2009年11月30日月曜日

「トロッタ通信 10-22」

つまるところ、歌手と語り手の違いは何か、ということになります。同じ声を使う者でありながら、何が違うのか? 詩と音楽という時、詩は、語り手であり、詠み手によって担われるものでしょう。音楽は、歌手、歌い手によって担われるものでしょう。伊福部昭氏がおっしゃっていました。音楽は、メロディとリズムとハーモニーでできている、と。


歌手は、メロディとリズムとハーモニーに生きている者で、その表現者です。語り手、詠み手は、メロディとリズムとハーモニーがなくても生きていけます。むしろ、それがあると、リアリズムから離れるという人もいるでしょう。ただ私は、詩と音楽を分けているのではなく、一緒に考えようとしています。メロディとリズムとハーモニーのある詩、詩の表現を考えようとしているのです。それならそのまま歌でいいと、決まったことをいうのではない。歌はもちろんいいのですが、自分の表現としては、その一歩か二歩手前にある詩唱を、私は考えています。それが未完の表現だといわれても、別にかまいません。歌として未完、語りとしては余ったもの。別におかしくありません。オペラは音楽ということになっていますが、演劇性が高いと思います。しかし、演劇ではありません。


演劇は完成形でしょうか。そこから音楽性は、ほとんど抜け落ちています。抜け落ちてはいけないのでしょうが、二の次というのが現状だと感じられます。最初から音楽を想定して演出される演劇が、どれだけあるでしょう。

演劇に音楽性を与えたものがミュージカルだといっていいでしょうか? 笑い話のように、役者が台詞の途中で、いきなり歌いだすんだよといいます。リアリズムからいうと変です。しかし変と思わせず、ミュージカルの舞台では、役者がいきなり歌い出し、踊り出す瞬間にこそリアリズムを感じます。オペラには、踊りはありません。バレエが取り入れられますが、歌手は、踊りません。しかしミュージカル役者は踊ります。


純粋であるものの、不足感。

純粋であろうとすることの、不自由さ。


こうしたことについて考えようとしたのではないのに、いつの間にか、このような言い方に、行き着いてしまいました。


「10へ」;32

東京音大にて、フルートの八木ちはるさん、ファゴットの小楠千尋さんと、部屋を予約する打ち合わせを行いました。感謝いたします。

30分ほどひとりで練習をしました。18時30分から20時30分まで、池袋のスタジオ・ノアで、合わせました。詩唱の松谷有梨さん、黒田公祐さん、ピアノの森川あづささんが来てくれました。まず1時間、『捨てたうた』、続いて1時間、『死の花』などです。

帰途、ホセ・カレーラスの、ウィーン・カムバック・リサイタルのDVDをまた買いました。何度目でしょうか。聴くたびに歌の難しさを思います。

帰宅後、皆さんに、明日以降の練習日程をメールで送信しました。プログラム作成に手をつけられません。

2009年11月29日日曜日

「10へ」;31

今井重幸先生に、荻窪駅のホームで『鎮静剤』の楽譜をお渡ししました。
今井先生がご購入されたツリーチャイムが、下倉楽器から到着しました。
いよいよ作らなければということで、11月30日(月)からの練習日程作りに取りかかりました。しかし、皆さんの予定を合わせるのが、非常に困難です。
バンドネオンのメンテナンスのため、新中野まで出てこられた生水敬一朗さんに会いました。『鎮静剤』の楽譜をお渡ししました。また、生水さんが初めて出されたCDをいただきました。
帰宅して、本番までの日程表を作り続けました。あまりに複雑なので、二度に分けて送りました。送ったとたん、気持ちが少し晴れまして、ちらかり放題だった部屋を片付けました。やはり、心の散らかりようが、部屋に反映されていました。
いくつか、ご提案はありましたが、皆さんから、特に練習日程について、大きな変更はないようです。

「トロッタ通信 10-21」

ちょっと、話がずれるようですが。

語り、朗読、詩唱と、呼び方は何でもいいのですが、歌では声がよく聴こえても、語りになると、声が聴こえない、とたんに小さな声になってしまう方がおられます。

語りと歌は、発声方法が違います。歌は、響かせれば聴こえます。響かせて、伸ばすということができます。しかし、語りは、響かせるのは工夫次第ですが、伸ばせません。歌なら、わーたーしーはー(私は)、といえますが、語りで同じことをすると、おかしな話になります。

この逆も不都合が生じまして、語りは上手なのに、歌は妙に力の入った声になって、聞き苦しい人がいます。あるいは、メロディに乗せられない、ぶつぶつ切れてなめらかなレガートにならない、といった現象も起きます。意味を伝えようとするあまり、言葉が立って、メロディは後ろに隠れてしまう場合もあります。バランスの問題ですが、これは難しいです。

歌は響けばいいので、力を入れない方がいい。語りは響かせるのが難しいので、ある程度の力は必要だと思います。それに、愛をささやくのに大きな声で発声するのは、リアルさからいえば変なので、大きな声を使いたくない気持ちはわかります。マイクという利器があるので、それを使えばいいということになります。ただし、私はマイクを使いたくありません。


語り、朗読、詩唱を始めた最初からそうです。マイクを使いたくないのは、生の声を届かせたいからです。停電になったらどうする? という笑い話をしていたこともありましたが、室内でする限り、停電になったら、演奏会そのものが成立しません。

マイクを使ってほしいお客様もいます。腹式呼吸の声は聴きたくないというアンケートの回答もありました。ポップミュージックは、全部、マイクを使っています。楽器も電気です。生の楽器でも、増幅器を通しています。芝居は、基本的にマイクを使いません。使わないはずです。しかし現実的には、ミュージカルなど、使っているのでしょう。音楽との兼ね合いがありますから。

仮にですが、ものすごく広い劇場に出演して、大音量の音楽が鳴っている場合、現実問題として、私もマイクを使うでしょう。他の人がマイクなのにひとりだけマイクなしでは逆効果です。もちろん、選べる立場なら、そもそも、そういうところに出ません。


