新しい方々の演奏の場が広がるなら、私にとっても、新しいメンバーと出会うことで、自分の可能性が広がるのだと思う。次回に出られない方々とも、いつかまた共演したい。生きている限り、共演の機会はやって来るはず。トロッタでなくてもいい。例えば計画中の、萩原朔太郎の“詩と音楽”演奏会でもいい。
2月23日(木)ヴィオラ奏者のHさんと会う相談。これまでヴィオラを弾いてくれていた仁科拓也さんが、次回の出演が無理となったので新たな方を迎える。昨日はファゴットのTさんと会った。いつまでも同じメンバーとはできない、それはまったく好まないのだが。変化を受け入れよう。
2月15日(水)、歌のレッスン。酒井健吉さんが『美粒子』の作曲方針を送ってくれる。前橋文学館学芸員の小林氏に、氏が教えてくれた日程にもとづき、明日の訪問は無理か尋ねる。明日でもさしつかえなし。
2月16日(木)、萩原朔太郎の“詩と音楽”を求めて前橋に行く。トロッタから派生する、どんな演奏会が開けるか。朔太郎の“詩と音楽”を、(トロッタをよりどころにする)私たちとして、どこまで追究できるか、“詩と音楽”の実践の場にできるか。学芸員の方との打ち合わせ、資料の撮影はしたが、前橋市内の実地調査はできなかった。慣れない遠出で昂奮してしまい、眠れない。無理に寝た。トロッタ15には無縁だが、朔太郎を知ることは、必ずトロッタに生きる。彼は“詩と音楽”の先達だ。
2月17日(金)、お金の支払いが滞っているという連絡がある。愛媛県に出張中の清道洋一氏から、『革命幻想歌2』の稽古をしたいという連絡がある。トロッタ15ご出演の松本満紀子さんから、グループえんのチラシ作りについて相談の連絡がある。それらすべてがトロッタに反映する。日本音楽舞踊会議演奏会のため、清道洋一氏作曲『革命幻想歌2』の準備を始める。遅い?(この日に清道氏から稽古の申し入れがあったのはシンクロ)横滑ナナさんの踊りを観に横浜へ行った。思うこと多し。舞踏に接し続けた20代前半の日々が、今の土台にある。
2月18日(土)、日本音楽舞踊会議演奏会のため、『革命幻想歌2』の稽古を、清道洋一氏、堀江麗奈さんと秋葉原で行う。久しぶりの、芝居の動きだ。早朝に清道洋一氏からメールがあり、10時に秋葉原駅改札口に集合して、『革命幻想歌2』の稽古をしたいという申し入れ。望むところである。ソプラノ大久保雅代さん、ピアノ徳田絵里子さん。トロッタ15に出演する二人の演奏会が、雑司が谷音楽堂で行われた。トロッタの会場として、何度も検討した会場である。今のトロッタはスコットホールで行うが、検討したことも歴史にあってのスコットホールなのだ。つまり、ことの大小を問わず、行った一つ一つが礎となって、トロッタを形成しているということ。何かをすればもちろん、何もしなければ、それがそのままトロッタに反映される。本当は日常のすべてをトロッタに使いたいと思うが、それは不可能。そこに問題がある。清道洋一氏が『革命幻想歌2』の稽古を終えていったこと。トロッタの練習も、これくらい(前から? あるいは細かく? 両方だろう)したい、と。その通りである。間際になっての練習が多すぎる。原因はいろいろだが、日常の行い一つ一つを振り返れば反省できる。トロッタ15についても、本番はまだ先だが、準備、練習ということでは、もう取り返せない遅れが出ていると思う。目に見えなくても。逆に、例えば萩原朔太郎の“詩と音楽”のため前橋に行ったことが、関係なさそうでもトロッタに生きる、というようなことはある筈。山梨県立文学館から深沢七郎展の図録など届く。ギタリストとしての深沢七郎を知ること。これもトロッタに通じる筈。
2月19日(日)、昨日の『革命幻想歌2』の稽古で、喉をいためた。声の出し方がまずいのだ。喉をいためるように出してしまっている。風邪に注意。台詞を覚えなければ。覚えて心と身体から発声し、動きを伴わせれば、喉をいためないと思う。何もできない一日。特に「詩の通信VI」2号分の発行が滞っている。明日は月曜日だが、出せるか? 駄目なら3号分が停滞する。詩はできているというのに。
