2009年5月30日土曜日

最後の練習が終わりました、本番当日

いよいよ、明日が本番となりました。先ほど、最後の練習から帰ってきたところです。
と書きかけたまま、明日の準備に取りかかり、そのままになってしまいました。したくをしていたら、午前3時半になってしまい、無理に寝ました。

本番当日の朝です。おはようございます。
トロッタ8の日がやってまいりました。今日はまた、故 伊福部昭先生のお誕生日でもあります。
雲が厚く、陽をさえぎっています。しかし、雲の向こうには陽があります。

9時半に会場入り、ほぼ同時に練習開始です。まず『異人の花』から。(註・本番のプログラムはチラシのとおりで、ここに書くのはリハーサルの順番です)昨日の練習で、初めて全貌をあらわしました。すばらしい曲です。バンドネオンが活躍します。上野雄次さんの花が、何を見せてくれるか。楽しみです。

続いて『砂の町』。この詩は、何の実体験もなく、純粋に想像だけで書きました。らしいといえば、これほど田中修一さんらしい歌はないでしょう。確かにスケール感があります。阿佐ケ谷の駅前を歩いていて、ふと降りてきた詩が、こんな風になるとは。

『蛇』は、ずいぶん大がかりなことになりました。私は蛇になれるかどうか。一橋大学が出てきますが、清道洋一さんによると、一橋の校章には、蛇があしらわれているそうです。縁があったわけです。これもまた清道さんらしい、仕掛けをお楽しみに。音楽にも、視覚性はあります。オペラのように。

『仮面の舞』は、昨日、最も長く練習をしました。今井重幸先生には、何度も阿佐ケ谷で会うのです。それにずっと以前から、面識を得、トロッタにも足を運んでいただいていました。ぜひ一度、御一緒したいと思い、実現できました。代表曲といっていいのでしょう。それを演奏させていただけることが幸せです。

『四智讚』には、チラシにありますとおり、甲田潤さんの思いがこもっています。昨日は、声明の小島伸方さんと初めて御一緒できました。東京音大の卒業生でいらっしゃるとか。人と人のつながりが、音楽になります。音楽がまた、人のつながりを生みます。

『変容』。並木桂子さんが会場で弾き、この後に続いて山田令子さんが伊福部昭先生の『日本組曲』を弾くのを聴いて、感慨に襲われました。今井先生もそうなのですが、特に甲田さんは、伊福部先生の弟子として、お身の回りをお助けしてこられました。それが甲田さんの姿として印象深く、師弟の曲が同じ会場で、しかもお誕生日に演奏されること、それが双方ともピアノ独奏曲であることに、心を動かされない人はないでしょう。

『日本組曲』をトロッタ8で弾くために、山田令子さんはアメリカから帰ってきました。誰もが、どこかから来るわけですが、外国から来てくださったという事実は特筆しなければならないでしょう。伊福部先生19歳の曲を、私たちは聴くのです。これ以前にもギター曲などがありますが、今に楽譜が残り、現代のピアニストが繰り返し演奏している、実質的な伊福部先生の出発の曲、音楽家の誕生を告げた曲です。

『めぐりあい』。何度聴いてもいい曲です。お客様と私たちのめぐりあい、演奏者同士のめぐりあい、作曲家と演奏家のめぐりあい、音楽と音楽の、人と音楽のめぐりあい。それがトロッタであり、そのような場を象徴してくれる曲です。

『オリーブが実を結ぶころ』は、私の詩の領域を拡げました。このようになるとは、誰も想像していなかったでしょう。それだけに、作曲家、成澤真由美さんらしさが出ています。会場で聴くとどうなるのか、作詩者自身が楽しみです。成澤さんも、そうではないでしょうか。

皆様、出かける時間が近づいてまいりました。本番の会場で、お目にかかります。ありがとうございました。

雨です、しかし鳥は鳴いています

前日練習の一日がやってきました。お昼から夜まで、池袋周辺で練習を行います。昨夜から、細かなことが気になっています。それは会場側の都合で、舞台で使用する椅子が不揃いであるとか、譜面台も不揃いであるとか、楽屋にあるトイレは、人がいると使いづらい、楽屋には常に人がいるに決まっているのに、などといったことです。計算違いで、全体の時間が延びそうだということなども、気になります。ひとりで抱えていると間違うに決まっていると思ったことを、やはり、しでかしています。しかし、ここまで来たからには、楽しめばいいので、見た目など気にすることは、まったくないはずです。最後まで気になるでしょうが。

当日プログラムを、橘川琢さんと一緒に、昨日、全部作ってしまいました。関係者の分も合わせると180部となり、なかなか大変な作業でした。冗談をいいながらでないと、できません。一安心したのも束の間、帰宅して読み返すと、ミスがありました。閉じ括弧が、あってはならないところにひとつ、ぶら下がっているではありませんか。修正液で、180箇所、直しました。手間がかかりますが、気はおさまりました。こうしたことの繰り返しです。どこのどんな演奏会で、誰がしても、ミスなり手間なりはつきものでしょう。人間の歴史で新しいミスなどなく、自分がしでかしたことは必ず過去の誰かがどこかでしているわけで、それでも人間の歴史は続いているのですから、悲観することも恥じることもありません。何だか、詩とは、そのようなことを表わす表現ではないかという気がします。

2009年5月29日金曜日

会場での調律や下見を実施しました

10時から、調律師の方に来ていただき、ピアノを調律しました。これまで気づかなかった不備も発見し、すべて解決してはいませんが、前向きに進めています。こんなことに、どうして気づかなかったのかという箇所があります。不徳の致すところです。
12時半ごろから人が集まり始めました。作曲の清道洋一さん、続いて、作曲の橘川琢さんとピアノの並木桂子さん、花生けの上野雄次さん、ピアノの山田令子さん。ピアノのお二人は、順に、曲を演奏していきます。上野さんと橘川さんは、『異人の花』の打ち合わせをします。私と清道さんは、『蛇』の打ち合わせをします。
これまでのトロッタに数倍する、スケールです。これだけの人数が関わることになった理由は、誰が仕組んだわけだはない、自然の流れでしょう。私が、大きなものを好きだという傾向はありますが、決定的な理由ではありません。そのようなエゴでは、トロッタは動いていません。
直接、触れてはいなくても、全員の意志が、何らかの形で反映している。それがトロッタだといえます。