歌と朗読の違いは、まだあります。それぞれの分野で上手な人を比べた場合、歌は繰り返して聴けますが、朗読は聴けません。歌は、例えば仕事をしながらでも気分を楽にするため、歌のCDを再生することはあっても、朗読では、ちょっと難しいと思います。やはり、内容を聴かなければいけません。落語でも内容があって笑えるわけです。声の響きを楽しもうという具合にはなりません。ベテランの噺家などになると、響きや雰囲気を楽しめるという言い方ができるでしょうが、しかし本来は、内容を伝えるものです。歌は、メロディやリズムやハーモニーを楽しめます。詩の意味は大事ですが、メロディで聴かせるものです。私が、朗読にもメロディやリズムがあるといいはっても、歌にくらべれば単調です。おもしろみが少ないのです。


マイナスの点ばかり並べてしまいました。にもかかわらず、なぜ語り、朗読というものが、古くから存在しているのか。なくならないのか。歌手が語りも歌もすればいいのに、語り手がいて、役者がいて、という状況が続いているのか。私自身について、考えようとしています。

「トロッタ通信 10-20」

今井先生の回顧展コンサートは、私も拝聴させていただきました。そのライヴ録音を聴きますと、バリトンの宮本益光氏が、歌い、語っています。トロッタ10の『時は静かに過ぎる』は、バリトンの根岸一郎氏が歌い、私が語ります。なるほど、今井先生は、語りを伴う音楽に、もともと縁があったのだと、今さらながら実感しました。


歌手が歌い、語る。それができれば、役者は必要ないといえます。役者といわなくても、語り手は必要ありません。音楽に必要なのは歌手であって、歌手が語るなら、歌えない役者は必要ない。音楽の舞台では、役者は部外者です。しかし、今井先生の曲には、歌手ではなく、語り手が登場する作品があります。それが『奇妙-ふしぎ-な消失』であり、回顧展コンサートでも、舞踊のための音楽『グラナダの妖女サロメ』に、ヘロデスという人物が登場し、これには役者の有本欽隆氏が扮しました。


本音をいえば、詩と音楽をテーマにした「トロッタの会」を続けていますが、まったく疑問を抱かず、信念だけを持って舞台に立っているかというと、そうではありません。居心地の悪い思いをしています。音楽と融合した語り、詩唱を心がけながら、本当に融合できているのか、音程のない発声が、周囲から浮いていないか、常に考えます。

私の詩唱を聴いて、あるいは観て、芝居のようだという声は、しばしば聴きます。私は、芝居をしていました。しかし、今はしていません。それが答え、ひとつの態度で、芝居には違和感を持っています。芝居を、私はやめたのです。役者になりきれなかったのです。続けられなかったのですから、落伍者です。かといって、歌手であるかというと、そうではありません。歌は習っていますが、そんな人は世の中にいくらでもいます。歌えばすなわち歌手かというと、そうではありません。

私の詩唱を芝居だという声には、芝居をしていたから、その名残が感じられるのだろうと思います。音楽の新しい表現だと思っていただけないことに、無念さを感じます。『奇妙-ふしぎ-な消失』や『グラナダの妖女サロメ』に出演した役者の方々は、どんなことを感じて舞台に立ったのでしょうか。バリトン歌手・宮本益光氏は、何を思いながら、語ったのでしょう。語りに違和感を持たなかったのか。

トロッタ10では、田中修一氏の『雨の午後/蜚(ごきぶり)』で、短いながら、私は歌います。これは間違いなく、詩唱ではなく、下手であっても歌です。芝居のようだと思う人はいないでしょう。実に明確な違いがあります。語りは永久に語りであって、歌にはならないのか。私の詩唱とは、何なのか。


今井先生は、回顧展コンサートのプログラムで、こんな発言もしておられます。

「私の作品は、どうしても器楽の曲に偏ってしまっていて、そういう系統だけではなく声楽を前面に出した作品も書いてみたいとの欲求を長く持っていました。声はやはり根源的なものですから、人間の根源というか原初というか、そんな領域に興味を持つ作曲家としては、その声をきちんと扱いたいとは思い続けてはいたのです」

声は根源的なものであり、原初の領域でもある。

何となく、答えに至る手がかりが、ここにあるのではないかと思いました。

2009年11月28日土曜日

「10へ」;30

午前中から今井重幸先生と連絡を取り合い、ツリーチャイムを探しました。お茶の水の下倉楽器で高くないものを見つけまして、先生自ら楽器店に出かけ、ご購入されました。明日、私のもとに届きます。

仕事の原稿書きなど、いろいろありまして、どうにも落ち着きません。

17時から、中野駅南口のヤマハにて、清道洋一さんの『主題と変奏、或いはBGMの効用について』、やはり清道さん編曲のシャンソン組曲を合わせました。笠原千恵美さん、田口薫さん、仁科拓也さん、藤本彩花さん、並木桂子さんの参加です。

帰宅後、プログラムの編集作業を続けました。本番までの練習日程を作るべく、皆さんの予定を再確認しました。

2009年11月27日金曜日

「トロッタ通信 10-19」

オノレ・シュブラックという男が、ある人妻に恋をします。夫の留守中に逢い引きをしていると、そこに夫が現われ、オノレ・シュブラックをピストルで撃ち殺そうとします。恐怖にかられて壁にはりつくと、そのまま壁に溶けこんで消えてしまう。これが「滅形(めっけい)」です。彼は難を逃れましたが、恋する人妻は撃ち殺されました。以来、夫の目を逃れて、パリの街を彷徨する。夫に出会うたび、壁に溶けこんで……、という物語です。


今井重幸先生に、お話をうかがいました。


「アポリネールの短編は、小説ですが、戯曲風の趣があります。初演では、ベテランの俳優で、声優でもある八木光生さんに出演していただき、彼が原作をすべて語りました。また、紀さんがアポリネールのいくつかの詩句を引用し、これを構成して三つの詩を作りましたので、メロディを添えて歌にしました。歌い手は二十絃奏者です。箏と弾きながら歌ってもらいました。さらに、ブリッジと呼ぶ短い曲を書いて場面をつなげてゆく。そのような構成の曲にしました」


