2012年1月8日日曜日

トロッタ15通信.36

ほとんど読み返すことのなかった過去の原稿に、今に続いている、私の考えを見ます。トロッタ以前のことですが、トロッタを開く態度、詩と音楽をめぐるテーマが、ここにあるように思います。年末に書いた、萩原朔太郎にも通じるでしょう。というより、すべてに通じます。

〈第3回〉
 ピエールには、DVD『サラヴァ』として発表された以外にも、数多くの映像作品がある。まず挙げたいのは、衛星放送の電波に乗り、ビデオにもなって発売された『Nuits de Nacre'91〜真珠貝の夜・チュール〜』である。フランス南西部の町チュールで開かれたアコーディオンの国際フェスティバルに出かけ、ピエール自らがヴィデオ・カメラを回した。翌92年にカナダで撮影され、今は予告編にとどまっている続編も、彼の頭の中にはあるらしい。
 さらに、2003年に一夜だけの上映会がもたれた『サヴァ サヴィアン(BIS)』。チンドン屋“かぼちゃ商会”がフランス各地で演奏する姿をとらえた映像から、私たちは音楽に寄せたピエールの愛情を存分に感じ取る。チンドン屋とは、街を歩き、移動しながら演奏することに、その音楽の本質がある。旅と音楽が人生の始まりからほとんど同義であったピエールに重なるではないか。そしてこの作品は、1970年に創られた『サヴァ サヴィアン』の続編である。『サラヴァ』にも『真珠貝の夜』にも『サヴァ サヴィアン』にも、ピエール・バルーは終止符を打っていない。すべては“つづく…”。この他にも、知られていない作品はまだまだある。それらがピエールの納得できる形で世に出ることを望んでいる。
 もう一度確認しよう。DVD『サラヴァ』の副題は、「時空を越えた散歩、または出逢い」である。バーデン・パウエル、ピシンギーニャ、ジョアン・ダ・バイアーナ、マリア・ベターニア、アダン・グザレバラダ、シブーカなど。彼らブラジルの音楽家たちには、ピエールがフランスから彼の地に旅をし、出逢ったことからこそ、私たちも時空を越えて、相まみえることができた。その姿をとどめるフィルムやヴィデオの力があるにせよ、まず出逢い、出逢うための旅、その行為なくして彼らの姿や声、創造される音を、私たちは見られなかったし聴けなかった。

〈第4回〉
「私の願いはあなたを私達と共に旅に連れて行くことです」
 ピエールがこのように語り始める時、34年という歳月の壁は消える。
「ブラジル音楽はアフリカ音楽の影響を受けたの?」
「すべてそうだよ。ルーツは皆、アフリカだ。ハーモニーではジャズの影響を受け、リズムではアフリカがルーツだ。この2つを合わせると、奇麗なサンバが1曲出来る」
 ピエールとバーデンの会話は、たった今、この瞬間に交わされているのである。
「私の選曲にはいつも深い理由があるの。例えば今は私の兄、カエターノ・ヴェローゾが国外追放されていて、私はブラジルだから……」
 マリア・ベターニアの言葉だ。!969年、時の軍事政権によってブラジルを追われ、ロンドンに住むことを余儀なくされていたカエターノ。画面には姿を現わさないが、彼の存在も『サラヴァ』の背後にある。
「悪ふざけはやめよう/ソクラテスとプラトンは最初に茶番劇に参加した哲学者/悪ふざけは止めよう/教会の門の前で飢えた者達が来はしない救い主を待っている」
 何と深い、アダンの声と詩。これはいつの歌なのか? 古代にもありえたし、中世にもありえた。それこそ時空を越えた音楽家が、現代のリオ・デ・ジャネイロにいたという奇跡。当時のアダンは400以上の曲を書いたが、それは彼が住む貧民街の住人以外に知られることはなかったと、ピエールは書き添えている。真の音楽家とは、そのようなものかもしれない。
 ピエール・バルーは歌をうたって楽器を奏でる音楽家だが、その本質にあるのは詩。『サラヴァ』を観ればわかる。彼は人の理知ではなく、情動に訴えている。鉛筆と紙とギターを小型のヴィデオ・カメラに持ち替えて詩を創っている。
 この年この時期のブラジルにはこんなことがあった、こんな人々がいた、こんな音楽が……。ドキュメンタリーを創るつもりなら、他にもっと方法があっただろう。映像の文法とでもいうべきものが。しかし、彼は説明を避けている。博物館のキュレーターのように、一つ一つの場面を懇切丁寧に案内しようとはしていない。字幕さえ、イマジネーションと発見の楽しみを大切にしたいという理由で、最小限にとどめられているのだから。
 ブラジル音楽に明るくなく、言葉もわからない人には、何が語られているのか、語られていることが何なのか、わからないかもしれない。しかし、それでいい。知識は得られなくても実感が残る。ブラジル音楽の精髄に触れた手ごたえが残っている。もっと観たい、もっと聴きたい、もっと歌いたいという気持ちが生まれている。未知のものを求める旅人の態度に、似ていないだろうか。それをもたらしのはピエール・バルーの、詩人としての力だ。
2007.7.3
木部与巴仁

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