*トロッタとは関係のない個人練習ですが、駒込の、とあるスペースを借りて、1時間10分ほどの即興表現を行いました。先日の「花魂 HANADAMA」から生まれつつある表現です。構想は悪くなかったのですが、今日は演劇に近くなってしまい、つまり、何の新味もないという意味で、それが反省点です。後でビデオを見ましたら、いかにも馴れたことをしています。いい意味でも悪い意味でも。この場所ではいずれ公演をすると思います。夕方、池袋に近い要町のGGサロンで、田中修一さん『ムーヴメントNo.3』の、楽器だけの合わせを行いました。夜は、その練習の録音を編集し、関係者に送る手はずを整えました。明日の練習の場所取りなどしていたら、すっかり遅い時間になってしまいました。夜、甲田潤さんから、合唱曲『シェヘラザード』の第二楽章が送られてきました。しかし、印刷する気力も残っていません。
堀井友徳さんのもう一曲は、『凍歌』です。これもまた、北の町を舞台にした、ロマンです。実は、『凍歌』に決定する前に、まったく別の詩『蝶の記憶』が、いったん決まっていました。トロッタ12では、堀井さんは二曲で一作品となりますから、先にできた『北都七星』の姉妹編を作りたいと思いました。人、特に女性ではなく、登場人物を鳥や虫や獣などにすれば、あからさまな姉妹編にはなるまいと思いました。
詩を考えているうち、海を渡る蝶の姿が見えてきました。蝶の神話、しかし現実から逃避するのではない、今と結びついた神話を書こうと思いました。それが最終的に、聴き手の心の中で、人の姿と重なればいいとも思いました。これは議論の分かれるところでしょう。蝶を人と重ねるのではなく、蝶そのものを描いた方が潔いのではないでしょうか。しかし、私たちは人なのだから、やはり人に共感して、人の詩を書いた方がいいといえます。
『蝶の記憶』全三連のうち、一連のみ紹介します。
遠い昔に
海を渡った蝶がいる
どこかにある
見えない陸(おか)を求めて
蝶は
風に乗る
朝にはもう少しと思い
夜にはまだ飛べると思う
波に濡れ
輝きを増してゆく
紫の翅(はね)
『蝶の記憶』を、トロッタ13以降で演奏できるなら、うれしいことです。(別の話ですが、小さい規模でもいいから、トロッタをもっと気軽に開催できないかと思います。規模は小さくても、手間は惜しみません)
構想が変わり、『蝶の記憶』は作曲の対象にならず、新しい詩を書くことになりました。『蝶の記憶』は先送りされましたが、詩ができたのですし、いずれは歌になるということですので、いつか書かなければいけない詩を、もう書いている意味で、よいことだと思います。
新たに『凍歌』が生まれます。まず、歌としての語り、語りとしての歌、楽譜に音程が書き込まれた、歌劇でおなじみのレチタティーボで表現したいと考えました。まだ歌にならない、人の思いの表現。それはトロッタのテーマでもあります。ソプラノ、メゾソプラノ、アルトの女声三部と決まっていましたので、三人の歌い手に、語りかけるように歌ってほしい、歌うように語ってほしいと思いました。
副題は、「北の街角で聴いた女の声」です。私の過去の詩に、『男が唄っていた』という作品があります。どこの誰とも知らない男が街角で歌う。すると決まって、よくないことが起こります。主に、日本の戦後を時代背景としました。私が生まれた瀬戸内の町で、よく知られた松川事件や三鷹事件と似た列車転覆事故が起きたり、対岸の広島に原爆が落ちて無数の死者が海の向こうから流れて来る、といった内容です。
『凍歌』とは異なる内容ですが、街角で誰かが歌っているという状況に、私はひかれているようです。歌う者と聴く者の関係に想いを馳せているのかもしれません。
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