夜が明けました

嵐を思わせる天気になっています。体調には気をつけなければいけません。いいことか悪いことか。鎧をまとったような精神状態になってはいるのですが。

一週間ほど前のことです。詩唱の舞台に立ちました。トロッタ9で発表予定の新作「アルバ/理想の海」に加え、ある詩人の作品集から二篇を詠みました。「アルバ」がうまく詠めたかどうかはわかりませんが、自分の詩であり、いつもの調子で、簑和田慶子さんと、さらにピアノの吉川正夫さんと御一緒に詠みました。いつもの調子というのは、私が理解している自分の範囲で、ということです。

もう二篇は、私の詩ではありません。ピアノもなく、詩唱のみです。せっかく詩を詠む機会があるのに、他人の詩を詠むなどもったいないという気持ちがあります。しかし、トロッタが近づいているから、純粋に詩唱の技術を確認したいと思いました。また、時には他人の世界に自分を置いて、他人の作品を詠む楽器になろうと思いました。
久しぶりに舌の先が乾きました。あやうくもつれそうになりましたが、何とか、持ちこたえました。
誰も回りにいない、ソロである緊張感ゆえでしょうか。
他人の世界にいるという緊張感ゆえでしょうか。
自分のものにしなければいけません。

今日は、10時から調律があって、新宿ハーモニックホールに行きます。そういえば、昨年の12月12日。上野の旧東京音楽学校奏楽堂で、清道洋一さんの「風乙女」初演の舞台に立った時のこと。本番前の練習で、どうにも、舞台が自分のものになりませんでした。木管四重奏の周りを歩いたり、フルート奏者を先導して客席を歩いたりするのですが、どうにも足が落ち着きませんでした。舞台が、自分のものになっていなかったのです。清道さんは、今度のトロッタでも、いろいろと計画を練っています。詩は私ですが、清道さんの世界に、身を置くことになります。演奏時間を、生きればいいと思っています。生きていさえすれば、何があってもいい。足がもつれて転んでも、生きていれば何でもありません。転ばない人生などないのですから。
私は、私を、自分のものにしたいと想います。

2009年5月28日木曜日

本日の練習が終りました

とうとう、あとは前日練習と本番を残すのみとなりました。先ほど、練習から帰ってきたところです。
今夜の合わせは、橘川琢さんの『異人の花』、清道洋一さんの『蛇』、成澤真由美さんの『オリーブが実を結ぶころ』でした。乏しい時間の中、皆さん努力しています。
明日は、会場である新宿ハーモニックホールでピアノの調律を行います。ソリストである、「変容」の並木桂子さんと、「日本組曲」の山田令子さんが、ピアノを実際に弾いてくださいます。作曲の清道洋一さんと橘川琢さん、それに花生けの上野雄次さんも、会場の下見と打ち合わせに訪れます。
明後日は、池袋近辺にて、昼から夜まで合わせです。これで本番前のスケジュールが終了します。
もちろん、本番がすべてといえますが、しかしその本番も、事前の積み重ねがないと成立しません。それを思えば、やっとここまで漕ぎつけました。自分のすべてを出せばいい。舞台で生きることを考えればいい。いや、考えなくても、ただ生きればいい。それだけを思っています。

2009年5月26日火曜日

「本番までの通信」第5号

本番までの通信;5(5.25)

へびじゃ へびじゃというて 
嫌うでない 
へびであろうと 生き物じゃ 
おぬしらと同じに 眼もあれば口もある 
耳も鼻もあるのじゃわい 

聞くがええ 能登の国にはの 
吹上げの瀧いうて 
海に落ちる水が ごおごおと渦を巻き 
逆あがりしてゆく瀧があるのじゃ 
それはそれは すさまじい 
わしは その瀧をな のぼったことがある 
ついこの間 おしめが取れたばかりのような 
にきび面した ひとの餓鬼めに 
ふみつぶされるいわれはないわい 
あわれや わしの身は 
七つに折れて八つに曲がり 
朽ち果ててしもうたわやい 

清道洋一・作曲 木部与巴仁・詩 
「蛇」より


 いよいよ、本番前最後の週となりました。「本番までの通信」も、この第5号をもって最終回となります。
 毎日毎日、何かをしないということがありません。してもしても、追いつかない気持ちです。例えば、昨夜から今日の昼にかけて、当日プログラムを作っていました。前回までなら、これでいいとしたところも、よりよいものをと思いますから、手を加えていくことになります。その分、時間がかかるわけです。しかし、プログラム作りは本番前日の作業が当たり前で、第5回では本番の朝に作っていたことを思えば、5日前に作業しているのですから、進歩しています。
 少しでも練習したいと思います。しかし、プログラムを作ったり、練習場所を探したり、人と人の時間調整をしたり。そういうことの積み重ねでしか本番の舞台は作れないと言い聞かせ、そうした作業に励んでいます。もちろん、本音は、皆さんと一緒に練習をしたいということです。どう言い募っても、音楽は音を出さなければ始りません。どれだけすばらしいプログラムを作っても、それですばらしい音楽が聴こえてくるかというと、そうではないのですから。ただ、雑なプログラムでは厭だというのは本音です。
 明日5月26日(火)は、東京音楽大学に近い、雑司が谷地域文化創造館で、17時半から21時半まで練習します。ここは28日(木)の練習場所でもあるのですが、急に場所を探さなければならなくなり、明日はホールを使うことになりました。より安い音楽室でいいのに。音楽室が空いていなかったので仕方ないのですが、経費のことを考えると、ぞっとします。しかし、制作とは、ぞっとすることの積み重ねではないでしょうか。これまでで一番ぞっとしたのは、二台ピアノを使った練習でした。当初の予定時間では不充分だったので延長することになりました。ピアノ代が二倍かかりますから、これでまた…万円、と思い、血の気が引きました。が、その時は、それをせずにいられなかったのです。
 明日の場合は、高くても場所があるだけいいと思います。しかもホールで練習するのですから、本番を想定できていいのではないでしょうか。個人的には、そうした広い場所で練習したいのです。
 今回は、本番に至るまでの実情、といったものを書きました。今の心境は、抽象論にありません。具体的な手応えこそが、私を納得させます。
 5月31日(日)、少しでも多くの方がお越しくださいますことを祈っています。よろしくお願いします。

