ギターの長谷部二郎先生が編集する「ギターの友」2月号のための校正を行っている。私の連載「ギターとランプ」は今回が11回目。〈田中修一と萩原朔太郎〉と題し、詩と音楽を追究した萩原朔太郎と、その詩に依る曲を作っているトロッタの作曲家、田中修一について書いた。
「ギターとランプ」9回は田中修一の『鳥ならで』について書き、10回は『遺傳』について書いた(3、4回で『ムーヴメントNo.3』についても書いた)。田中修一が続いている。ギター曲を書く作曲家であり、朔太郎の詩で曲を書いているのだから、自然と取り上げることになる。
また「ギターの友」では、「コンサートの余韻」ページにも書いた。昨年の世田谷文学館「生誕125年 萩原朔太郎」展のマンドリン&ギター・コンサート、高柳未来と鈴木大介の演奏について。時間の都合で後半しか聴けなかったが、朔太郎と音楽の関わりを考える、よい機会となった。
朔太郎は通常の詩人ではなかった。音楽家でもある詩人だった。彼なりの言い方だと、音楽家になりたいのになれなかった詩人、ということになるかもしれない。詩人として楽器を弾けた重要性を想う。私は研究者ではないと肝に銘じつつ、音楽面から朔太郎について考える重要性を思う。
先に、伊福部昭先生と更科源蔵氏をめぐって考え、今は朔太郎に行き着いた。将来は、前橋で朔太郎に関係した演奏会を開きたいと思う。私に力があれば、昨年、すでに世田谷文学館で開けたはずなのだ。焦ることはない。これらを考えの根本に置いて、トロッタなどで実践していきたい。
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