2009年5月30日土曜日
最後の練習が終わりました、本番当日
雨です、しかし鳥は鳴いています
2009年5月29日金曜日
会場での調律や下見を実施しました
夜が明けました
2009年5月28日木曜日
本日の練習が終りました
2009年5月26日火曜日
「本番までの通信」第5号
へびじゃ へびじゃというて
嫌うでない
へびであろうと 生き物じゃ
おぬしらと同じに 眼もあれば口もある
耳も鼻もあるのじゃわい
聞くがええ 能登の国にはの
吹上げの瀧いうて
海に落ちる水が ごおごおと渦を巻き
逆あがりしてゆく瀧があるのじゃ
それはそれは すさまじい
わしは その瀧をな のぼったことがある
ついこの間 おしめが取れたばかりのような
にきび面した ひとの餓鬼めに
ふみつぶされるいわれはないわい
あわれや わしの身は
七つに折れて八つに曲がり
朽ち果ててしもうたわやい
清道洋一・作曲 木部与巴仁・詩
「蛇」より
いよいよ、本番前最後の週となりました。「本番までの通信」も、この第5号をもって最終回となります。
毎日毎日、何かをしないということがありません。してもしても、追いつかない気持ちです。例えば、昨夜から今日の昼にかけて、当日プログラムを作っていました。前回までなら、これでいいとしたところも、よりよいものをと思いますから、手を加えていくことになります。その分、時間がかかるわけです。しかし、プログラム作りは本番前日の作業が当たり前で、第5回では本番の朝に作っていたことを思えば、5日前に作業しているのですから、進歩しています。
少しでも練習したいと思います。しかし、プログラムを作ったり、練習場所を探したり、人と人の時間調整をしたり。そういうことの積み重ねでしか本番の舞台は作れないと言い聞かせ、そうした作業に励んでいます。もちろん、本音は、皆さんと一緒に練習をしたいということです。どう言い募っても、音楽は音を出さなければ始りません。どれだけすばらしいプログラムを作っても、それですばらしい音楽が聴こえてくるかというと、そうではないのですから。ただ、雑なプログラムでは厭だというのは本音です。
明日5月26日(火)は、東京音楽大学に近い、雑司が谷地域文化創造館で、17時半から21時半まで練習します。ここは28日(木)の練習場所でもあるのですが、急に場所を探さなければならなくなり、明日はホールを使うことになりました。より安い音楽室でいいのに。音楽室が空いていなかったので仕方ないのですが、経費のことを考えると、ぞっとします。しかし、制作とは、ぞっとすることの積み重ねではないでしょうか。これまでで一番ぞっとしたのは、二台ピアノを使った練習でした。当初の予定時間では不充分だったので延長することになりました。ピアノ代が二倍かかりますから、これでまた…万円、と思い、血の気が引きました。が、その時は、それをせずにいられなかったのです。
明日の場合は、高くても場所があるだけいいと思います。しかもホールで練習するのですから、本番を想定できていいのではないでしょうか。個人的には、そうした広い場所で練習したいのです。
今回は、本番に至るまでの実情、といったものを書きました。今の心境は、抽象論にありません。具体的な手応えこそが、私を納得させます。
5月31日(日)、少しでも多くの方がお越しくださいますことを祈っています。よろしくお願いします。
2009年5月25日月曜日
「トロッタ通信」を追加しました
詩と音楽.5 『めぐりあい 若葉』
詩と音楽.4 『蛇』
詩と音楽.3 『砂の町』
詩と音楽.2 『異人の花』
詩と音楽.1 『オリーブが実を結ぶころ』
2009年5月24日日曜日
詩と音楽
2009年5月21日木曜日
長い一日が終りました
2009年5月20日水曜日
明日は練習の山場です
2009年5月17日日曜日
「トロッタ通信」を発行します
第8回「トロッタの会」が、5月31日(日)に近づいてきました。“詩と音楽を歌い、奏でる”とテーマを掲げ、2007年2月25日(日)を第1回として、続けてまいりました。
そして、第8回大会を目前にする2009年5月18日(月)より、この「トロッタ通信」を始めます。
トロッタの一員である木部与巴仁(きべ・よはに)は、隔週刊で、2005年11月11日(金)以来、「詩の通信」を発行しています。一年I期とし、現在は第III期目です。