2009年5月25日月曜日

「トロッタ通信」を追加しました

座・高円寺から電話をもらいました。5月18日(月)から公開されている道草カウンターに置いた「トロッタ通信」がなくなったので、補充してほしいというのです。20部を置いたのですが、一週間でなくなったことになります。透明の封筒が必要ですが、5枚は手元にあったので、さっそく5部作って持参しました。他のカウンターを見ると、チラシが置いてあるだけです。しかし「トロッタ通信」には、チラシの他に詩集が数枚入っています。詩はともかく、内容は充実していると思います。持っていかれて当然でしょう。何らかの反応が欲しいところです。トロッタにお越しくださればよく、そうでなくても、詩の感想とか、提言などをいただければいいと思います。そのうち、読者通信のようなものを作って、入れてみましょう。

詩と音楽.5 『めぐりあい 若葉』

トロッタで恒例となった、アンコール曲のための詩です。これが三度目で、初めは『めぐりあい』という題でしたが、その後、季節感を織りこむため、順に「夏」「冬」と名づけ、今回を「若葉」としました。「夏」は、苦労せずに書けたのですが、その後は、宮﨑文香さんの曲があらかじめできている状態で、メロディに詩をつけていくこととなり、なかなか難しい思いをしています。また、「夏」は6月8日の演奏で、「若葉」は5月31日ですから、季節が変りません。どう違いを表わすかに悩みました。宮崎さんが作ったメロディはすぐれたものです。それを、毎回の編成に合わせて、作曲家が編曲します。「若葉」は清道洋一さんの担当です。どこに清道さんらしさが表われるか。詩人の手を遠く離れて、皆さんのものになればいいと思っています。

詩と音楽.4 『蛇』

20数年前、一橋大学構内で、学生が蛇を殺す場面に遭遇しました。足で踏み殺したのです。ショックを受けました。蛇のため、身を挺して守ろうとしなかった自分にもショックを受けました。しかもその学生は、にやにやと笑いながら殺したのです。殺す哀しさはあるでしょう。私たちは他者の生命を奪いながら生きています。しかし、笑いながら殺すなど、許されることではありません。その思いが、詩になりました。「詩の通信」の最終号、2006年10月27日号の発表です。詩は、上段と下段に分かれています。上段は、踏み殺された蛇の独白です。下段は、「へびじゃ へびじゃ」「ふみつぶせ ふみつぶせ」などの言葉が、呪文のように繰り返されます。コーラスになると思って書きました。書いた時は、どなたが曲にしてくれるあてもなかったのですが、清道洋一さんが名乗り出てくださいました。しかも清道さんは、音楽にするため、「万葉集」の歌を引用し、ソプラノとアルトの二重唱にしました。『オリーブが実を結ぶころ』とは別の形で、赤羽佐東子さんと笠原千恵美さんが共演します。楽器の編成は、トロッタ8で最も大きなものとなりました。楽しみです。

詩と音楽.3 『砂の町』

詩人と作曲家のつき合い方は、様々です。今回は、成澤真由美さん、橘川琢さん、田中修一さん、清道洋一さん、宮﨑文香さんが、私の詩を曲にしてくださっています。その中で、最も古いつきあいをしているのが田中さんです。『砂の町』は、ある朝、道を歩いていて、ふと詩の光景が目に浮かびました。詩が降りてきたのです。始めの言葉さえ得られれば、すぐにできるタイプの詩があります。これはその典型でした。田中さんに、こんな詩を書いたのだがといって送ったところ、構想中の曲をおいて『砂の町』に取りかかり、彼も短い時間のうちに完成させました。私も早く書き、彼も早く書いたわけです。そのような形がいちばんいいのだと、私は思っています。安易に作ったのではありません。自然に生まれたのですから。詩に詠まれた砂の町は、どこにあるのでしょう。心にあるとしか申せません。私は絹の道を歩いたこともなければ、沙漠の都市を訪れたこともないのです。

詩と音楽.2 『異人の花』

「詩の通信 II」の第18号(2008.3.17)に発表しました。いよいよ今日が「詩の通信 II」の発行日だというのに、昼になっても、何も書いていませんでした。吉祥寺の街を歩いているうち、ふっと“異人の花”という言葉が浮かび、これを物語にすればいいのだと思い、すぐにファストフード店に飛び込んで、紙ナプキンの裏に書きました。「詩の通信 II」は、一年間を恋愛詩で通しました。恋愛といえば若者の話のようですが、実はそれにはあまり関心がなく、老いた女性、積み重ねた時間を持つ女性の姿にこそ、心をひかれます。『異人の花』を発表した二号前には、『初恋』という、やはり年配の女性の独白を書いています。モノオペラにならないかと、勝手に考えています。『異人の花』で語られるのは、老婆の歴史です。特別養護老人ホームにいるのですが、それは昨年亡くなった、私の祖母の姿でもあります。語り手は、私にあたる、老婆の孫。そして、橘川琢さんが作曲をするにあたり、老婆自身が語る『異人の花・独白』を書きました。橘川さんは、二篇を自由に構成して、一曲に仕上げてくださいました。