今井先生によると、紀光郎さんは、花柳伊寿穂の名前でご活躍の日本舞踊家ですが、紀光郎名義で、台本作者として活躍しておられます。また、お兄様がフランス文学者であり、その影響で、紀さんもアポリネールなどの作品に親しんでおられたとか。紀さんが、アポリネール作、堀口大學訳の『オノレ・シュブラック滅形』をもとに、音楽作品を創ってみたいと欲したのは、自然なことでした。


「語りを伴う音楽というのは、1953年(昭和28)年にNHKで制作しました、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』や『杜子春』など、若いころからテレビなどのために劇音楽をたくさん書いて来ましたから、私としては慣れています。注意しなければならないのは、ドラマの激しい場面に、激しい曲を書く、悲しい場面に悲しい曲をつけると、ドラマの深みをなくしてしまうことです。日本の演出家には、そこをわかっていない人がたくさんいて、場面をなぞるような音楽を要求されることが多いのです。私もしばしば、演出家たちと議論をして来ました」


2003330日(日)、上野の東京文化会館で行われた「今井重幸/回顧展コンサート」で、『「草迷宮」のイメージに拠る詩的断章』が初演されました。もちろん、泉鏡花の『草迷宮』が原典にありますが、今井先生ご自身が、舞台演出家としての名前、「まんじ敏幸」として詩を書かれ、バリトンによる歌と語り、童声による合唱ありの作品となったのです。詩の一節を引きましょう。


鎮守の森のてっぺんから 烏天狗が舞い下りて

赤いおべべの娘が二人 手毬(てまり)をついて 鞠(まり)ついて

ひとつとせ ふたつとせ 三っつとせ 四っつとせ

烟(けむり)のように 烟のように

昏(くら)い空へと かき消えた


当日のプログラムに、音楽評論の片山杜秀氏がまとめた、先生の言葉があります。

……どのようなテキストに作曲するかとなりますが、私としてはどうしてもまず幻想的なおどろおどろしい世界をやりたい。私は演劇とのかかわりでも舞踊との関係でも、日常のリアリズムを超えたアンチ・リアリズムの世界、人間の見えない本質が闇のそこからたちあらわれてくるような超現実的な、不条理な、あるいは反近代というか土着的というか、そうしたテリトリーに感心がずっとありました」

『奇妙な-ふしぎ-な消失』、トロッタ10のための『時は静かに過ぎる』も、そのような志向のもとに作曲された音楽世界といってさしつかえないでしょう。

「10へ」;29

今井重幸先生についてブログに原稿を書こうと思い、新宿で、アポリネールの詩集を買いました。フランス文学については、他もそうなのですが疎いので、勉強になります。

夜、今井先生と荻窪で落ち合い、『時は静かに過ぎる』の残りの譜面をいただきました。これで、この曲は完成です。詩と音楽について、今井先生にお話をうかがいました。ブログに載せます。打楽器の内藤修央さんに、使用楽器のリストを送りました。ウィンドチャイムは、私と先生とで、何とか手配をすることにしました。

当日配布用のプログラム作りを始めました。宮﨑文香さんに連絡を取りまして、週明け、印刷および製本の作業をすることにしました。
ここまで来ますと、仕事の原稿を書くエネルギーはもう、まったく残っていません。

つぶやきですが、もっと自由に、詩作なり、演奏なりをしたいと思います。妨げるものは何もありません。何か妨げるものがあるとしたら、自分自身でしょう。

2009年11月26日木曜日

「トロッタ通信 10-18」

ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ

われらの恋が流れる

わたしは思い出す

悩みのあとには楽しみが来ると


日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る


手と手をつなぎ 顔と顔を向け合おう
こうしていると
二人の腕の橋の下を
疲れたまなざしの無窮の時が流れる


日も暮れよ鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る


流れる水のように恋もまた死んでゆく

恋もまた死んでゆく
命ばかりが長く
希望ばかりが大きい

日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る

日が去り 月がゆき
過ぎた時も
昔の恋も 二度とまた帰ってこない
ミラボー橋の下をセーヌ河が流れる


日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る


Le Pont Mirabeau


ギョーム・アポリネールの『ミラボー橋』です。堀口大學の翻訳で、新潮文庫の『アポリネール詩集』から引用させていただきました。かつての恋人、マリー・ローランサンへの想いを詠んだ詩であるといいます。1913年刊行の詩集『アルコール』に収められた後、音楽となり、シャンソンの名曲として多くの歌手が歌ってきました。『アポリネール詩集』の『アルコール』の章には、『マリー』という詩もありました。マリー・ローランサンの面影を詠んだ作品です。始まりの二連です。


小娘でここで踊っていたあなた

祖母(おばば)でここで踊るだろうか

ここの踊りのマクロット?

マリーよ あなたはいつ戻る?

ありたけの鐘を鳴らして祝おうに!


仮面(おめん)をつけた人たちもひっそりとして踊ってる

音楽は遠いところで鳴っている

空から聞こえてくるみたい

そうなんだ あなたを僕は愛したい だがそっと!

そのほうが悩むにしても楽だもの


トロッタ10では、偶然ですが、アポリネールとマリー・ローランサンにゆかりの曲が並びました。それも、始まりと終わりに。どちらも、今井重幸先生の曲です。

幕開きの曲、「今井重幸によるヌーベル・シャンソン 新しい歌の流れII」の一曲『鎮静剤』は、マリー・ローランサンの詩、堀口大學の訳です。すべて引きましょう。


退屈な女より

もつと哀れなのは

かなしい女です。

かなしい女より

もつと哀れなのは

不幸な女です。

不幸な女より

もつと哀れなのは

病気の女です。

病気の女より

もつと哀れなのは

捨てられた女です。

捨てられた女より

もつと哀れなのは

よるべない女です。

よるべない女より

もつと哀れなのは

追われた女です。

追われた女より

もつと哀れなのは

死んだ女です。

死んだ女より

もつと哀れなのは

忘られた女です。


大學の『月下の一群』に編まれた1916年の作品で、ローランサンに捧げたアポリネールの詩が、1913年の詩集に収録されているところを見ると、男の詩を読み、女は詩を書いたのかもしれません。当時、すでにローランサンは結婚して、パリからは遠く、スペインで暮らしていたそうです。

