2012年1月17日火曜日

トロッタ15通信.44

トロッタ14通信〈記録〉.6

オリヴィエ・メシアン『時の終わりへの四重奏曲』の記憶
〈作曲 オリヴィエ・メシアン〉
メシアンの『時の終わりへの四重奏曲』初演は、現代音楽史の伝説である。ドイツ・ゲルリッツの第8A捕虜収容所に囚われていたメシアンは、同じ捕虜であった三人の演奏家と、彼らが所有する楽器で演奏できる曲を書いた。閉ざされた状況下でも音楽を創造した彼らを想いつつ、詩唱を交えて3(抜粋)、1、4、7各楽章を演奏する。テキストは木部与巴仁による。〈K〉

クラリネット*藤本彩花 ヴァイオリン*戸塚ふみ代 チェロ*香月圭佑 ピアノ*森川あづさ 詩唱*中川博正

【記録】メシアンの『時の終わりへの四重奏曲』を初めて意識したのは、2006年、『新宿に安土城が建つ』に出演した時。捕虜収容所で作曲されたという経緯を詩ってたちまち惹かれた。音楽的に、ではなく文学的に、惹かれたのだろう。もちろん、曲を聴いて惹かれもしたが、曲ができる背景に、ドラマを感じたということ。演奏して惹かれたのではない点に問題があるかも知れないが、そのような音楽の出会いはあると思う。『新宿に安土城が建つ』にメシアンがふさわしいとは、今となっては定かではない。共演した戸塚ふみ代の提案だったか。これだけは間違いないが、BGMとして扱ったのではない。厳密に、詩を詠む位置を決め、曲に乗せて詠むようにした。戸塚にとっても、今回の演奏は、『新宿に安土城が建つ』以来で、その時に覚えた不満を、抜粋とはいえ演奏会なのだから、払拭する機会になったはずだ。
『時の終わりへの四重奏曲』をトロッタで取り上げたのは、私なりの必然があったから。音楽の始まりがそこにある。あらかじめわかった出発点ではなく、やむにやまれず音楽を創る。どんな不完全な状況でも。創りたいと思った時に、音楽はできる。収容所でも、だ。そこにならいたい。
トロッタが“詩と音楽を歌い、奏でる”会だというのは、私には必然がある。他の作曲者、演奏者にも、それぞれの必然があるだろう。私は詩を持ってして、初めて音楽ができる。詩がなければお手上げだ。私は文学をしたいと思っていない。文学には、もちろん計り知れない価値があるものの、私にとっては目下の急務ではない。それはやはり、伊福部先生の『音楽家の誕生』を書いたところからの始まりがあるから。音楽をわかって書いたのではなく、文学的に理解しようとしたのだと、自戒をこめて回顧するが、それでも、そこに出発点がある以上、詩を書いても文学として完結させようとは思っていない。音楽としての詩を、私は志向している(このへんに私の問題点があることは、じゅうぶんに理解している。文学として中途半端、音楽として中途半端。しかしそれが、私の道なのだろう。そして、それを本当に中途半端で終わらせるのかどうかは、私にかかっている。それは、トロッタが中途半端で終わるかどうかの問題でもある。終わらせるわけにはいかない)。
ところで、詩唱は中川博正にまかせた。通常なら、私が詠むところだ。この曲を演奏しようと思ったのは、私の必然だから。しかし、それでは当たり前過ぎる。中川にまかせることが挑戦である。彼にはメシアンになってもらおうと思った。メシアンの曲を聴く捕虜になってもらおうとも思った。死んで今では鳥になったメシアン、捕虜にもなってもらいたかった。スコットホールを、『時の終わりへの四重奏曲』が初演されたドイツの収容所に変える役目をも負ってもらいたかった。これはすべて、至難の業である。できただろうか? 中川は、彼なりに努力してくれた。稽古の段階で、役作りにおける、私と彼の違いが明らかになりもした。私がこれまでに詩唱した曲を、すべて彼にまかせてもよい。彼が詩唱したいというのなら。それでこそ、曲が生きるであろう。いつまでも私ひとりが詠むものではない。

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