詩と音楽.1 『オリーブが実を結ぶころ』

ソプラノの赤羽佐東子さん、ヴォーカルの笠原千恵美さん。初めから、初演者の歌手おふたりを念頭に置いて書きました。女性の歴史を描きたかったのです。それはつまり、私は詠まないし歌わない、ということを意味します。詩を書く前に、私はオリーブの樹を見ました。彫刻家、朝倉文夫を顕彰した朝倉彫塑館でのことです。屋上庭園に上ると、二本の、古いオリーブがありました。強く印象に残り、オリーブそのものを主題にした詩を書いてみたいと思いました。そんな折り、トロッタ8のため、作曲者、成澤真由美さんとの共同作業が決まりました。女性の作曲者ですから、女性が主人公になる歌をと思い、その気持ちがオリーブに結びついたのです。

2009年5月24日日曜日

詩と音楽

5月21日(木)には、私の詩が音楽になった、四つの作品を練習していただきました。『オリーブが実を結ぶころ』『砂の町』『異人の花』『蛇』。トロッタ8で演奏される私の詩は、それがすべてです。アンコール曲の『めぐりあい 若葉』もありますが。ありがたいことだと感謝しています。詩に向かう態度は、作曲者どの方も違い、興味深いことだと思っています。

本日、「詩の通信III」第22号を発行しました。その《後記》に、清道洋一さんが作曲してくださる『蛇』について、短い文章を書きました。趣旨は、チラシには作曲の方が曲解説を書いていますが、詩の解説はない、だから私自身の筆で、詩を語ってみようというものです。

実は、「5月21日(木)には、私の詩が音楽になった四つの作品を」と書いて以降、数日間、書けませんでした。練習や準備で忙しかったこともありますが、何を書けばいいのかわからなかったというのが本音です。タイトルが、テーマです。“詩と音楽”について書かなければならないという強く、重たい気持ちが、私を縛っていました。いきなり切り込むのではなく、語れることから語っていけば、いずれ本質に触れられるでしょう。

2009年5月21日木曜日

長い一日が終りました

本当の長い一日は、5月31日(日)の本番です。しかし、最初の練習の山場だと思う、今日は終りました。この日のことは、時間ができましたら、書きます。細部の報告ではなく、トータルな視点で書きたいと思います。

2009年5月20日水曜日

明日は練習の山場です

明日5月21日(木)は、朝から夜までの練習となります。
池袋の東京芸術劇場にて、9時スタート。東京音楽大学にて17時終了。その後、場所を移して、都内で20時半ごろまで練習する予定です。長い一日になりそうです。しかし、次の週は本番を控え、さらに長い一日があるはずで、明日はまず、最初の山だといえましょう。

ここ数日のできごと。

●5月13日(水)、作曲家・山本和智さんの曲が演奏される「特殊音樂祭2009」が、無事に終了したようです。お疲れ様でした。聴きたかったのですが、昼間はガラス造形家・扇田克也さんの個展初日、夜はトロッタの練習があり、無理でした。山本さんの次回は、トロッタ8と重なってしまいますが、「ZAI for Crchestra」が最終選考にノミネートされている、「2009年度 武満徹作曲賞本選演奏会」です。意義のある結果となることをお祈りします。

●この週末にかけ、トロッタ8最後の二週間を乗り切るための日程表作りを進めました。人数が多いので、なかなか大変です。音楽そのものまで、なかなかたどりつきません。しかし、これも音楽だと、自分に言い聞かせています。

●5月17日(日)、清道洋一さんの曲が聴こえた、萬國四季協會公演『砂上』が終了しました。何でもそうですが、観たり聴いたりした直後の感想が正しいとは限りません。徐々に深まり、人生に消しがたい刻印を残すものです。清道さんが作曲し、響リュウ(田中隆司)さんが戯曲を書き、渡辺大策さんが演出をし、劇団の方も何人か顔なじみですので、『砂上』はそういった意味でも、記憶に残る舞台となるでしょう。身内意識ということではありませんが、それであっても否定はしません。この日はトロッタの練習がありました。

●5月18日(月)、扇田克也さんの個展が終了しました。オープニングレセプションに出させていただいた、ギャラリーこちゅうきょの個展「beyond expression」とは明らかに異なる境地に、扇田さんはいました。詩が、たくさん書けると思う作品が並んでいました。

●5月20日(水)、明日の練習場所を確保するため、朝から走り回りました。東京芸術劇場のリハーサル室を使う団体としての登録をすませました。公共の施設ですが、安いとはいえません。音楽の練習ができる、ピアノのある部屋が、もっと増えてくれればと思います。11時30分からは歌のレッスン。この時間を維持しなければ、私の表現はないと思っています。

2009年5月17日日曜日

「トロッタ通信」を発行します

 5月5日(火)に書きましたが、高円寺駅に近い劇場、座・高円寺に、ボックスを確保しました。ここにチラシなどを置いていきます。トロッタ8のチラシを置くのが最大の目的ですが、チラシだけあるよりはと、透明の袋にチラシや案内状、詩などを入れることにしました。今回、同封しましたのは、以下のものです。

■「トロッタ通信1」*下に、表面と裏面の全文があります。
■第8回「トロッタの会」チラシ
■詩『美粒子』*写真の木村恵多さんと、私の詩で構成しました。(2006年10月14日)
■詩集『光のある部屋』*ガラス造形家・扇田克也さんと私が森岡書店で行いました同名の企画展で配布した両面刷りの詩集。(2008年3月3日)
■詩『風乙女』*作曲家・清道洋一さんの同名曲に出演した折り、第一楽章が小松史明さんの絵、第二楽章が私の詩、第三楽章が木管四重奏として初演された舞台で配布しました。(2008年12月12日)