おしまいの『時は静かに過ぎる(「奇妙-ふしぎ-な消失」より)』は、アポリネールの短編『オノレ・シュブラック滅形』を原作に、堀口大學が訳し、これを台本作家の紀光郎(のり・みつお)氏が構成した作品をもとに、今井先生自らが編曲をほどこした、ほとんど新曲のような作品です。

私はフランス文学に疎く、アポリネールもマリー・ローランサンも知りませんが、詩が音楽について恋人同士だった詩人の作品を通して、考えることができます。


『オノレ・シュブラック滅形』は、詩ではありません。小説です。散文であり、歌になりそうにありません。今井重幸先生は、紀光郎氏の構成をもとに、朗読をともなう音楽にされました。曲名は『ル・コント ファンタジー 奇妙-ふしぎ-な消失』。今年の917日(木)に初演されました。私は残念ながら聴くことができませんでしたが、演奏直後、音楽評論の西耕一氏が口にした言葉を覚えています。「朗読がある曲で、トロッタで演奏したらいいですよ」

当日プログラムを見ると、編成は、語りに、ヴォーカル・二十絃箏、チェロ、マリンバ・打楽器、フルート、サブヴォーカルとなっています。これをトロッタ10では、バリトンとソプラノ、フルート、オーボエ、弦楽四重奏、打楽器としました。チラシには書きませんでしたが、今井先生の作曲過程で、私も、詩唱・朗読として出演することになりました。総勢11名です。

初演と再演の間隔がほとんど空いていません。しかも、初演と再演は、まったく違った編成になりました。珍しいことだと思います。

「10へ」;28

そろそろ当日プログラムの編集に取りかからなければと思っています。印刷、製本を含めて、時間を確保する必要があります。

今井重幸先生の曲など、まだ皆さんの御手元に届いていない楽譜を、メール便の速達で送りました。楽譜を効率よく発送することは、考えなければいけない課題です。

今回の『めぐりあい』は、「陽だまり」と題されています。田中修一さんの編曲です。プログラムに掲載する、歌パートの譜面は、橘川さんに作ってもらうことにしました。コンピュータのソフトを使って作れる方にお願いしなければいけません。

週末の練習予定を作成しました。なかなか皆さんの集合が難しいのですが、中野駅前のヤマハで、シャンソン組曲と、清道洋一さんの『主題と変奏、或はBGMの効用について』を、参加できる方だけでも合わせることにしました。

今日も二期会のスタジオで練習させていただきました。18時、千駄ヶ谷駅前で橘川琢さんと待ち合わせました。赤羽佐東子さん、森川あづささんは、『死の花』の練習を、先にスタジオで始めました。18時30分に移動。私も交えて『死の花』を合わせます。約10分の曲となりました。19時、オーボエの今西香菜子さん、ピアノの徳田絵里子さんがお越しになり、田中修一さんの『雨の午後/蜚』を合わせます。なかなか音程が取りづらい曲です。私も歌います。20時に予定を終えましたが、せっかく今西さんが来ているので、田中隆司さんの『捨てたうた』も合わせました。オーボエの音を、この曲の練習で聴いたのは初めてです。

帰宅後、トロッタには関係ありませんが、仕事のための本を2冊、読みました。明日が本紹介原稿の締切です。

2009年11月25日水曜日

「トロッタ通信 10-17」

人にはそれぞれ、他人と自分との間に共通点を持っています。私と誰かが似ているのではありません。私と誰かの何かが似ているのです。まったく似るところのない人、似ない点のない人は、ほとんどいないのではないでしょうか?

清道洋一さん。

私と清道さんは、少なからず、いくつかの点が似ています。まったく似ていない点もありますが、似ています。私の『椅子のない映画館』を、すぐおもしろいといってくれました。『ナホトカ音楽院』もそうでした。『光師』を始め、いつか音楽にしますといってくれている詩がたくさんあります。それは『アルメイダ』を始め、おおむね、私が物語性を感じる詩です。

清道洋一さん。

『蛇』を音楽にしていただいてありがとうございました。あの詩は、はっきりと、音楽にされることを期待して書いた詩でした。ソロとコーラスを、詩の段階ですでに分けて書いています。そのような形の詩は、おそらく、その後は書いていません。『蛇』に注目してくださいまして、感謝します。音楽になればとは思いましたが、どのようになるのがいいのか、私の期待とまったく違う方向で作曲していただきましたこと、うれしく思います。トロッタ8で、好評でした。

清道洋一さん。

人にあてて詩を書いているわけではありませんが、この詩は田中修一さんにふさわしい、橘川琢さんにふさわしい、酒井健吉さんにふさわしい、さらに清道洋一さんにふさわしいと、トロッタを何度か一緒に創ってきた人の傾向を、感じることがあります。どんなところが、とは明確にいえません。清道さんの場合なら、物語性を好む点、虚構性を好む点、などでしょうか。

清道洋一さん。

『風乙女』はおもしろかったですね。現代作曲家グループ蒼の舞台に立たせていただきまして、ありがとうございます。意味のない言葉を、私は発声しました。清道さんのおかげです。「風乙女」というテーマで詩を書いてほしいといわれて書きました。風は耳に聴こえます。風の音に意味はありません。しかし、感じるものがあります。風を、通常のひゅーとか、ごおーではない言葉で表現できました。あのようなことを、もっとしてみたいと思います。意味に縛られるのはつくづく嫌です。意味は何の意味もない。そう言い切ってしまいたい私がいます。詩と音楽で、意味のない世界に遊びたいのです。

「10へ」;27

朝は9時からギターのレッスン。続いて11時半から歌のレッスンです。疲れる前に充実を感じます。新宿で、楽譜を大量にコピーしました。出演者に配る分です。これを効率よく、二度手間をはぶくようにして渡さなければなりません。

今日は、二期会で、今井重幸先生立ち会いのもと、『時は静かに過ぎる』の、歌中心の合わせを行います。昼間はその準備をしました。私の出番は短いのですが、楽譜を整理したりしなければなりません。

