2012年1月30日月曜日

トロッタ日記120130

言葉には何らかの抵抗感が生じる。清道洋一氏への反抗ではない。抵抗感を、意識のある受け止め方と言い換えてもいい。この点が詩と音楽をテーマにする場合の大切な点だろう。彼と話し合いたいというのは、反論するのではなく、詩と音楽にとって肝心な点を話し合いたいということ。昨年のトロッタ13で初演された、清道氏の『ヒトの謝肉祭』でも、似たようなことがあった。テキストは私の詩(だとは、今は思っていない)がそのまま使われたものの、清道氏の意図がつかめず、結局、『ヒトの謝肉祭』は、心から納得のゆく演奏にならなかった。私にも責任がある。繰り返すが清道氏への異論を述べているのではない。互いの齟齬でも抵抗感でもいいが、ここを見つめていかないと、気持ちのいい歌を歌ってそれでおしまい、ということになってしまう。気持ちよくなることは大事でも、無反省になる。互いの相違点こそ、本質に触れる手がかりなのだ。唐突だが、昨日から田中修一氏の作品一覧を作り始め、今朝ほど完成させた。雑誌「ギターの友」で萩原朔太郎について書くうち、朔太郎の詩に依る歌を作り続ける彼の作品を整理する必要を感じたのである。なぜ他人のことで一生懸命になっているのか?結局は私自身のことなのである。田中氏の作品一覧を作りながら感じた。伊福部先生を始め、トロッタで一緒に活動している作曲家にはそれぞれの歴史がある。田中氏の始まりは1987年。2007年に至り、ここからトロッタを始めたのだなと思う。音楽が人生に、人生が音楽になっている。その事実と向き合いたい。

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