 これらの中身は、公演が終ったり、新たに準備が始ったりするたびに、変化していきます。その袋に、上のようなラベルを貼り、「トロッタ通信」と名づけました。開設は明日、5月18日(月)です。高円寺にお立ち寄りの際は覗いてみてください。

「トロッタ通信1」表面

 第8回「トロッタの会」が、5月31日(日)に近づいてきました。“詩と音楽を歌い、奏でる”とテーマを掲げ、2007年2月25日(日)を第1回として、続けてまいりました。

 そして、第8回大会を目前にする2009年5月18日(月)より、この「トロッタ通信」を始めます。

 トロッタの一員である木部与巴仁(きべ・よはに)は、隔週刊で、2005年11月11日(金)以来、「詩の通信」を発行しています。一年I期とし、現在は第III期目です。

 詩は、ただ黙読されるのではなく、声に出して詠まれるものでありたいと思います。詠みながら、自分の声にメロディやリズムを感じます。それは音楽に通じます。歌曲は、詩の音楽化です。まず詩があり、音楽が生まれます。楽器とともに詠み、歌われれば、音楽性もより高まるでしょう。

 木部にとっては、そんな「トロッタの会」に向かう原点のひとつが「詩の通信」です。両者は切っても切り離せません。「トロッタの会」をともに運営する作曲家、演奏家の方々と、これまでになかったもの、しかし、本当はあった懐かしいものに、私たちは向かっています。

 どうぞ、「トロッタ通信」を手に取ってください。ここに詩があります。これは、音楽の発生をうながすものです。そして、「トロッタの会」に、お運びください。御一緒に、音楽を創りあげましょう。

2009年5月17日(日)

木部与巴仁


「トロッタ通信1」裏面


 「トロッタ通信」の内容は、変化します。

 例えば「トロッタの会」のチラシは、会が終了すれば役に立たなくなります。しかし、将来に続く資料として、過去を振り返る資料として大切にし、御覧いただきたいと思います。

 初めに同封しました詩『美粒子』は、写真作家、木村恵多との共同作業から生まれました。写真をもとに詩を書いたのです。写真についてではなく、写真に喚起された、純粋な言葉を紡いでいきました。

 詩集『光のある部屋』は、ガラス造形家・扇田克也と、東京の森岡書店にて企画展を行った際に配りました。ガラス作品を見て、心に浮かんできた詩の言葉を、形にしたのです。展覧会の初日に詠みました。冒頭の一篇『光の詩』は、作曲家・酒井健吉によって楽曲化され、ソプラノの赤羽佐東子、二十五絃箏のかりんによって初演されました。

 詩『風乙女』は、作曲家・清道洋一の曲、『風乙女』初演の舞台に立ち、詠んだ詩です。木管四重奏との共演でした。清道は、小松史明による絵を第一楽章に、私の詩唱を第二楽章に、演奏を第三楽章として構成したのです。演奏中、私は鈴を振り、投げながら、フルート奏者を先導して場内を歩きました。書き添えますと、小松史明は、これまでのトロッタのチラシを、絵を描き、デザインしました。

 このような詩、あるいはチラシなどを、「トロッタ通信」に入れていきます。刻々と変ってゆくのが、「トロッタ通信」です。また、「詩の通信」とも関連します。第III期がまもなく終ります。第IV期を控え、どのような形で発行するのがよいか、考えています。御購読や問合せを御希望の方は、以下のメールアドレスに、御連絡ください。

 また、「トロッタの会」には、サイトとブログがあります。以下のURLにアクセスしてみてください。最新の情報、日々移り変わる情報はもちろん、過去の記録や詩篇が見られます。

 どうぞ、よろしくお願いいたします。


http://www.kibegraphy.com/(「トロッタの会」サイト)

http://torotta.blogspot.com/(「トロッタの会)」ブログ)

問合せ;yohani@mac.com

2009年5月16日土曜日

チラシを置く場所を最終追加しました

池袋にあります弦楽器CD専門店、ミッテンヴァルトに、チラシを置かせていただきました。ありがとうございます。豊島税務署の先に引っ越しをされたばかりでした。本番まで2週間となり、チラシが少なくなってきたこともあって、おそらく、新たな場所にチラシを置くのは、これが最後の機会になるでしょう。しかし、宣伝は最後の最後まで行います。

ミッテンヴァルト(ミッテンヴァルト・レーベルからは、伊福部昭、團伊玖磨、山田一雄、山田耕筰ら邦人作曲家の作品集も発売されています)

萬國四季協會「砂上」を観ました


萬國四季協會公演、作・響リュウ、演出・渡辺大策による『砂上』を拝見しました。清道洋一さんの作曲です。小野崎彩子さんと後藤澄礼さんのヴァイオリン、石垣悦郎さんのヴィオラ、斉藤浩さんのピアノによる、楽器の演奏がありました。会場は、かつての映画館、中野光座です。

ストーリーは、追えていません。足場の悪い、題名そのものの“砂上”に、人々は生きています。主人公といえる者はいないように思いました。ハケンがおり、オレオレ詐欺の兄弟がおり、姉妹と詐る母と娘がおり、ホストがおり、ごみ屋敷の老人が居り、介護パートの女がおり、幽霊がおり、実に雑多な組み合わせです。しかし、実生活もまた、雑多な人間で構成されています。その意味で、世の中の縮図がここにある、といえたかも知れません。*今日の世の中を象徴するような人間ばかりが現われます。事件性の集合、といえるでしょうか。

作者の響リュウこと、作曲家・田中隆司氏は、この言い方は古いようですが、世界を表現しようとしているのでしょう。もちろん、世界を表現しようとしていない芝居など、あるはずはありません。観た者が考えるべきは、どんな世界かということ。暴力が、印象に残りました。暴力とは何でしょう。殺し、殺されるという関係も、何通りかありました。人の醜さと言いきることは簡単ですが、芝居の場合は、暴力性で表現できることが、何かあるようです。映画に置き換えるなら、アクション映画と呼ばれるものの類でしょう。*映画の場合、そこに人間性を見ます。時代劇なら美しい殺陣があります。洋画なら、爽快な殴りあい、といったこともあるでしょう。しかし、生身の芝居は、美しさとも爽快さとも印象が異なります。