18時、千駄ヶ谷の二期会へ。津田ホールの前で、ピアノの並木桂子さんと会いました。並木さんには、根岸一郎さんが歌う、伊福部昭先生の『知床半島の漁夫の歌』のピアノと、本来はピアノがないのですが、『時は静かに過ぎる』の練習ピアノをお願いしています。
二期会に着きますと、根岸さんがお見えでした。赤羽さんもいます。地下のスタジオで、『知床半島』を合わせます。18時半過ぎになり、『時は静かに過ぎる』を合わせます。18時50分、千駄ヶ谷駅で今井先生を迎えました。若干の打ち合わせをします。私も詩唱・朗読で参加するのです。二期会に引き返し、20時半まで練習しました。次回は、楽器の方々を交えて合わせたいと思います。
    
まったくの手抜かりがありました。「詩の通信IV」の読者に、トロッタ10と、日本音楽舞踊会議のチラシを送っていなかったのです。8人ではありますが、失敗でした。あわてて送るよう準備しました。

2009年11月24日火曜日

「トロッタ通信 10-16」

清道洋一さんは、劇団「萬國四季教會」で、作曲を担当しています。彼と演劇論を交わしたことはありません。しかし、トロッタを通じて、演劇に通じる音楽論、逆に、音楽に通じる演劇論は話し合っている気がします。話しはしていなくても、実際の舞台を通して感じあっていると思います。探りあっている段階かもしれません。また結論など、何年つきあってもなかなか出ないと思います。だとしたら、舞台を通じた交感こそが、望ましいといえるでしょう。


演劇については、私も考えることがあります。私は、高校生のころから芝居をしていました。大学時代を過ぎてからも何年か、芝居を続けていました。それが終熄したのは、後に『伊福部昭 音楽家の誕生』となる原稿を書き始めたころです。完全に重なる訳ではありませんが、書くことに向かう過程で、舞台から降りました。そして現在、トロッタを通じて、再び舞台に上がるようになりました。一度降りた人間が、また上がったということ。そこでたくさんの人と出会いましたが、そのうちのひとりが、音楽で芝居に関わっています、清道洋一さんです。


何でしょうか? 芝居とか。ここに詩と音楽があると思うのは、私ひとりではないはずです。詩と音楽を融け合わせたものが芝居だといっても間違いではないと思います。それなら、舞踊も美術も融け合わせなければいけないでしょう。その通りです。ただ、現代の多くの芝居に対する私の不満は、音楽が物足りないということ。役者の演技にオリジナリティを求めるのに、なぜ音楽になると、すでにあるものを使うことが多いのでしょう? そのような演出家の態度こそ、問題なのではないでしょうか。彼らは、自分の記憶を舞台で再現しているに過ぎません。舞台の創造者としては失格です。清道さんと「萬國四季教會」は、その不満を払拭してくれます。満足、とまではいかないにせよ、作曲家によって、オリジナルな音楽を創ろうとしている点は評価されていいと思います。忘れてはならないのは、戯曲そのものも、オリジナルなのでした。決して、世の名作の再生産に明け暮れているわけではありません。劇作家のひとりが、トロッタ10に参加される田中隆司さん、芝居の世界でのお名前は、響リュウさんです。


もちろん、オリジナルだけにこだわることはありません。過去に生まれた名作を取り上げてもいいでしょう。例えばシェイクスピアを上演して、そこに現代の問題を象徴させられるなら。音楽にも同じことがいえます。トロッタが、現代の作曲家の作品にこだわる理由は、そこにあります。クラシック音楽を演奏するのもけっこうですが、現代の音楽を創りたいのです。でなければ、作品を世に問えないまま、作曲家という存在は滅んでしまいます。

「10へ」;26

今日は締切原稿をふたつ出さなければいけません。その後で、橘川琢さんの『死の花』を受け取らなければいけないので、時間厳守です。

実は、橘川琢さんに御事情があり、『死の花』が、予定の編成で作曲できないことが、昨夜、決定しました。ご期待いただきましたお客様に、深くお詫びします。最終的な編成は、ソプラノ、詩唱、ヴァイオリン、ピアノです。『冬の鳥』と同じになりました。
橘川さんからは、今日、楽譜を受け取らなければなりません。トロッタ10の後には、日本音楽舞踊会議 作曲部会公演の『冬の鳥』が控えています。『死の花』を受け取れなければ、『冬の鳥』も受け取れません。

高田馬場の待ち合わせ場所に、彼は楽譜を持って来ました。ピアノの森川あづささんも来てくれましたので、さっそく池袋に移動し、二人とも初見ですが、とにかく作曲者立ち会いのもと、合わせました。橘川さんの苦しさが垣間見える譜面に感じました。しかし、それならば演奏する側が工夫すればいいわけなので、苦しさが感じられないようにしたいと思います。苦しさが生のものではなく、表現になっていれば、問題ないでしょう。こうしたことも、詩と音楽が内包するテーマだと思います。
『死の花』に、花いけの上野雄次さんが参加できないのは残念ですが、いつまで残念がっても仕方がありません。音楽で、花を表現できればと思います。

合わせを終えて、弦楽器CDの専門店、ミッテンヴァルトにトロッタ10のチラシを持って行きました。橘川さんは、日本音楽舞踊会議のチラシも渡していました。
帰宅後、関係者にメールを送りました。本番が近づいています。これからは息を抜けない毎日が続きます。いや、抜きながら過ごしてもいいと思いますし、その方がいいに決まっていますが、私の性格上、さらにはトロッタの現時点の力を考えて、力は抜けないだろうと思います。よほどの力がなければ、力は抜けません。

大事なことを書き忘れていました。新宿ハーモニックホールの使用料を、全額、、支払いました。これで後戻りできないという心境です。後戻りするつもりはありませんが。

2009年11月23日月曜日

「10へ」;25

朝11時、阿佐ヶ谷駅改札で今井重幸先生と待ち合わせ、『時は静かに過ぎる』の楽譜をいただきました。歌が入る2曲分です。その前後に、前奏曲と終曲がありましたが、先生はこれを一曲にして、歌の前に演奏することを考えています。歌の譜面をいただくのも、これで3度目です。少しずつ直しておられるのです。