詩は、ただ黙読されるのではなく、声に出して詠まれるものでありたいと思います。詠みながら、自分の声にメロディやリズムを感じます。それは音楽に通じます。歌曲は、詩の音楽化です。まず詩があり、音楽が生まれます。楽器とともに詠み、歌われれば、音楽性もより高まるでしょう。
木部にとっては、そんな「トロッタの会」に向かう原点のひとつが「詩の通信」です。両者は切っても切り離せません。「トロッタの会」をともに運営する作曲家、演奏家の方々と、これまでになかったもの、しかし、本当はあった懐かしいものに、私たちは向かっています。
どうぞ、「トロッタ通信」を手に取ってください。ここに詩があります。これは、音楽の発生をうながすものです。そして、「トロッタの会」に、お運びください。御一緒に、音楽を創りあげましょう。
2009年5月17日(日)
木部与巴仁
「トロッタ通信1」裏面
「トロッタ通信」の内容は、変化します。
例えば「トロッタの会」のチラシは、会が終了すれば役に立たなくなります。しかし、将来に続く資料として、過去を振り返る資料として大切にし、御覧いただきたいと思います。
初めに同封しました詩『美粒子』は、写真作家、木村恵多との共同作業から生まれました。写真をもとに詩を書いたのです。写真についてではなく、写真に喚起された、純粋な言葉を紡いでいきました。
詩集『光のある部屋』は、ガラス造形家・扇田克也と、東京の森岡書店にて企画展を行った際に配りました。ガラス作品を見て、心に浮かんできた詩の言葉を、形にしたのです。展覧会の初日に詠みました。冒頭の一篇『光の詩』は、作曲家・酒井健吉によって楽曲化され、ソプラノの赤羽佐東子、二十五絃箏のかりんによって初演されました。
詩『風乙女』は、作曲家・清道洋一の曲、『風乙女』初演の舞台に立ち、詠んだ詩です。木管四重奏との共演でした。清道は、小松史明による絵を第一楽章に、私の詩唱を第二楽章に、演奏を第三楽章として構成したのです。演奏中、私は鈴を振り、投げながら、フルート奏者を先導して場内を歩きました。書き添えますと、小松史明は、これまでのトロッタのチラシを、絵を描き、デザインしました。
このような詩、あるいはチラシなどを、「トロッタ通信」に入れていきます。刻々と変ってゆくのが、「トロッタ通信」です。また、「詩の通信」とも関連します。第III期がまもなく終ります。第IV期を控え、どのような形で発行するのがよいか、考えています。御購読や問合せを御希望の方は、以下のメールアドレスに、御連絡ください。
また、「トロッタの会」には、サイトとブログがあります。以下のURLにアクセスしてみてください。最新の情報、日々移り変わる情報はもちろん、過去の記録や詩篇が見られます。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
http://www.kibegraphy.com/(「トロッタの会」サイト)
http://torotta.blogspot.com/(「トロッタの会)」ブログ)
問合せ;yohani@mac.com
2009年5月16日土曜日
チラシを置く場所を最終追加しました
萬國四季協會「砂上」を観ました
萬國四季協會公演、作・響リュウ、演出・渡辺大策による『砂上』を拝見しました。清道洋一さんの作曲です。小野崎彩子さんと後藤澄礼さんのヴァイオリン、石垣悦郎さんのヴィオラ、斉藤浩さんのピアノによる、楽器の演奏がありました。会場は、かつての映画館、中野光座です。
2009年5月15日金曜日
故 長尾一雄氏のこと
慌ただしくなってきました・2
● 5月13日(水)、ガラス造形家・扇田克也さんの個展が始まりました。銀座のギャラリーおかりやにて、5月18日(日)まで。足を運んだところ、昨年、ギャラリーこちゅうきょに出展された黒っぽい作品はまったく影を潜め、明るく透明感のある傾向の作品が並びました。「あめつち」や「CASA」「breath」など、新しいシリーズも見られました。中で目を引いたのは、写真の「ユメノニワ」。ゆがんだベッドの形をしていました。詩になると思いました。
2009年5月12日火曜日
慌ただしくなってきました
2009年5月11日月曜日
「本番までの通信」第4号
本番までの通信;4(5.11)
寝たままで見つめる
天井
窓の向こうには山
そして空
風が
窓に雨粒を叩きつける
黒い森が
揺れている
カーテンの隙間からのぞき見る
窓の外に花が咲いていた
赤く濡れて