言葉も、印象に残りました。役者が台詞をいっている時、詩だなと思ったことが、何度かありました。響氏の言葉の力です。私の詩唱もそうですが、人が舞台で言葉を発するとは、どういうことでしょう。演奏家が音楽を奏でることと同じでしょうか。詩唱、朗読と、役者の発語は違うのでしょうか? 役者は、一瞬一瞬、詩唱者になるべきか。あくまでも、人を演じているのか。詩ではなくてもいいのか。言葉が印象に残る芝居はあります。例えばシェイクスピアのような。人の行いとしては不自然です。人はあのように、自分を説明しません。他人となら会話します。舞台上で役者同士が会話するのは、不思議ではありません。問題は、独白ということの意味、でしょうか。観客席に向かって語るとは、どういうことか?*自己陶酔はあっていいでしょうが、観客に何ごとか説明することもあっていいでしょうが、役者の語りは、考えていい問題だと思っています。木下順二の『子午線の祀り』を、典型として。

最後の場では、ごみ屋敷が崩壊して、ごみの袋が舞台一面を覆っています。世界の崩壊なのでしょう。ごみ袋の中を全員がさまよう姿は印象に残ります。ハケンの男の絶叫で、『砂上』は終ります。ハケンに、世界を背負わせたようです。おれは誰なんだ、何ていう名前なんだと、いったように思います。*彼は他の登場人物から、いいようにあしらわれていました。人としての扱いを受けていませんでした。ナイフで、彼は人をさします。最後のひとつきです。世の中は、人に無名性を強いています。無名で生き、無名のまま死ねと。その方が世の中には都合がいいのです。しかし、人は無名ではありません。そのせめぎあいを一身で背負いながら、人は辛く、生きているようです。*ハケンの青年が主人公だったのでしょうか? チラシに描かれているのも、荷物を持った、ハケンの姿でした。

2009年5月15日金曜日

故 長尾一雄氏のこと

久しぶりで、故 長尾一雄氏の評論集『能の時間』(河出書房新社・95)を手にとりました。掉尾に、「客観を超えて−観世寿夫論」があります。この原稿は、「みすず」第391号に載ったのですが、『能の時間』を刊行するために書いていただいたものです。『能の時間』刊行は、大きなことをいうつもりはありませんが、私と長尾氏の、共同作業でした。その観世寿夫論の冒頭に、「劇詩を朗読する人」という小見出しがついています。

「観世寿夫という名前を思う時、私の心にまっさきに湧いて来るのは反戦であり、能『朝長』の名であった」

書き出しです。「反戦」と書くところに、現代人、長尾氏を見ます。
源義朝の子、朝長は、平家との戦に敗れ、父と共に都を落ちます。傷が悪化して歩けなくなり、父の足手まといになることを怖れ、朝長は自殺します。その一部始終を、青墓の長(あおはかのちょう)という遊女が語って聞かせます。

「ここに第三者による戦争体験とその悲惨との描写ということを青墓の長の語りは果している。いや、長は別に、こぶしを揚げて反戦を叫ぶのではなく、目の前に起こった事実を語っただけなのだが、そうした別に戦争反対の目的を持たぬ発言が大きな説得力を持つというのも反戦メッセージの常道である。大分事情が違うがかの『リリー・マルレーヌ』のように」

長尾氏とは、何度も語り合う機会を得ました。能を語りながら、私たちと同時代の表現に言及し、閉じた世界の話題に終始しません。ビートたけしという芸人がおもしろい。そのようなことを初めて聞いたのも、長尾氏の口からでした。私よりも、評判になり始めたばかりのもの、評価の定まらない何かに、通じていました。
そして氏は、寿夫による、朝長本人の述懐について論じます。

「語り手(作者/註・『朝長』の作者)はすでに、青墓の長を離れて歴史のなかに踏み込んで居り、そうした社会全体を見る目を持っている口のために、朝長の個人的感覚は如実に描写され、名ある武士としてのプライドすら、歴史という大きな展望の中で生きるのである」

私が常に持っていたいと思うのも、社会全体を見る目です。歴史の中に登場人物を生かす、作者としての歴史観です。『オリーブが実を結ぶころ』という女性を描いた一篇にも、私は歴史性を託したいと思ってきました。「オリーブ」という既成の言葉ひとつを用い、語り、歌うにも、歴史観があるとないとではまるで違うと、思っています。同じ譜面で演奏しているのに、人によって違う音楽になるのも同様です。
長尾氏はいいます。

「寿夫が座頭に座ると、平凡な曲でも面目を一新して劇詩になる。謡曲には詩的韻文も詩的散文も随所にあるから、これに寿夫は生命を与えた。(中略)寿夫の手にかかると、こうして能は変った。『朝長』は反戦劇になり、能の詞章は詩になった。その詩は朗読を待たれていた」

観世寿夫という能役者は、長尾氏にとって、「詩を朗読する人として位置づけられた」のだそうです。これは、私にって大きな、大切な視点です。“詩と音楽を歌い、奏でる”トロッタの人間として。
長尾一雄は、私の誕生日である4月27日に、亡くなられました。偶然であり、必然でもあります。長尾氏が、青年時代から書き続けたメモが、私の手元に段ボール一箱分、あります。長尾氏その人が、私の部屋で、生き続けているようです。

慌ただしくなってきました・2


● 5月13日(水)、ガラス造形家・扇田克也さんの個展が始まりました。銀座のギャラリーおかりやにて、5月18日(日)まで。足を運んだところ、昨年、ギャラリーこちゅうきょに出展された黒っぽい作品はまったく影を潜め、明るく透明感のある傾向の作品が並びました。「あめつち」や「CASA」「breath」など、新しいシリーズも見られました。中で目を引いたのは、写真の「ユメノニワ」。ゆがんだベッドの形をしていました。詩になると思いました。