部屋で原稿を書き続けていますが、どうも落ち着かず、進みません。いろいろな連絡をせねばならず、トロッタをどう変えればいいかについて考え、そんな先のことではなく目先の対応に追われと、気ばかり焦って悪循環に陥っています。そうして焦っているうちにも、時間だけは過ぎてゆくのです。

ひとつの問題が起こった時、ひとりで抱え込まないで、多くの人の手を借りていいと思います。借りる手は、人だけでなくてもいいでしょう。問題を共有してもらい、あるいは分散させることで、悲劇を回避できると思います。ドラマとしての悲劇は好きですが、日常で、自分がその主人公になることはありません。何て気楽な、と映るくらいがちょうどいいと思います。それでも内面にはさまざまなものを抱えているのですから。

「トロッタ通信 10-15」

それ自体はおもしろいことと前提した上で書きます。トロッタ9の『アルメイダ』は、まだ私の中で解決されていません。私の詩から、あまりにかけ離れていましたから。演奏された曲に使われた私の言葉はわずかです。当日の印刷物を取り出し、改めて確認しましたが、清道さんの言葉の分量が、確かにまさっていました。私の詩が長過ぎたのでしょうか。


もともと、清道さんに頼まれたのは、架空のCMのための詩を書いてほしいということでした。短い曲をつなげて組曲にしたいというのです。考えましたが、私にCMは無理だと思いました。そして、架空の国の話にしようと、『アルメイダ』を書いたのです。亡命詩人の手記、という形です。しかし清道さんは、ドードー鳥、オーロックス、リョコウバトといった、絶滅動物を登場させ、彼らの述懐を交えて物語を進めます。さらに、亡命詩人に常に話しかける男優を登場させます。内面に沈潜しがちな詩人に問いかけ、詩人の心をかきまぜて、世界を撹拌させようとします。絶滅動物も、詩人に問いかける男も、私の詩には存在しません。どうして、清道さんは、私の詩をそこまで変えたのか?


彼の本質に、「変奏」があるのだと思います。彼は変奏者なのです。主題は主題として明らかなのだから、今さら再現しても仕方ないということか。あるいは、主題から離れた表現こそ、つまり『アルメイダ』なら、私の詩を受けて自分の音楽を奏でることこそ、表現者としての役割だと思っているのかもしれません。では、私は、彼の「変奏」をさらに「変奏」する詩唱者ということになります。


『主題と変奏、或いはBGMの効用について』です。「12月9日水曜日 休暇を取って動物園へ行く」で始まる、ある男の日記が詠まれますが、これは清道さんの文章です。清道さんの、実際の日記が使われているのかもしれません。「昨夜から降り出した雨は 乾いた東京の空気に潤いを与えて 心地よい」おそらく、清道さん、そのものでしょう。「雨の動物園は 平日ということもあって とても静かで空いていた ゆっくりと動物を観察する」清道さんの姿が見えてきます。「人という檻があったら 誰が入るのがふさわしいかについて考え 数人を檻へ入れた」清道さんらしい、シニカルな視点。失礼があったらあやまります。「昼を過ぎたあたりから みぞれへと変わった雨は 夕方には本降りの雪となって積もる」雨、みぞれ、雪。灰色の東京の空の下を、12月9日水曜日、清道さんは帰っていったのでしょう。「雪見酒 でも酒がない」清道さんの姿がくっきりします。「こんな大雪の中 酒 買いにゆく」またあやまりますが、他人に対してだけではなく、自分自身に対しても、彼はシニカルでしょうか。


これだけの文章が、第一変奏、第二変奏、第三変奏、第四変奏まで変化し、最終変奏では、まったく違った言葉となって現れ、がらりと変わった演奏を聴くことになります。

第一変奏「じつにがゆ ここよか すいのうび ちさめのこ ゆき」これを、主題と同じように詠みます。

第二変奏「12月9日水曜日 休暇を取って動物園へ行く」これを、主題と異なる詠み方で詠みます。

第三変奏「のつにぐゅ ここよか ざいじかび ちさゅのこ ゆき」これまでにない詠み方で詠みます。

第四変奏「くゆにいか けさ かなのきゆおおな んこい」何だかわかりません。わからないことを、私も音楽もリズム主体となり、発声し、演奏します。

最終変奏。私が書いた「雪鼠」という詩を、ナレーションと共に詠みます。しかし始まりは、「ーーうにーー ここーかー ーいーーび ーさーのーゆきー ーーうーーとっー ーうぷーえんー ゆー」という、意味のない言葉です。意味のない言葉--。藤枝守氏の『響きの生態系 ディープ・リスニングのために』が紹介した、ネイティブ・アメリカン、ナバホの言葉を思い出します。具体的な意味はありません。意味がない言葉は『魔法のコトバ』ともいわれ、呪術的でマジカルな力を持つと考えられました。言葉に意味や概念が加わることで、言葉は解釈や理解の道具となり、霊的な作用や呪術的なパワーが失われてしまった……。


解釈や理解の道具ではない言葉を、私は発します。意味はもちろんありません。意味がなくなってしまうほどの変奏です。しかし、この変奏は、清道さんの中では規則性があります。聴く人にはわからないと思います。彼は、決してでたらめをしたくないのでしょう。彼が「変奏」にこだわるなら、私もまた、「ボッサ 声と音の会vol.4」とはまったく違った詠み方をしてもいいでしょうか?