じっと待っている
不甲斐のない男たちだった
あきれるほど
だけど男だった
心の中が
時々ふっと白くなる
このまま消えてしまうかもしれない
消えればいい
でも
あの花の名前だけは
思い出したいと思っている
橘川琢・作曲 木部与巴仁・詩
「異人の花」より
「本番までの通信」第4号は、本サイトにてお送りいたします。更新されたサイト、開設されたブログを生かします。
「本番までの通信」は、サイトとブログで御連絡をするようになる、その時点で役目を終えたのかもしれません。サイトとブログが、“本番までの通信”の役割を担ってくれるからです。逐一、より多くの新しい情報をお届けする意味で、両者は紙の「本番までの通信」を上回ります。しかし、便利なだけでいいのかという疑問がつきまといます。役目も性格も違うだろうと思います。紙は実体がある、実感がある、場所を問わずに読めるなどの長所があり、WEBメディアはその反対です。しかし正反対でもなく、それなりの実体、実感、場所を問わない性格がありますが、違いを考えるのは別の機会にいたします。
トロッタは〈詩と音楽を歌い、奏でる〉会です。器楽曲は重要ですが、今は私の立場で書いているので、詩について考えます。歌といえば、すぐ五線譜に書かれた、旋律を伴った歌曲を連想します。しかし、日本には和歌があり、長歌も短歌もあって、これを歌といいます。当然ですが譜面には記されていません。平板に詠むこともできますが、抑揚とめりはりを伴って詠むことができます。平板に詠んでも、詠み手によって抑揚がつき、リズムが刻まれます。時々によって違いは生じましょうが、譜面に書かれていても違いは生じます。また違いがあってよいわけです。人間ですから。最終的には、譜面に記されていようがいまいが、音楽の本質には関係がない。民族音楽に、譜面はありません。文字も譜面も、後からできました。
歌人の岡野弘彦氏には多くのことを教わります。岡野氏に、「歌を恋うる歌」という随筆があります。土岐善麿の、自由律の歌が紹介されていました。
あなたをこの時代に生かしたいばかりなのだ、あなたを痛痛しく攻めてゐるのは
その性情・才能・肉体の全く僕と等しい青年にあなたを捧げたいのだ
1933(昭和8)年に出版された歌集、『作品1』にあるのだそうです。これらの歌は、「短歌に寄せる」と題されていて、つまり捧げている相手とは歌なのです。だから、この随筆の題「歌を恋うる歌」になるのです。土岐善麿は短歌を、熱烈に愛しました。岡野氏によれば、善麿に起こった感興が、どうしても短歌の形にならなかった。そのいらだたしさの中、定型を破った自由律短歌が生まれた。定型短歌に対する、思慕の念となってほとばしった、ということです。
私が書く詩は、自由な様式を持っています。そこから生まれる曲も、自由な様式です。自由さを支えているのは、言葉をお借りすれば、“歌を恋うる”思いです。
近づいてきたトロッタ8に、御予約、お問い合わせをお待ち申しあげます。〈木部与巴仁〉
2009年5月9日土曜日
御案内の発送、ほぼ終了
田中修一さんからのお便り
電話をいただきました
2009年5月8日金曜日
チラシを置く店を追加しました
2009年5月7日木曜日
サイト「kibegraphy」を再構築中
2009年5月5日火曜日
新ページ「光のある部屋」開設
座・高円寺のこと
チラシを置く場所を増やしました
2箇所、新しくチラシを置く場所を増やしました。可能な限り置きたいので、お心当たりのある場所を紹介してください。また、チラシを置いた場所がありましたらお知らせください。
東京音楽大学民族音楽研究所にも置いてあります。
Ben's Cafe(高田馬場駅最寄りのカフェ。イベントやアートの展示などを行っています)
http://www.benscafe.com/Home.html
座・高円寺(高円寺駅最寄りの劇場。演劇関係ですが、情報発信のためのカウンターを設置する予定です。トロッタの会の名前で、5か月間、カウンターを確保しました。5月18日より)
東京音楽大学民族音楽研究所(作曲の甲田潤さん、コントラバスの丹野敏広さんが常勤しています)
http://www.tokyo-ondai.ac.jp/archive/kenkyu.htm
舞台写真を載せました
トロッタ7の詩篇を公開します。全詩篇公開中
2009年5月4日月曜日
トロッタ6の詩篇を公開しました