● 同じ日の夜、再び、『オリーブが実を結ぶころ』の練習を、荻窪のスタジオ・クレモニアで行いました。だんだん形になってきましたが、難しさに変りはありません。今井重幸氏が合流し、練習後、トロッタ9の打ち合わせを行いました。詳細は、後日、公表します。先日も、トロッタ9のために、新しく長い詩を書いたばかりです。トロッタ8と9が同時進行し、一部ではトロッタ10の準備も進んでいます。

● 5月14日(木)、新宿ハーモニックホールで打ち合わせがありました。多少、ホールの運営方針が変わったとのことです。淡々と進めるのみです。こうした打ち合わせが必要なことは承知で、打ち合わせがなければ本番もないことは、わかっています。ただ、打ち合わせ、宣伝、日程調整その他、こうしたことが続くと、これが音楽につながるのだろうか、はっきりいって、音楽なのだろうかという疑念が起こってくることは事実です。しかし、これも音楽です。音は出さなくても、地道な作業がなければ舞台は作れません。わかってはいるのです。

2009年5月12日火曜日

慌ただしくなってきました

整理して書きます。

● 昨日の“「本番までの通信」第4号”とは、私の「詩の通信III」をお読みいただいている方にしかわからない題名でした。隔週刊で、「詩の通信III」を発行しています。トロッタ8のチラシができるまでは、宣伝用の配布物がないので、「詩の通信III」の封筒に、「本番までの通信」を入れて、配り始めたのです。A4判の用紙の裏表に印刷しました。その全文は、サイト「kibegraphy」の、「トロッタ8」に掲載しています。紙のメディアから、WEBメディアを選択し、第4号は、印刷しませんでした。ここに問題があることは承知しています。世の中全員が、インターネットにアクセスできるわけではありませんので。このあたりの問題を、考えなくていいとは思っていません。端的にいえば、両方のメディアを用いればいいことでしょう。それぞれに長所があり、短所があります。間もなく始まる「詩の通信IV」は、サイトとブログの運営を行っていることもあり、メディアの問題を頭に置いて、発行してゆくつもりです。

● 昨夜は、成澤真由美さん作曲の『オリーブが実を結ぶころ』の練習を、荻窪にて行いました。全員は参加できませんでしたが、おおよその曲の形は見えてきました。トロッタでは初めての、女声二重唱曲です。女性が主役の詩をと思い、書いた詩です。正直いいまして、男らしい世界は好きではありません。それは、私が男性だからでしょう。男くさい場所からは、できるだけ離れたいと願っています。かといって女性ではないので、想像の世界を描くことになります。想像上の女性が登場するわけです。しかし、歌い、演奏する方は、生身の女性です。想像したものが、実体になる。このダイナミズムこそが、詩を音楽にする醍醐味のひとつだと思っています。

● 今日は一日をかけて、新聞にトロッタ8の宣伝資料を送り、友人知人にチラシを送り、さらに詩を送るなどしていました。5月後半の、練習の予定も考えていました。こうしたことは、どれだけ時間を費やしても、終るものではありません。きりのない作業です。集客の努力は、開演ぎりぎりまで行うべきだし、可能だと思っています。

● 「kibegraphy」を、少し手直ししました。「トロッタ8」と「全記録」にあります、横長の判型のチラシですが、従来は裏面の文字が小さすぎて読めない状態でした。つまり、曲解説や作曲者プロフィール、出演者プロフィールの文字が、です。チラシを半分にして縦長にしましたので、画面上で文字が確認できると思います。御覧ください。ただし、表面は、半分にすると小松史明さんの絵が切れてしまいますので、そのままとしました。ところで、その小松史明さんと初めて御一緒したのが、2006年5月19日(金)、文京区立小石川図書館にて、「2006年 小石川フリーコンサート」として行いました舞台、『新宿に安土城が建つ』でした。そのチラシを、小松さんが作ってくれたのです。見事なチラシだと思いました。この作品については、今日、本棚を整理していましたら、「『新宿に安土城が建つ』1か月前日記」というのが出て参りました。本番を迎えるまでの1か月をすべて記録し、共演者にメールで送信していました。本番当日に、それを一冊にまとめて配ったわけです。おもしろいので、いずれ、改めて公開できればと思っています。

2009年5月11日月曜日

「本番までの通信」第4号

本番までの通信;4(5.11)