2月20日(月)土曜日の、『革命幻想歌2』の稽古でいためた喉が少しよくなっている。よくなってほしい。誰のせいでもない。私がいけない。言葉が身体に入っていないのに、大きな声をはりあげたから。歌と芝居の声の出し方は違うと自覚しなければ。誰がしても、同じではないと思う。トロッタの表現についてもいえること。私は歌い、詩唱している。どちらも、私の表現としては詩唱だが、逃げるつもりはない。歌として、まずいと、評価してほしい。かつて、田中修一氏の『遺傳』を歌った時、歌の後の朗読はよい、と書かれた。歌はまずいということだ。
2月21日(火)ほとんど何もできない日。花粉の影響もあって集中できない。部屋を少しだけ整理したら、トロッタ15で初演する、酒井健吉さん作曲『美粒子』の詩を書いていたころのメモが出てきた。木村恵多さんの写真4点を原寸でカラーコピーし、周囲に詩をびっしりと書いていた。酒井健吉さんに、『美粒子』の作曲メモを送ってほしい、原稿にして紹介するからといい、送ってもらったのに肝心の原稿を書いていない。前橋に行くなどするうち、気持ちがばらばらになってしまった。申し訳ない。『美粒子』のメモが出てきたので、これを契機に書こう。トロッタのことではないが、田中修一さんに、山梨県立文学館から届いた深沢七郎の資料をコピーして郵送。深沢七郎について考え、彼が尊敬した作曲家・小栗孝之について考えるなどするうち、ギターを弾きたい気持ちが強まり、田中氏が私の詩をもとに書いてくれた『鳥ならで』を弾いて歌い続ける(下手に)。音はまずいが、時にぞくっとする瞬間がある。曲がいいから。多少ともうまく弾けるようになれば、もっとぞくっとするであろう。これで聴く人をぞくっとさせられればよい。今は、ぞっとさせる段階。できないことが多すぎる。
2月22日(水)ファゴット奏者のTさんと東京音大で会う。出演を引き受けてくださる(新メンバーの名前は、すべて確定するまで匿名とする)。コントラバスの丹野敏広さんと引き合わせる。民族音楽研究所の甲田潤さんとも。新しい方々の演奏の場が広がるなら、私にとっても、新しいメンバーと出会うことで、自分の可能性が広がるのだと思う。次回に出られない方々とも、いつかまた共演したい。生きている限り、共演の機会はやって来るはず。トロッタでなくてもいい。例えば計画中の、萩原朔太郎の“詩と音楽”演奏会でもいい。
2月23日(木)ヴィオラ奏者のHさんと会う相談。これまでヴィオラを弾いてくれていた仁科拓也さんが、次回の出演が無理となったので新たな方を迎える。昨日はファゴットのTさんと会った。いつまでも同じメンバーとはできない、それはまったく好まないのだが。変化を受け入れよう。
2012年2月14日火曜日
トロッタ日記120213
次回に参加してくださるかも知れないファゴット奏者を紹介される。メールで連絡を取る。ぜひお願いしたい。新しい個性と出会うこと。大げさな表現だが、身を投じる方にとっても、迎える側にとっても、大変なことだ。仮に無理となっても、話を聞いてくださるだけでありがたい。
参加していただいているメンバーにも、常に連絡を取っていたいと思いながら、用がある時しか連絡していない現実。皆さん、演奏会をしているのだから、そのすべてに足を運びたいと思いながら、事実は無理に終わっている。よくないと思う。結局、その日暮らしに終わっているから。
トロッタ15に参加してくださる松本満紀子さんたちの「グループえん」第三回演奏会のチラシを作成。「詩人・堀内幸枝の世界」と題されている。統一されたテーマで演奏会を開くのもひとつの方法だろう。目下、萩原朔太郎の“詩と音楽”をテーマにした演奏会を考えているように。
ここ数日、花をテーマにした詩を書いている。早く完成させたいが、読み直すたびに別の表現が見つかる。気分によって変わるのはいけない。しかし、気分によって変わることを肯定したいとも思う。生きているのだから。詩も、生きているのだから。どこかで形を決める思い切りが必要だ。
参加していただいているメンバーにも、常に連絡を取っていたいと思いながら、用がある時しか連絡していない現実。皆さん、演奏会をしているのだから、そのすべてに足を運びたいと思いながら、事実は無理に終わっている。よくないと思う。結局、その日暮らしに終わっているから。
