2010年10月29日金曜日

「トロッタ12通信」.20 (*10.25分)

 残念なお知らせをしなければなりません。酒井健吉さんから、『ガラスの歌』の出品を取りやめたいという申し入れがありました。その対策を立てなければなりません。最大の問題は、『ガラスの歌』を歌うために、今回、初参加してくださいました、青木希衣子さんに、何を歌っていただけばいいのか、です。また、酒井さんが編曲する予定だった、宮﨑文香さん作曲のアンコール曲『たびだち』は、田中修一さんが編曲してくださることになりました。田中さんには、やはり宮﨑さんの『めぐりあい』を編曲していただきました。感謝します。こうした一連の経緯に詳細はありますが、ここには記しません。ただひたすら、お詫びします。これが、製作を担当している私の実力であり、限界です。申し訳ありません。



未来の神話

木部与巴仁

理想が統(す)べる
幾世紀の果てに
断末魔を聴いていた
命の限界
世の終わりの儀式
千万年が過ぎてゆく

人 翼を負い
魚(うお) 人語を使い
鳥 水を潜(くぐ)って飛ぶことなし
草木(そうもく) 足を生やして歩く時

無慈悲な天の怒りが落ちる
夜ごとの恋と
暁の裏切り
気まぐれな雨に
巡礼たちは濡れてゆく
ためらうな
歩き続けよ
死の淵が口を開いて待っている

川 海となり
山 断崖となり
町 陰鬱の森となり
火の山 凍原となる

涙を詰めた小瓶を海に
鱗をまとった
水底(みなぞこ)の青年が
揺れながら漂う
小さな光に
未来を感じる



 安部公房の『第四間氷期』は、雑誌「世界」の、1958年7月号から、翌1959年の3月号にかけて連載されました。私が生まれた年です。私が言葉も遣えずに空気を吸い、ミルクを飲んでいたころ、安部公房は、この大作に取り組んでいたのかと想像します。
 昭和30年代の初期、安部公房が見ようとしていた光景は、何だったのか?
 もっともらしい疑問ですが、もちろん彼は小説家ですから、光景を、文章に書いているわけです。しかし、もっと何かあるはずです。文章を書く前に見ていた光景。文章にならなかった光景。文章を通して見えて来る光景。
 安部公房は、写真が好きでした。何枚も撮っています。例えば、モノクロームのフィルムに定着させた光景が、文章にならなかった、写真として見るのがふさわしい光景だったと思います。『箱男』には彼の作品がおさめられ、文章と写真で、読者は“箱男”の世界と向き合うように工夫されています。
 『砂の女』や『他人の顔』のように、自分でシナリオを書いて映画化された作品があります。小説ではできなかったことを表現しようとしたのではないでしょうか? 『第四間氷期』もまた、安部公房はシナリオにしています。堀川弘通監督で、映画化が企画されていたようですが、現在のところ、映画化されていません。未来に、その可能性はあります。『第四間氷期』は、何だか私にとって、未来を見るための、未来とはいわなくても世界を見るための鏡のような気がします。田中修一さんも、『第四間氷期』を通して、何かが見えると思うひとりなのでしょう。
 田中修一さんは私に、『第四間氷期』の、「ブループリント」という章を、特に参考にしてほしい、とおっしゃいました。それがなぜかは、尋ねていません。ただ、「ブループリント」には、印象的な文章があります。その文章によるイメージ、ヴィジョンが、もしかすると、『第四間氷期』を書こうとする安部公房に、最初に見えていたのかもしれません。小説全体の書き出しが、まったく同じ文章だからであり、読者は、後はクライマックスを迎えるばかりというころ、改めて、いちばん初めに読んだ文章と再会するわけです。

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