『むらさきの』は、吉行理恵さんの詩をもとに、酒井健吉さんが歌曲にされました。詩に注目したについては、酒井さんなりの心の働きがあるのでしょう。面識のない作曲家が、詩を見つけて、音楽にする。詩にとって、ひとつの、かくありたい形だと思います。著作権の問題がありますので、ここで詩を公開できないのは残念ですが、御興味のある方は吉行さんの詩集を御覧ください。
トロッタ5の詩篇を公開しました
トロッタ3、4の詩篇を公開しました
『旅』は、2006年6月4日(日)、細川周平さんとともに谷中ボッサで行った「声と音の会2/旅をする詩、音楽」で披露された詩です。その時は酒井健吉さんの作曲ではなく、パンデイロ奏者・内藤修央さんの演奏で、即興的に詠みました。打楽器の音がとても効果的で、楽しい経験でした。トロッタ3の初演を経て、2007年7月22日(日)の「名フィル サロンコンサート/詩と音楽2007」で再演され、2008年8月22日(日)、長崎市で行われたkitara音楽研究所・第5回演奏会で三演されました。
『大公は死んだ 付・みのむし』は、音楽を伴わない詩唱です。異国的な内容と、支配者の孤独な死の情景にひかれて書きました。その死を、同じ部屋にいる蓑虫が見ているという視点を加えました。後、2008年6月8日(日)のトロッタ6にて、田中修一さんのルネサンス・リュート曲と合わせ、『「大公は死んだ」附ルネサンス・リュートの為の「鳳舞」』として演奏されました。
『詩歌曲 時の岬・雨のぬくもり〜木部与巴仁「夜」・橘川琢「幻灯機」の詩に依る』は、この時が初参加の橘川琢さん作曲です。トロッタ3は、2台ピアノの会でもありました。作曲者自ら、もう1台のピアノを弾いたことが、とても効果を生みました。この時の歌は、ソプラノの成富智佳子さん。つい先日、2009年3月22日(日)に行われた「橘川琢作品個展2009『花の嵐』」で再演されました。歌は、ヴォーカルの笠原千恵美さんでした。
『声と2台ピアノのためのムーヴメント〜木部与巴仁「亂譜」に依る』を構想したことが、トロッタ3の特徴である2台ピアノに結びつきました。私の中では、都市といえば新宿の風景が浮かんできますが、どこでもよいと思います。ピアノ1台を小さいとは決して思いませんが、私の中には、できるなら少しでも大きいものを、という欲求があります。この志向は、きちんと人に説明できるものにしなければと思います。簡単な言い方にとどめますが、スケール感のある表現を、私は求めています。
〈トロッタ4〉
『こころ』は、田中修一さんが、萩原朔太郎の詩をもとに作曲した歌曲です。1993年の作曲ですから、14年も前のものです。しかし、これが初演となりました。この時のソプラノは、成富智佳子さん。2008年12月6日(土)のトロッタ7にて、ヴォーカルの笠原千恵美さんが再演しました。初演、再演と重ねて、曲を生かしたいと思います。私以外の詩が取り上げられるのは、とてもいいことだと思っています。
『みみず』は、私が隔週で発行している、「詩の通信」の第l期第3号で、2005年12月9日に発表した詩です。みみずという小さな生き物に、大きな世界を託そうとしました。当然の話ですが、私はみみずが大好きです。みみずの存在に感謝を覚えています。
『バッハの無伴奏ヴァイオリン曲とともに詠む 塔のある町/付・世界を映す鏡』は、既成の曲と合わせて詩唱したいと思い、このような形になりました。いうまでもなく、バッハの曲には深みと歴史があります。それと私の詩を一緒に聴いていただこうというのですから、思い切ったものです。代々木上原にある、イスラム教の礼拝堂の近くを歩いた体験をもとに、詩を書きました。2008年11月24日(月)、長崎県美術館で行われたフィルハーモニックオーケストラ・長崎の演奏会にて再演されました。
『兎が月にいたころ』も「詩の通信」第l期に発表した詩で、第6号、2006年1月20日の発表です。幼いころの記憶がもとになっています。トロッタ3で初演した『旅』の最後に、自転車の荷台に乗せられて夜の田圃を行く子どもが、父親と会話する場面がありますが、それも幼年期の思い出です。子どものころの記憶はなくならず、ますます鮮明になっていくようです。2006年7月15日(土)の「名フィル サロンコンサート/詩と音楽」で初演されました。