トロッタ15に参加してくださる松本満紀子さんたちの「グループえん」第三回演奏会のチラシを作成。「詩人・堀内幸枝の世界」と題されている。統一されたテーマで演奏会を開くのもひとつの方法だろう。目下、萩原朔太郎の“詩と音楽”をテーマにした演奏会を考えているように。
ここ数日、花をテーマにした詩を書いている。早く完成させたいが、読み直すたびに別の表現が見つかる。気分によって変わるのはいけない。しかし、気分によって変わることを肯定したいとも思う。生きているのだから。詩も、生きているのだから。どこかで形を決める思い切りが必要だ。
2012年2月13日月曜日
トロッタ日記120211 & 12
2月11日(土)
上野雄次氏の「花会」に、世田谷区深沢のjikonoka TOKIOへ赴く。ここしばらく書いていない、花の詩を書きたいと思っている。先日の「花いけバトル」を観に行った背景にも、花の詩を書きたい気持ちがあった。桜新町駅から初めて歩く。桜並木が続く。ここは花の道だ。
上野氏とは3月12日(月)、日本音楽舞踊協会演奏会の橘川琢作品『春告花』で共演する。トロッタ15での共演はない。会場に入ったとたん詩が書けると思う。私が求めていることに加え、花の強さを感じた。なぜ「花いけバトル」をするのかを弁じる上野氏。願いがかなうことを祈る。
トロッタのブログに、少しだけ手を加えた。twitterのアカウントを2つ持っている。ひとつはトロッタのこと、ひとつは私自身のことを書いている。後の方はfacebookに直結する。後の方にもリンクをはった。分けたことで煩雑さを招いたと思うが、使い分ければよい。
アリステア・マクラウドに共感する先に、ガルシア・ロルカへの共感があると思う。ロルカが注目したのも、芸術音楽ではない、ロマ人(ジプシー)の、生きるための音楽だった。私は芸術音楽を否定しない。同時に、生きるための“詩と音楽”に共感している。両者を分けたくないと思う。
2月12日(日)
日本音楽舞踊会議演奏会「動き、舞踊、所作と音楽」の、本番一か月前。橘川琢氏の『春告花』と清道洋一氏の『革命幻想歌2』に出演予定。準備することはいくらでもあるが、今日は仕事の書評原稿を書く一日。しかし夜になって、トロッタの過去と現在について考えることになった。
毎回反省しながら開催してきたトロッタである。毎回同じメンバーで開催していきたいとも思ってきた。それは基本だが、何にでも変化というものはあり、同じまま永久に歩み続けることは不可能だ。変化を受け入れなければならない。トロッタで何をしたかったのかわかっていれば……
どんな変化が起きても平気なはずだ。夢を見た。トロッタ15一か月前に試演会を行い、お客さんもそれなりに来てくれた。ところがある作曲家の曲が半分しかできておらず、彼は指揮を途中でやめてしまう。楽譜を見ると、そこまでしかないのである。お客さんも大半が帰ってしまった。
こんなことをしていては駄目だと思った。お客さんに申し訳なく自分たちにも不甲斐がない。夢だが現実であろう。私は実際に、試演会場にいた。その作曲家がつっぷして悶える姿も見た。同様の可能性はいつでもあり、これまでは潜り抜け抜けてきたが、いつの日か直面する可能性がある。
上野雄次氏の「花会」に、世田谷区深沢のjikonoka TOKIOへ赴く。ここしばらく書いていない、花の詩を書きたいと思っている。先日の「花いけバトル」を観に行った背景にも、花の詩を書きたい気持ちがあった。桜新町駅から初めて歩く。桜並木が続く。ここは花の道だ。
上野氏とは3月12日(月)、日本音楽舞踊協会演奏会の橘川琢作品『春告花』で共演する。トロッタ15での共演はない。会場に入ったとたん詩が書けると思う。私が求めていることに加え、花の強さを感じた。なぜ「花いけバトル」をするのかを弁じる上野氏。願いがかなうことを祈る。
