−先に、「挑戦」という言葉を使った。特に際立った「挑戦」の性格を感じたので、そう書いたのだが、私の詩に誰かが曲をつける時、それはすべて「挑戦」になるだろうと思いながら、書き続けよう−
私、木部与巴仁による詩唱が、弦楽四重奏とギターによる合奏とともに行われる。Allegro con anima[いきいきと](♩.=72,♪=216)という指示がある。
清道洋一氏は、「幻想第四次」という言葉を使っている。氏の説明によると、それは宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』に出てくる言葉である。『銀河鉄道の夜』にあたってみた。次のような記述である。
ジョバンニとカムパネルラが、銀河鉄道に乗っている。銀河ステーションから白鳥の停車場を過ぎ、アルビレオの観測所にさしかかったころ、車掌が現われる。いつの間にポケットに入っていたのか、ジョバンニとカンパネルラは、車掌に切符を差し出した。車掌は問う。
「これは三次空間の方からお持ちになったのですか。」
「よろしゅうございます。南十字(サウザンクロス)へ着きますのは、次の第三時ころになります。」
ふたりは理解できなかった。すると、同席していた鳥捕りがいうのである。
「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想(げんそう)第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈(はず)でさあ、あなた方大したもんですね。」
「幻想」という言葉があるので考えてしまうが、「三次空間」「第四次」は、三次元、四次元と言い換えられよう。三次元なら、ジョバンニやカムパネルラを含め、私たち人間が生きている地上の、平面な世界である。これが四次元になると、時間の概念が取り込まれて、不連続な時空間が隣り合い、過去や未来への移動も可能となる。となると、引用した清道氏による台詞は、こんな内容だと解釈できる。
〈四次元を走る銀河鉄道に乗ってエルドラドをめざす。いつのことだったか、チチカカ湖を渡って来た風は僕の頬を撫でた。銀河鉄道で、彼女が乗る、その列車を追いかけている〉
原文によると、主人公が乗っているのは「あの列車」である。彼女が乗っているのは「その列車」である。列車は異なっている。
−−と、まず読んだ時は思った。しかし、別の解釈ができる。次のようである。
〈四次元を走る「あの」銀河鉄道に乗って、彼女はエルドラドをめざしている。いつのことだったか、チチカカ湖を渡った来た風は僕の頬を撫でた。今また、その時の風が僕の頬を撫でるのを感じる。僕は、彼女が乗る「その」銀河鉄道を追いかける〉
前者の解釈では、主人公も列車に乗っていた。しかし後者では、主人公は列車に乗っていない。一点に立って空を走る「あの」列車を見上げ、「その」列車を追いかけようとしているのである。大きな違いがある。そして始まる、私の詩。冒頭に引いた「未来の象徴としての高速道路が/頭の中を走っていた/1960年代の私」
まだ他にも可能かもしれないが、二通りの解釈ができた。やはり、清道洋一氏は「挑戦」しているのだろう。どちらを採るか? どう解釈するのか? と。
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