『オーボエとピアノ、朗読による「冷たいくちづけ」』は、春日浩克さんのオーボエを生かそうとして、橘川さんに書いていただいた曲です。初演後の2007年8月19日(日)、「名フィルの日」でヴァイオリン版を演奏しました。「橘川琢作品個展2009『花の嵐』」では、オーボエ版、ヴァイオリン版とも演奏しました。橘川さんの名曲だと思っています。
『夜が吊るした命』は、2006年2月5日(日)、長崎県諫早市で行われたkitara音楽研究所・第3回演奏会「私たちの音を求めて」で初演されました。編成が大きいこの曲を演奏することが、トロッタ4の、ひとつのテーマでした。詩は、神田駅に止まった電車から見た光景を詠んでいます。生きることの不条理さを痛切に感じました。
2009年5月3日日曜日
トロッタ2の詩篇も公開しました
『唄う』は、“詩と音楽を歌い、奏でる”トロッタに向かう、私の基本的な姿勢を詩にしたものです。音楽、創作全般に対する姿勢といっていいかもしれません。“音楽の神”は、少し大きな表現になりましたが、誇張のない、私の考えです。初演は西川直美さん。2007年7月22日(日)、「名フィル サロンコンサート/詩と音楽2007」にて、児玉弘美さんの歌で再演されました。
『町』は、私が少年時代を送った、瀬戸内海に面した町の風景を詩にしたものです。炭鉱町でも似た話を聞きます。企業によって作られた町は、企業の都合によって生まれ、死んでゆきます。企業は、人を歯車としか考えていません。その町で育つ子どもの心に、どんな影響が及ぼされるか、思いもよらないでしょう。あるいは、考えないようにしている、というべきか。
『鼠戦記』は、この時は音楽のない、詩唱だけのプログラムとして取り上げられました。前回の『祈り』もそうですが、この形のものは、チラシに作品名を記しませんでした。何を詠むか、チラシ作成時には決めていなかったのです。後にアリアのための詩を加え、橘川琢氏の手で楽曲化され、詩歌曲『鼠戦記』として、2008年7月18日(金)の「名フィル サロンコンサート/詩と音楽2008」で、アルト、詩唱、ヴァイオリン、ピアノの編成で初演されました。トロッタの会でも、いずれ取り上げたいと思っています。
『雪迎え/蜘蛛』には、いろいろな思い出があります。初演は、2007年1月26日(金)、長崎市で行われた「kitara音楽研究所 第4回演奏会/大陸を渡る音楽」です。トロッタでは再演、東京初演となりました。この詩は、音楽を伴わない形で、単独でも、女声を加えた形でも、東京周辺の各所で4回ほど詩唱いたしました。空を舞う鳶の声に工夫を重ねたことが思い出されます。
過去の詩篇を公開します
トロッタの会の、名前のもとになった詩、『トロッタで見た夢』を、久しぶりで読みました。よく、トロッタの意味を訊かれるのですが、詩をお読みいただければ判ります。意味はありません。私が夢で見た、レストランの名前なのです。同じ2006年7月15日(土)、「名フィル サロンコンサート/詩と音楽」で再演され、さらにソプラノとピアノ三重奏のための曲として生まれ変わり、2007年7月22日(日)、「名フィル サロンコンサート/詩と音楽 2007」で初演されました。
『祈り 鳥になったら』は、音楽を伴わない、純粋な詩唱として、披露しました。初めのころは、音楽を伴わないプログラムがあったのです。後に酒井健吉さんの手で楽曲化され、2008年8月3日(日)、「名フィルの日」で初演されました。編成は、詩唱、ヴァイオリン、チェロ、ピアノです。
田中修一さんの『立つ鳥は』は、故伊福部昭氏の追悼曲として書かれました。何度演奏されてもいい曲だと思います。追悼曲だけに、滅多には演奏しない方がいいかもしれませんが。初演のソプラノは西川直美さんです。2008年1月26日(土)に行われた第5回トロッタの会で、ソプラノを赤羽佐東子さんとして、再演されました。
『ひよどりが見たもの』は、思い出深い曲です。初めは合唱曲として構想しましたが、それはまだ実現していません。子どもたちの合唱団のために書いたので、それにふさわしい内容ですが、詩に子ども向けも大人向けもないので、また、このような内容の詩を書いてもいいだろうと思います。同じ年の2006年7月15日(土)に行われました、「名フィル サロンコンサート/詩と音楽」で再演されています。
2009年5月2日土曜日
チラシを置いた場所です
座・高円寺(高円寺駅最寄りの劇場。演劇関係ですが、情報発信のためのカウンターを設置する予定です。トロッタの会の名前で、5か月間、カウンターを確保しました。5月18日より)