トロッタのブログに、少しだけ手を加えた。twitterのアカウントを2つ持っている。ひとつはトロッタのこと、ひとつは私自身のことを書いている。後の方はfacebookに直結する。後の方にもリンクをはった。分けたことで煩雑さを招いたと思うが、使い分ければよい。
アリステア・マクラウドに共感する先に、ガルシア・ロルカへの共感があると思う。ロルカが注目したのも、芸術音楽ではない、ロマ人(ジプシー)の、生きるための音楽だった。私は芸術音楽を否定しない。同時に、生きるための“詩と音楽”に共感している。両者を分けたくないと思う。
2月12日(日)
日本音楽舞踊会議演奏会「動き、舞踊、所作と音楽」の、本番一か月前。橘川琢氏の『春告花』と清道洋一氏の『革命幻想歌2』に出演予定。準備することはいくらでもあるが、今日は仕事の書評原稿を書く一日。しかし夜になって、トロッタの過去と現在について考えることになった。
毎回反省しながら開催してきたトロッタである。毎回同じメンバーで開催していきたいとも思ってきた。それは基本だが、何にでも変化というものはあり、同じまま永久に歩み続けることは不可能だ。変化を受け入れなければならない。トロッタで何をしたかったのかわかっていれば……
どんな変化が起きても平気なはずだ。夢を見た。トロッタ15一か月前に試演会を行い、お客さんもそれなりに来てくれた。ところがある作曲家の曲が半分しかできておらず、彼は指揮を途中でやめてしまう。楽譜を見ると、そこまでしかないのである。お客さんも大半が帰ってしまった。
こんなことをしていては駄目だと思った。お客さんに申し訳なく自分たちにも不甲斐がない。夢だが現実であろう。私は実際に、試演会場にいた。その作曲家がつっぷして悶える姿も見た。同様の可能性はいつでもあり、これまでは潜り抜け抜けてきたが、いつの日か直面する可能性がある。
2012年2月12日日曜日
トロッタ15全詩解説『美粒子』(作曲/酒井健吉).2
“美粒子”という言葉は美しいが、木村恵多、小松史明の両氏と相談しながら考えたのである。少なくとも、私がすべて考えたわけではない。他の個性と出会い、この言葉に行き着いたことをありがたく思う。
トロッタの会を始めたころから、酒井健吉氏は『美粒子』を曲にする希望を述べてくれていた。トロッタ15での初演は、詩ができて7年目ということになる。その歳月を思っているうち、当時の私が何を考えていたか、振り返った(ほとんど振り返るということをしないが、意義は認めている。トロッタについては、それをしなければと痛感している)。思い至ったのが、アリステア・マクラウドの長編小説『彼方なる歌に耳を澄ませよ』を書評したこと。2005年の3月、「サンデー毎日」の書評欄に掲載された。
マクラウドはカナダ人作家で、スコットランドからの移民の子孫。マクラウドは非常に寡作な人で、2005年の時点で、日本では短編集二冊、長編が一冊あるだけだった。今でも事情は変わっていないと思う。書評には、当時の私が、“詩と音楽”に対してどんな考えを持っていたか表われている。1997年の『音楽家の誕生』以来、伊福部昭先生と更科源蔵氏を通じて考えてきたことである。マクラウドの作品には、“詩と音楽”の切実な関係が記されている。芸術のためというより、生活のためにある“詩と音楽”である。生活の心配がない人がする音楽ではない。生活の心配がある人が、生きるために必要だとしてする音楽である。
それのみがいいわけではなく、生活の心配がない人もそれなりに、切実さを持って音楽をしていることだろう。それぞれの立場で切実であればよい。私にも私なりの理由があって『音楽家の誕生』を書き、書評に書いたようなことを思い、2006年に「ボッサ 声と音の会」を、2007年に「トロッタの会」を始めた。すべてが延長線上にあって、今は萩原朔太郎の“詩と音楽”について、考えている。
アリステア・マクラウド
中野恵津子/訳
『彼方なる歌に耳を澄ませよ』
(新潮クレスト・ブックス)
「マクドナルドの一族は常とした、
苦難には豪胆に立ち向かい、
厳しく敵を追いつめ敗走させ、
逆境で信義に厚く勇猛果敢であることを」