2009年11月22日日曜日

「10へ」;24

「10へ」と「トロッタ通信」の執筆が遅れがちになっています。遅れても、書かなければいけません。書いた方がよいのです。仕事も遅れがち、「10へ」「トロッタ通信」も遅れがち、トロッタ10の準備も遅れがち。トロッタについては、今後、皆さんで協力をし、分業体制で進めることを考えています。

18時から、初台のスタジオ・リリカで、合わせを行いました。まず、徳田絵里子さんと、田中修一さんの『雨の午後/蜚(ごきぶり)』。音がうまく取れません。続いて18時半から、笠原千恵美さん、松谷有梨さん、黒田公祐さんが加わって、田中隆司さんの『捨てたうた』。19時にはフルートの八木ちはるさんが参加し、20時まで行いました。

昨日、書き忘れたことがあります。更科源蔵氏最後の詩集『如月日記』が、届きました。行分けしてありますが、ほとんど散文詩のような調子です。「日記」とあるとおり、日々の身辺雑記にも思われます。しかし作者の更科氏は、これは「日記」だと思っていました。作者が「日記」だというのですから、それでよいと思います。

「トロッタ通信 10-14」

■ 主題と変奏


清道洋一さんは、トロッタ10に『主題と変奏、或いはBGMの効用について』を出品されます。トロッタで発表されるのは初めてです。昨年、2008年9月28日(日)、カフェ谷中ボッサ行われました、「ボッサ 声と音の会vol.4」で初演された曲です。

初演をし、トロッタ10で再演しようとしていますが、私は、この曲を完全に理解できていません。私は一個の楽器としての役割を求められているようです。私の考えよりも、私の音を、清道さんは求めているように感じます。それは私にとって、本望でもあります。考えなど捨て去りたいと思う私がいます。どんなに立派なことを考えていても、音にできなければ、舞台では通用しません。


清道さんと初めて会った時、彼は自分の作品集をCDで持って来て、『蠍座アンタレスによせる二つの舞曲』を聴かせてくれました。舞曲です。情熱的な曲でした。永遠に流れる時間の中で踊っていることを感じさせる、すばらしい曲だと思いました。抽象的にいっても意味はないのですが、進歩とか発展とか、そんなことを止めてしまった世界。そこにある場末の酒場でいつまでも踊っている男女の姿を感じさせてくれました。私はお返しに、これなら清道さんにふさわしいと考えていた『椅子のない映画館』を見せました。彼はすぐ、これを曲にさせてほしいといいました。それは、椅子のない、立ったまま観る映画館に足を運ぶ男の話です。


『椅子のない映画館』を演奏したのは、2008年6月8日(日)のトロッタ6です。この時、彼は椅子を使ったオブジェを創り、会場に置きました。彼は開演前、一生懸命になって、椅子を新聞紙で包み込んでいました。「ボッサ 声と音の会vol.4」で再演した時も、段ボール箱を覗き込むと、中に小さな椅子が見える仕掛けのオブジェを創りました。何かしないと気がすまないようです。音楽は、音としてだけあるのではないと、彼はいいたいようです。

彼の態度はストイックではありません。音以外のものを加えています。考えてみれば、私たちは音だけで生きていません。また音楽会といっても、私たちは演奏者の所作や表情を観ています。会場に足を運ぶまでにいろいろなことがありました。隣の人の息の音や気配が気になります。それらすべてを含めて音楽会の音楽なのです。ストイックな世界に、そもそも人は生きられないのです。清道さんの表現は、そのようなことを、私たちに教えてくれているようです。もちろん、これは私の受け止め方であり、彼は別なことを思っているでしょう。


私がここで書きたいのは、「変奏」ということ。「主題」が移り変わっていきます。『主題と変奏、或はBGMの効用について』という曲は、清道さんの本質かもしれません。演奏だけではない、言葉そのものが変化していきます。詩の物語も変化していきます。

清道さんとはこれまで、トロッタでは『椅子のない映画館』『ナホトカ音楽院』『蛇』『アルメイダ』の作品でご一緒してきました。こうして並べるだけで、大きなスケールを感じます。『椅子のない映画館』では椅子のオブジェを創りました。『ナホトカ音楽院』では、架空の音楽学校の風景をスライドや印刷物で見せました。『蛇』では、長くて幅の広い和紙を使い、巨大な蛇を想像させました。『アルメイダ』では、アルメイダという海の国を、美術家・小松史明さんの手を借りて絵にし、会場で配布しました。そうしたことが、「変奏」かもしれません。何かの「主題」があって、彼はそれを「変奏」させていきたいのかもしれません。


彼に身をまかせていれば、私自身が変わっていきます。私も知らなかった私が姿を現します。

2009年11月21日土曜日

「トロッタ通信 10-13」

トロッタ10に、花いけの上野雄次さんは出演しません。毎回のご出演には無理があるので、今回はお休みです。『花の記憶』も、初めは、上野さんの出演はありませんでした。途中でお話しをして、出ていただくことになったのです。今回は逆です。上野さんが出演していい曲ですが、花いけは、ない。詩唱を含め、音だけで作らなければなりません。

上野雄次さんが常に問題にしている一つに、聴覚と視覚の問題があります。音楽というなら、本来は音だけで表現されるものですが、そこに資格の要素が加わった場合、添え物になってしまうのではないか。あるいは聴覚的感興をゆがめる、余分な要素となってしまうのではないか。


『死の花』の第三連。


花は血

飛沫となって地面に散る

私はそれを

すくいあげて活ける

手を血に染め

命で濡らしながら

終わりも知らず活けている


これはまったく、上野雄次さんが花を生けている姿です。

『花の記憶』を書いている最中は意識しなかったのですが、この詩は上野雄次の物語だと思いました。舞台に立つ時、私は上野さんになりきって詩唱しよう、彼になりきって言葉で花を生けようと思います。もちろん、上野さんと私は違いますから、なりきるということはナンセンスです。心構え、ということでしょうか。

ですから、上野さんが『死の花』に登場する必然性は、じゅうぶんにありました。しかし、トロッタ10ではお出になりません。いずれ、再演の時にと思っています。


上野さんは、視覚と聴覚の問題について、もう少し違ったことをいっているのかもしれません。私の受け取り方それ自体がゆがんでいるかもしれませんので、その点は追究しないことにします。

私の態度は、橘川さんの言葉にあったように、「ひとつの芸術の分野だけで時間を作るのではなくていろんな芸術の分野が同時進行的にある面白い場というか空間を作り上げているという感覚」を、大切にしたいということです。ただ、何があってもいいわけではなく、舞踊や演劇の要素は、どう共同作業していっていいかわかりませんので、今すぐの共同作業は、考えられません。そういいながら、私の詩唱に演劇性を感じるお客様が多いのは、私の意識していないことで、芝居をかつてしていましたから、出自はぬぐえないものだと実感しています。いずれにせよ、上野さんと一緒に舞台を創りたいというのは、私なりの直感に支えられた願いなのです。


