ここ数日、新しい原稿を書いているので、ブログの更新が滞っていました。それとは別のことも考えています。以下は、昨年末に発行した「詩の通信VI」第11号の文面です。
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《後記》十二月十七日(土)、ギタリストの石井康史さんが亡くなられました。五十二歳でした。南米文学の研究者で、慶應義塾大学で教鞭をとられていましたが、私は二〇〇六年六月四日(日)、第二回「ボッサ 声と音の会」での共演を記憶します。ゲストの細川周平さんのご紹介で、打楽器の内藤修央さんと共に石井さんが出演されました。脳腫瘍で倒れ、半身がご不自由になり、ギターも弾けなくなりましたが、リハビリにつとめ、いったんは教壇に復帰なさいました。十月の第一週までは授業も行なっていたということです(情報を総合すると、一進一退だったのだろうと想像します)。訃報に接してすぐに思ったのは、追悼詩を書きたいということでした。最近、心にとどめている萩原朔太郎の詩に『ぎたる弾くひと』があるので、それに触発される形で『ギター弾く人』を書きました。それが今号の詩です。石井さんがなされた、南米文学の成果は残念ながら存じ上げません。日本語訳が近年に出た、ロベルト・ボラーニョの作品についてお話しをしたことがあり、(原文で読める方に対しておかしな話ですが、病中の石井さんに求められたので)ボラーニョの作品集『通話』を、お見舞いに持参しました。私にとって石井さんはまず、ギタリストでした。ギターを弾く人として私の前に現われ、去って行きました。お別れの会の祭壇にギターが立てられていたことにも、ギタリスト、石井康史の面目は窺われました。石井さんとの共演はわずか一回なので、そんな私が追悼の演奏会などは開けません。せめて詩を書くことで、故人を偲びたいと思いました。石井康史さん、安らかに。もう存分に、ギターを弾けるでしょう。次号第十二号は、二〇一二年一月九日(月)発行予定です。 二〇一一年十二月二十八日(水)
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私が石井康史さんと共演したのは、ただ一回です。例えば打楽器の内藤修央さんのように、石井さんと共演した音楽家はたくさんいます。そうした彼らによって、石井さんを偲ぶ演奏会が開かれることでしょう。しかし私も、私なりの会を開きたいと思います。会とはいわなくても、何らかの会で、一曲でも石井さんを偲ぶ曲を演奏したいと思います。
上記の『ギター弾く人』は、すでに田中修一さんによって楽曲化され、年末に届きました(12月28日発送、31日着)。この曲を中心にすることで、石井さんと共演した思い出の場所、谷中ボッサで会を開きたいと思うのです。思えばトロッタ1では、田中修一さんと酒井健吉さんによって、伊福部先生追悼作品が2曲、発表されました。音楽の会は人の魂に触れる機会です。石井康史さんの魂に、触れたいと思っています。
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