物語が終わりに近づくころ、読者は一編の詩に出会う。歌われているのは、『彼方なる歌に耳を澄ませよ』の主人公、スコットランドからカナダに渡ったマクドナルド一族の姿である。
先祖代々が暮らしたスコットランドのハイランド地方を離れ、新世界が待っているという希望を抱いて、一族はカナダ東部のケープ・ブレトン島に移り住む。移住を指揮した族長キャラム・ルーアの身体的特徴ゆえに、“赤毛のキャラムの子供たち”と呼ばれた彼らは、高地人ハイランダーの誇りを持ち、移住に伴う苦難を心に刻み、さらにはゲール語で語り、歌い、思考することを忘れず、未知の土地で生き続けた。物語は、二〇世紀が幕を下ろそうとしていた時期の視点で書かれているが、一族がカナダに移り住んだのは一七七九年であり、作者は六代の歴史に筆を及ばせているから、およそ二百年という歳月を、『彼方なる歌に耳を澄ませよ』は背景にしていることになる。
長い、実に長い一族の歩み。それを書こうとした、作者アリステア・マクラウドの態度も息が長い。この長編には十三年をかけ、日本では二分冊して刊行された短編集は、三十一年間に書かれた十六編を収めている。目先のことにとらわれ、汲々とした日々を送っている人間には、とてものこと、そんな辛抱強さはない。しかし、物語に登場する“赤毛のキャラムの子供たち”は、ほとんどの移民がそうであろうが、耐え、闘い、待ち、そして闘うことでしか生き延びてゆけなかった。作者マクラウドもまた、耐え、書き、待ち、そして書くという態度を貫いて、この長編を完成させたのである。
「音楽は貧乏人の潤滑油だ。世界中どこでも、いろんな言葉で」
印象的な言葉があった。冒頭にマクドナルド一族の歌を引いたが、軽くなく、明るくもないこの物語を読み進める上で、私たち読者を導いてくれるのは、各所に現れる歌であり、詩だ。金や名誉や地位ではない、歌こそが、どんなに苦しくても人間を生かしてくれるという確信を、ページを繰りながら、読者は持つだろう。あえて言うなら、金や名誉や地位を失った人が最後にすがるものこそ歌なのだという、これも確信。
「わたしははるか彼方を見つめる。
時の流れのはるか彼方を見つめる。
わたしが見つめるのは、
海のはるか彼方の、
愛するケープ・ブレトン」
物語中、哀歌、エレジーとして歌われる歌だ。移住から二百年がたった現代、“赤毛のキャラムの子供たち”も日常会話の多くは英語で行うのかもしれないが、一族に伝わるこのような歌には、ゲール語を用いる。一人でも歌い、大勢でも歌う。その場の人々だけで歌詞がおぼつかなくなると、夜遅くても詩を記憶している人を呼び出して歌い切る。歌うということは心を豊かにする遊びなのだが、祖先の魂と結びあう行為でもある。だからこそ、現世の金や名誉や地位を失っても、人は歌にすがれる。拠りどころにできると思うのだ。
生きる上で、これこそが自分の歌だといえるものを、私たちは持っているのか? 本を閉じた後、我が身を省みずにはいられなかった。 *「サンデー毎日」2005年3月27日
トロッタの会を始めたころから、酒井健吉氏は『美粒子』を曲にする希望を述べてくれていた。トロッタ15での初演は、詩ができて7年目ということになる。その歳月を思っているうち、当時の私が何を考えていたか、振り返った(ほとんど振り返るということをしないが、意義は認めている。トロッタについては、それをしなければと痛感している)。思い至ったのが、アリステア・マクラウドの長編小説『彼方なる歌に耳を澄ませよ』を書評したこと。2005年の3月、「サンデー毎日」の書評欄に掲載された。
マクラウドはカナダ人作家で、スコットランドからの移民の子孫。マクラウドは非常に寡作な人で、2005年の時点で、日本では短編集二冊、長編が一冊あるだけだった。今でも事情は変わっていないと思う。書評には、当時の私が、“詩と音楽”に対してどんな考えを持っていたか表われている。1997年の『音楽家の誕生』以来、伊福部昭先生と更科源蔵氏を通じて考えてきたことである。マクラウドの作品には、“詩と音楽”の切実な関係が記されている。芸術のためというより、生活のためにある“詩と音楽”である。生活の心配がない人がする音楽ではない。生活の心配がある人が、生きるために必要だとしてする音楽である。