橘川さんと初めて話をした時。新宿のデパートにある喫茶店でした。その場で、資料として持参した記録DVDをコンピュータで再生し、観ていただきました。曲は、名古屋で演奏しました、酒井健吉さんの『天の川』でした。彼はすぐ、これはおもしろい、こういうことをしたかったんですと、言下に断言しました。橘川さんの希望に沿った舞台が、成功不成功はあれ、これまでずっと創られてきたと思います。橘川さんと一緒にできて、詩と音楽の関係は、極めて密接になりました。「詩歌曲」と、橘川さんは、ご自身の詩と音楽による表現を呼んでおられます。酒井健吉さんは、「室内楽劇」と呼んでおられます。私は「詩唱」と呼びます。


死にに行く者が見るという

彼岸の花

さっきも見てきた

駅前で

泥になってベンチで眠る

男たちの周りに花が咲いていた

ここはもう彼岸かもしれない

『死の花』の第一連です。

阿佐ケ谷駅前の風景を描き、花につなげました。私の詩は常に、どこにでもある、日常の風景から始めたいと思っています。

トロッタ10の二日後、12月7日(月)には、橘川さんは、やはり私の詩による詩歌曲『冬の鳥』を初演します。彼が所属する、日本音楽舞踊会議の作曲部会公演です。どのような曲になるか、楽しみです。


「10へ」;23

座・高円寺に、追加のチラシを届けました。トロッタのコーナーが、見づらい位置に移動させられいたので、できれば見やすい場所へとお願いしました。

明日、11月22日(日)の夕方から、『捨てたうた』の合わせを行う予定です。皆さんの時間を合わせるのが難しく、場所もまた、なかなか決まりません。荻窪のクレモニアには足を運んで空き状況を確認しましたが、どうしても合いません。ちょっと遠くなるのですが、トロッタの本公演を開いたこともある、初台のスタジオ・リリカに決めました。

17時20分、今井重幸先生と、新宿駅の西口交番前で待ち合わせました。しかし遅れるとのことで、バリトンの根岸一郎さん、ソプラノの赤羽佐東子さんと先に合流。喫茶店を決めて、先に二人をお通しし、今井先生を迎えました。今井先生の『時は静かに過ぎる』の打ち合わせです。歌が入る二曲は本日、完成しました。後は一曲、プレリュードとフィナーレを合わせた曲をお書きになっているそうです。プレリュードの後には、私も登場して、詩を詠みます。根岸さんはいろいろな知識をお持ちの方で、原作となったアポリネールの小説について、質問をしておられました。

19時過ぎに別れまして、新宿から浅草橋へ。蔵前の小劇場で、中川博正さんが出演している舞台、別役実作『天才バカボンのパパなのだ』を観ました。小さい劇場でしたが満員で、関係の方々が、よくお客様を集めているなと感心しました。その一方で、なぜ別役なのか、なぜ『バカボンのパパなのだ』なのか、考えていました。

清道洋一さんに、トロッタ10のチラシを250枚、送りました。清道さんの新曲、『蟹は裏切りのうたを静かにうたう』が演奏される、グループ「蒼」の会場で配っていただく予定です。

2009年11月20日金曜日

「トロッタ通信 10-12」

『花の記憶』を完成させ、初演を終えました。すぐ、トロッタ7で再演しました。その過程で、『死の花』を書き、さらに『祝いの花』を書いて、これを「花の三部作」とする構想を、橘川さんと決定しました。『花の記憶』『死の花』と、死にまつわる印象が強いので、最後の曲が明るい内容でと話し合ったことも覚えています。ただい、死についての考えは暗いものだけではないことを、後で記します。


『死の花』の第二連は、このようになっています。


食べ尽くされて

殻だけになった

ごみむしを活ける

花の形として

破れてしまった翅

ゆがんだ脚

かしげた首で物思いにふけっている

この花をあなたたちへ

誰が食べたの?

命を望んだほどの愛

舌鼓を聴きながら

意識は遠去かる

舌なめずりに身をまかせた

これきりなのだからと


朝、机の上に、ひからびて死んだ、虫の死骸がありました。ごみむしでした。性別は不明ですが、この虫はどうして死んだのだろうと思いました。死んだ形から、生けられた花を想像しました。

私にとって、死は、哀しいだけのものではありません。美しいものかもしれず、崇高なものかもしれません。実際に肉親が死ねば、話は別でしょう。しかし、机の上で死んだごみむしに対し、感情はありません。純粋に、死の形として見るだけです。よくここで死んだと、いってあげたい思いさえします。

「朝起きると ふとんの上で 蝿が死んでいた」

こんな始まりの、短い詩を書いたことがあります。もともとは、ビデオ作品のナレーションに書いた言葉でした。実際に、朝起きると、布団の真っ白なシーツの上で、真っ黒な蝿が死んでいたのです。私は蝿の死骸と寝ていたのです。よく死んだと思いました。愛しくさえあったのです。


橘川さんが、『死の花』をどのような曲にするかはわかりませんが、私は悲劇的な死を想定しているのではないことは、申し上げておきたいと思います。橘川氏は、私の詩に忠実に曲を書いてくださると書きました。それでも、解釈の違いはあると思います。詩の言葉を改変しないだけが、忠実の証ではありません。ここから先はもう、詩人と作曲家の違いです。個性が、解釈しているのですから。


『死の花』の第四連、最後の詩です。


縒り上げた糸に似る

ごみむしの角

つや光りした胴体に

世界が映る

静寂

生と死の境界はわずか

沈黙

聴こうとして聴かず

ただじっと

花になったごみむしが

私を見ている

いつかはおまえを

花にしたい

おまえの形を見てみたい

いいだろう

六脚の主に

この身を捧ぐ

覚悟はできている


「ごみむし」という名は、もちろん人がつけたものであり、虫には何の関係もありません。印象のよくない名前だが、虫にすれば、放っておいてほしいというところでしょう。しかし、いっそ最悪の名前の方が、気取りがなくてすがすがしい気さえします。落ちてしまえば、その次元で開き直れます。私は「ごみむし」に、何の悪感情も持っていません。