打楽器の内藤修央さんのお宅にうかがい、『ヘンリー八世の主題による詩唱曲』のために、打楽器を選びました。(この日、別の場所では、今井重幸先生立ち会いのもと、ギターの萩野谷英成さん、打楽器の目等貴士さん、ピアノの徳田絵里子さんの全員参加で、『シギリヤ・ヒターナ』の合わせがありました)
『ヘンリー八世の主題による詩唱曲』は、チラシにも書きましたが、萩野谷英成さんが高橋力さんと一緒に弾いたヘンリー八世作曲の三曲、Without Discord and Both Accord、Fantasia、Pastime with good Companyを聴き、この音楽で詩を詠んだらおもしろいだろうと思ったことがきっかけで、生まれたものです。主張しない音楽、というのでしょうか。それがバロック音楽の特徴であるかどうかは、詳しくないのでわかりません。音楽との出会いは、どこでいつ、生じるかわかりません。その時の演奏会場は、東武東上線下赤塚駅に近い、カフェ・ラルゴでした。
イングランド王、ヘンリー八世については、私がここに書くまでもなく、歴史上の著名な人物です。シェイクスピア劇の主人公でもあります。生まれは1491年6月28日、没年は1547年1月28日。
六人の妻がいたことで知られています。初めての妻は、キャサリン・オブ・アラゴン。1509年に結婚し、1533年に離婚しました。続いてはアン・ブーリン。1533年に結婚し、1536年に離婚しました。もとはキャサリンの侍女でした。三番目はジェーン・シーモア。1536年に結婚し、1537年、出産後に亡くなりました。四番目はアン・オブ・クレーヴズ。1540年に結婚し、同じ年に離婚しました。五番目はキャサリン・ハワード。1540年に結婚し、1542年に離婚しました。 アン・ブーリンの従妹です。最後はキャサリン・パー。1543年に結婚し、1547年、ヘンリー八世と死別しました。
私の詩は、最初の妻キャサリンと、二番目の妻アン・ブーリンをめぐる、ヘンリー八世の物語になっています。その意味で、舞台設定は荒唐無稽ですが、歴史の事実をもとにしています。
すでに一度、ヴァイオリンとヴィオラで、本番会場にて演奏しました。ヘンリー八世の曲は、古い礼拝堂によく響きました。その上に、本番では内藤修央さんの打楽器を加えます。バロックの雰囲気が出るようなリズムを探しました。おもしろい演奏になると思います。
一
今日は
久しぶりにいい天気なので
コインランドリーは満員だった
ヘンリー八世と
枢機卿ウルジーも
ベンチに腰をかけて
洗濯の仕上がりを待っていた
脱水まで
あと三十五分
「キャサリンには消えてほしい」
王はいった
「わしは早くアン・ブーリンと……」
「し!」
ウルジーは止めた
洗いものを取り出す主婦
漫画を読む学生がいる
「誰が聞くかわかりません」
王は膝を掻いた
「私におまかせを」
「よいのか」
「お妃様より、お好きな方と」
王はまた膝を掻いて頷いた
二
王妃キャサリンも
コインランドリーに出かけた
洗濯ものがたまる
どんどんたまってゆく
ここ一週間
王妃の心は重かった
「王様は何を考えておいでか」
侍女に話しかけた
名前をアン・ブーリンという
「好きな女ができたのではないか」
王妃は両手にひとつずつ
百円ショップの鞄を提げていた
侍女は両手に合わせて四つ
百円ショップの鞄を−−
「王様に限ってそんな!」
侍女は止めた
「決してそんな方では!」
王妃はため息をついた
「私たちの結婚生活は長い」
洗濯ものの重みで指がちぎれそうだ
「やがて二十年になる」
私はまだ十九だと侍女は思った
三
脱水まで
あと三十分もあった
ヘンリー八世はあくびをした
ウルジー卿は週刊誌を読んでいる
ふたり
サンダルをはいた女がやってくる
王妃と侍女だった
逃げ場はない
泰然として待った
「いっぱいじゃ」
王妃と侍女は立ち止まった
「洗濯機も乾燥機もな」
ふたりの女は
鞄を道に投げ捨てた
「時が何もかも解決してくれよう」
「王様は私より六歳もお若い」
いつになく小さな
王妃の声だった
「私には時間がありません」
「なに もう三十分を切っておる」
ウルジーが洗濯機の数字を指す
王は腕組みをしてみせた
四
四人は缶コーヒーを飲んでいた
「ひどい男もあったものです」
ウルジーがいった
「妻と離婚したいばかりに」
王は視線を合わせない
「最初から結婚などなかったのだと」
王妃は見た
「裁判で申し立てたそうです」
「どこで知った?」
「週刊誌のゴシップ記事ですよ」
「認められたか?」
「どうやらそのようで」
王妃は何もいわなかった
遠くアラゴンから
イングランドに嫁いだ日を思う
王も何もいわなかった
その手を使えば
アン・ブーリンと結婚できると思う
侍女は胸をいっぱいにし
枢機卿は頭を野望でふくらませて
缶コーヒーを空にした
脱水まであと十五分あった
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