それのみがいいわけではなく、生活の心配がない人もそれなりに、切実さを持って音楽をしていることだろう。それぞれの立場で切実であればよい。私にも私なりの理由があって『音楽家の誕生』を書き、書評に書いたようなことを思い、2006年に「ボッサ 声と音の会」を、2007年に「トロッタの会」を始めた。すべてが延長線上にあって、今は萩原朔太郎の“詩と音楽”について、考えている。
アリステア・マクラウド
中野恵津子/訳
『彼方なる歌に耳を澄ませよ』
(新潮クレスト・ブックス)
「マクドナルドの一族は常とした、
苦難には豪胆に立ち向かい、
厳しく敵を追いつめ敗走させ、
逆境で信義に厚く勇猛果敢であることを」
物語が終わりに近づくころ、読者は一編の詩に出会う。歌われているのは、『彼方なる歌に耳を澄ませよ』の主人公、スコットランドからカナダに渡ったマクドナルド一族の姿である。
先祖代々が暮らしたスコットランドのハイランド地方を離れ、新世界が待っているという希望を抱いて、一族はカナダ東部のケープ・ブレトン島に移り住む。移住を指揮した族長キャラム・ルーアの身体的特徴ゆえに、“赤毛のキャラムの子供たち”と呼ばれた彼らは、高地人ハイランダーの誇りを持ち、移住に伴う苦難を心に刻み、さらにはゲール語で語り、歌い、思考することを忘れず、未知の土地で生き続けた。物語は、二〇世紀が幕を下ろそうとしていた時期の視点で書かれているが、一族がカナダに移り住んだのは一七七九年であり、作者は六代の歴史に筆を及ばせているから、およそ二百年という歳月を、『彼方なる歌に耳を澄ませよ』は背景にしていることになる。
長い、実に長い一族の歩み。それを書こうとした、作者アリステア・マクラウドの態度も息が長い。この長編には十三年をかけ、日本では二分冊して刊行された短編集は、三十一年間に書かれた十六編を収めている。目先のことにとらわれ、汲々とした日々を送っている人間には、とてものこと、そんな辛抱強さはない。しかし、物語に登場する“赤毛のキャラムの子供たち”は、ほとんどの移民がそうであろうが、耐え、闘い、待ち、そして闘うことでしか生き延びてゆけなかった。作者マクラウドもまた、耐え、書き、待ち、そして書くという態度を貫いて、この長編を完成させたのである。
「音楽は貧乏人の潤滑油だ。世界中どこでも、いろんな言葉で」
印象的な言葉があった。冒頭にマクドナルド一族の歌を引いたが、軽くなく、明るくもないこの物語を読み進める上で、私たち読者を導いてくれるのは、各所に現れる歌であり、詩だ。金や名誉や地位ではない、歌こそが、どんなに苦しくても人間を生かしてくれるという確信を、ページを繰りながら、読者は持つだろう。あえて言うなら、金や名誉や地位を失った人が最後にすがるものこそ歌なのだという、これも確信。
「わたしははるか彼方を見つめる。
時の流れのはるか彼方を見つめる。
わたしが見つめるのは、
海のはるか彼方の、
愛するケープ・ブレトン」
物語中、哀歌、エレジーとして歌われる歌だ。移住から二百年がたった現代、“赤毛のキャラムの子供たち”も日常会話の多くは英語で行うのかもしれないが、一族に伝わるこのような歌には、ゲール語を用いる。一人でも歌い、大勢でも歌う。その場の人々だけで歌詞がおぼつかなくなると、夜遅くても詩を記憶している人を呼び出して歌い切る。歌うということは心を豊かにする遊びなのだが、祖先の魂と結びあう行為でもある。だからこそ、現世の金や名誉や地位を失っても、人は歌にすがれる。拠りどころにできると思うのだ。
生きる上で、これこそが自分の歌だといえるものを、私たちは持っているのか? 本を閉じた後、我が身を省みずにはいられなかった。 *「サンデー毎日」2005年3月27日
2012年2月11日土曜日
トロッタ15全詩解説『美粒子』(作曲/酒井健吉).1
酒井健吉の『美粒子』は、同名の詩による詩唱曲である。
編成は、詩唱、オーボエ、ヴァイオリン(2)、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ピアノ。
曲は新しいが、詩は2006年の作品だ。トロッタがスタートする前年のもので、写真家・木村恵多、美術家・小松史明との共同作業として書いた。
木村は、小石川図書館ホールにて『新宿に安土城が建つ』を共同製作した仲間である。当時の彼は映像集団ゴールデンシットに属しており、『新宿に安土城が建つ』には、映像の立場からの参加であった。それを終えて、新たな共同作業ができないかと考えた。『安土城』は、まず私の詩があって、それをもとに創った舞台である。次は、他のジャンルの作品を先行させ、後から詩を書こうということになった。そこで木村の写真が候補になり、詩『美粒子』を書いたのである。写真と詩を小松史明に託し、小松はA3判両面にデザインしてくれた。小松史明が、その後、トロッタのチラシを作り続けてくれていることはいうまでもない。
詩に添えた解説に、当時の経緯が書かれている。掲げた画像をお読みいただきたい。
繰り返すが、これは私ではない他の個性による視覚表現に反応して書いた、理屈のない詩である。その意味で、言葉として純粋といえるかもしれない。
編成は、詩唱、オーボエ、ヴァイオリン(2)、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ピアノ。
曲は新しいが、詩は2006年の作品だ。トロッタがスタートする前年のもので、写真家・木村恵多、美術家・小松史明との共同作業として書いた。
木村は、小石川図書館ホールにて『新宿に安土城が建つ』を共同製作した仲間である。当時の彼は映像集団ゴールデンシットに属しており、『新宿に安土城が建つ』には、映像の立場からの参加であった。それを終えて、新たな共同作業ができないかと考えた。『安土城』は、まず私の詩があって、それをもとに創った舞台である。次は、他のジャンルの作品を先行させ、後から詩を書こうということになった。そこで木村の写真が候補になり、詩『美粒子』を書いたのである。写真と詩を小松史明に託し、小松はA3判両面にデザインしてくれた。小松史明が、その後、トロッタのチラシを作り続けてくれていることはいうまでもない。
詩に添えた解説に、当時の経緯が書かれている。掲げた画像をお読みいただきたい。
繰り返すが、これは私ではない他の個性による視覚表現に反応して書いた、理屈のない詩である。その意味で、言葉として純粋といえるかもしれない。
トロッタ日記120210
清道洋一、橘川琢の両氏から、3月12日(月)に行われる日本音楽舞踊会議・演奏会「動き、舞踊、所作と音楽」練習時期の打診がある。およそ1月前となり、曲を具体化させなければいけない。練習はいつでもいい。他の方々に合わせよう。橘川氏からプロフィールの提出依頼があったので書き下ろした。
「木部与巴仁 KIBE Yohani/詩唱者。詩と音楽を歌い、奏でる『トロッタの会』などを通じ、作曲家、演奏家と共同作業を行う。詩唱とは、朗読と歌を合わせた音楽としての発声。それは音楽作品として作曲される。「トロッタの会」は、橘川琢、清道洋一、酒井健吉、田中修一、堀井友徳、……
松木敏晃、宮﨑文香、山本和智、今井重幸、大谷歩、田中隆司、成澤真由美、長谷部二郎、Fabrizio FESTAらによって、詩唱を含む曲を発表してきた。第15回『トロッタの会』は5月13日(月)、早稲田奉仕園スコットホールで開催予定』(その後、不備に気づく。これは改訂途中の原稿)
前橋文学館の学芸員の方からメールをいただく。萩原朔太郎をテーマに、田中修一氏の歌曲を中心にする演奏会について、検討していただければということ。もちろん、いつ、どういう形で実現するかどうか未定だが、前向きに考えていきたい。朔太郎という一点を追究することで普遍のテーマにつなげられる。
伊福部昭先生と更科源蔵氏についても、同様の演奏会が開けよう。更科氏の詩による伊福部先生の歌曲を中心に、一夜の演奏会が企画できる。それは前から思っていることだが(トロッタでは『知床半島の漁夫の歌』など、4曲中3曲まで演奏している)、自分たちで創るものとして朔太郎作品を取り上げたい。
いや、自分たちのものというなら、偉そうにいうのではなく、私の詩で、作曲の皆さんが曲を書いてくださっているという、ありがたい状況がある。私はそれに応える。そこに、朔太郎の詩や更科氏の詩を加え、もちろんロルカも加えて、確かな方向にしつつあると思う。自分の詩だと夢中になってしまうが……
朔太郎という先人の詩を扱う場合、客観性が生まれる。自分は自分で研究できないが、朔太郎ならできる。詩と音楽の関係を客観的に見られる(想像だが、橘川琢氏が自作『春告花』に私の詩を使わず、トロッタ15で詩そのものを用いないのも、客観化したい気持ちの表れか。彼が、というより私も含めて)。
今はまだ断片だが、トロッタについての原稿にも、朔太郎のこと、更科氏のことを書いていけばいいだろう(いうまでもなく、北原白秋と山田耕筰にも、詩と音楽の関係があり、さらに山田耕筰には石井漠と組んで舞踊との関係もあるのだが、とてもそこまで広げられない。研究になってしまう怖れがある。……
白秋、耕筰ではなく)朔太郎をまず取り上げる、私なりの強い理由。それはギター、マンドリンから始まっている。ギターとマンドリンを弾いた朔太郎への共感がある。音楽家になりたいと思い、詩と音楽をひとりの身体に持った(ひとりの身体から生もうとした)、朔太郎という個性を考えようとしている。
「木部与巴仁 KIBE Yohani/詩唱者。詩と音楽を歌い、奏でる『トロッタの会』などを通じ、作曲家、演奏家と共同作業を行う。詩唱とは、朗読と歌を合わせた音楽としての発声。それは音楽作品として作曲される。「トロッタの会」は、橘川琢、清道洋一、酒井健吉、田中修一、堀井友徳、……
松木敏晃、宮﨑文香、山本和智、今井重幸、大谷歩、田中隆司、成澤真由美、長谷部二郎、Fabrizio FESTAらによって、詩唱を含む曲を発表してきた。第15回『トロッタの会』は5月13日(月)、早稲田奉仕園スコットホールで開催予定』(その後、不備に気づく。これは改訂途中の原稿)
前橋文学館の学芸員の方からメールをいただく。萩原朔太郎をテーマに、田中修一氏の歌曲を中心にする演奏会について、検討していただければということ。もちろん、いつ、どういう形で実現するかどうか未定だが、前向きに考えていきたい。朔太郎という一点を追究することで普遍のテーマにつなげられる。
伊福部昭先生と更科源蔵氏についても、同様の演奏会が開けよう。更科氏の詩による伊福部先生の歌曲を中心に、一夜の演奏会が企画できる。それは前から思っていることだが(トロッタでは『知床半島の漁夫の歌』など、4曲中3曲まで演奏している)、自分たちで創るものとして朔太郎作品を取り上げたい。
いや、自分たちのものというなら、偉そうにいうのではなく、私の詩で、作曲の皆さんが曲を書いてくださっているという、ありがたい状況がある。私はそれに応える。そこに、朔太郎の詩や更科氏の詩を加え、もちろんロルカも加えて、確かな方向にしつつあると思う。自分の詩だと夢中になってしまうが……
朔太郎という先人の詩を扱う場合、客観性が生まれる。自分は自分で研究できないが、朔太郎ならできる。詩と音楽の関係を客観的に見られる(想像だが、橘川琢氏が自作『春告花』に私の詩を使わず、トロッタ15で詩そのものを用いないのも、客観化したい気持ちの表れか。彼が、というより私も含めて)。
今はまだ断片だが、トロッタについての原稿にも、朔太郎のこと、更科氏のことを書いていけばいいだろう(いうまでもなく、北原白秋と山田耕筰にも、詩と音楽の関係があり、さらに山田耕筰には石井漠と組んで舞踊との関係もあるのだが、とてもそこまで広げられない。研究になってしまう怖れがある。……
白秋、耕筰ではなく)朔太郎をまず取り上げる、私なりの強い理由。それはギター、マンドリンから始まっている。ギターとマンドリンを弾いた朔太郎への共感がある。音楽家になりたいと思い、詩と音楽をひとりの身体に持った(ひとりの身体から生もうとした)、朔太郎という個性を考えようとしている。
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