寝たままで見つめる
天井 
窓の向こうには山 
そして空 

風が 
窓に雨粒を叩きつける 
黒い森が 
揺れている 

カーテンの隙間からのぞき見る 
窓の外に花が咲いていた 
赤く濡れて 
じっと待っている 
不甲斐のない男たちだった 
あきれるほど 
だけど男だった 

心の中が 
時々ふっと白くなる 
このまま消えてしまうかもしれない 
消えればいい 
でも 
あの花の名前だけは 
思い出したいと思っている 

橘川琢・作曲 木部与巴仁・詩 
「異人の花」より

「本番までの通信」第4号は、本サイトにてお送りいたします。更新されたサイト、開設されたブログを生かします。
「本番までの通信」は、サイトとブログで御連絡をするようになる、その時点で役目を終えたのかもしれません。サイトとブログが、“本番までの通信”の役割を担ってくれるからです。逐一、より多くの新しい情報をお届けする意味で、両者は紙の「本番までの通信」を上回ります。しかし、便利なだけでいいのかという疑問がつきまといます。役目も性格も違うだろうと思います。紙は実体がある、実感がある、場所を問わずに読めるなどの長所があり、WEBメディアはその反対です。しかし正反対でもなく、それなりの実体、実感、場所を問わない性格がありますが、違いを考えるのは別の機会にいたします。
 トロッタは〈詩と音楽を歌い、奏でる〉会です。器楽曲は重要ですが、今は私の立場で書いているので、詩について考えます。歌といえば、すぐ五線譜に書かれた、旋律を伴った歌曲を連想します。しかし、日本には和歌があり、長歌も短歌もあって、これを歌といいます。当然ですが譜面には記されていません。平板に詠むこともできますが、抑揚とめりはりを伴って詠むことができます。平板に詠んでも、詠み手によって抑揚がつき、リズムが刻まれます。時々によって違いは生じましょうが、譜面に書かれていても違いは生じます。また違いがあってよいわけです。人間ですから。最終的には、譜面に記されていようがいまいが、音楽の本質には関係がない。民族音楽に、譜面はありません。文字も譜面も、後からできました。
 歌人の岡野弘彦氏には多くのことを教わります。岡野氏に、「歌を恋うる歌」という随筆があります。土岐善麿の、自由律の歌が紹介されていました。

 あなたをこの時代に生かしたいばかりなのだ、あなたを痛痛しく攻めてゐるのは 

 その性情・才能・肉体の全く僕と等しい青年にあなたを捧げたいのだ 

 1933(昭和8)年に出版された歌集、『作品1』にあるのだそうです。これらの歌は、「短歌に寄せる」と題されていて、つまり捧げている相手とは歌なのです。だから、この随筆の題「歌を恋うる歌」になるのです。土岐善麿は短歌を、熱烈に愛しました。岡野氏によれば、善麿に起こった感興が、どうしても短歌の形にならなかった。そのいらだたしさの中、定型を破った自由律短歌が生まれた。定型短歌に対する、思慕の念となってほとばしった、ということです。
 私が書く詩は、自由な様式を持っています。そこから生まれる曲も、自由な様式です。自由さを支えているのは、言葉をお借りすれば、“歌を恋うる”思いです。
 近づいてきたトロッタ8に、御予約、お問い合わせをお待ち申しあげます。〈木部与巴仁〉

2009年5月9日土曜日

御案内の発送、ほぼ終了

トロッタ8の御案内状を、ほぼ発送し終えました。私の、個人的な発送分を、ということです。「詩の通信III」に同封する分は、2週間前に発送を済ませました。「詩の通信III」の読者以外の方々への案内が、遅れてしまっていました。連休がはさまったので、ということもありますが、その間、サイトの更新とブログ作りに時間を費やしたため、のようです。気がついてみれば。同じ宣伝活動なので、時間を無駄にしたわけではありませんが。
手持ちのチラシも、ほぼなくなりました。今回は、関係者が多いので2000枚刷りましたが、やはり、なくなってしまうものです。目につく機会を作っているので、なくなるのは、むしろ望むところです。他の方々も、配っていただいています。チラシを置いたお店などで、お手に取っていただければ幸いです。

田中修一さんからのお便り

田中修一さんから、コンサートの御案内をいただきました。6月2日(火)と7日(日)ですから、トロッタ8の直後です。場所は、2日(火)が松本市音楽文化ホール・小ホール。7日(日)が、東京・茗荷谷のラ リール。田中さんの曲は、『二面、二十五絃の 綺曲』です。
この東京会場が、実は以前、トロッタの会場として候補にあがっていたのです。しかし事情があり、使うに至りませんでした。大理石で内装されています。ハープ奏者の方が所有しておられる会場で、御自身がお弾きになって満足できる響きになっているのでしょう。そこで田中さんの曲が演奏されるのですから、奇遇だと思いました。
今の人数と曲数では、トロッタの会場としては使うのが難しい情勢です。しかし、いずれ、何らかの機会に、舞台にできればと思うことがあります。

電話をいただきました

ある晩、Xさんと電話でお話ししました。いずれトロッタに参加される方です。準備中でいらっしゃいます。並々ならぬ御決意でした。詳細は書きません。Xさんの決意をうかがっていて、そこまでトロッタに打ち込もうとしているのかと、共同作業をする私として、手応えを感じざるをえませんでした。

書き方として、私のことを受けとめる側、とも表現できますが、トロッタは、あくまで一緒に作っていくものですから、お話を受けとめるとは書けますが、Xさんを受けとめる、トロッタにお迎えする、という表現は変です。それではXさんと話したことになりません。
何度も口にしていることですが、私はトロッタの主宰者ではありません。便宜上、そう書く場合もありますが、それは「詩唱」でわかりにくい場合、「朗読」というようなものです。場を作る者かもしれませんが、私は皆さんに何かを保証しているとか、皆さんをリードしているという、おこがましい気持ちはありません。ただ責任は負っています。これもまた、誰もが負っていることですが。

誰もが何らかの決意を持っているのだし、決意を明かさない方にも、それぞれの事情を背負いながら作曲なり演奏なりをしようとしているので、ことさらXさんを特筆することはなく、Xさん以外の方に決意がないということは、まったくいえません。
さまざまな意思と、さまざまな事情の集まり。それがトロッタです。受けとめるといえば、誰もが受けとめているでしょう。それは自分の決意であり、他人の決意であり。

話を戻して。Xさんについていえば、大きく強い御決意を聞いて、私は楽しみになりました。まだ先のトロッタの話ですが、そのような曲を演奏できるのですから、うれしいことです。
自分の詩が初めて曲になった時。うれしく、ありがたく、このようなことがあるのかと疑いすら抱きました。今は、それが当然のことになっています。それではいけないと思います。詩を書く者として、皆さんに感謝をしています。まず、たった一行の詩を書くこと、たった一枚のチラシを配ること、お越しくださいとひとりの方に電話すること。そこからトロッタは始まっています。Xさんとの電話は、その原点を振り返る契機になりました。

2009年5月8日金曜日

チラシを置く店を追加しました

トロッタ8のチラシを、高円寺にあります、以下の2軒に置かせていただきました。
お店の方々、ありがとうございました。

Too-ticki(手作りを愛する人のお店です。高円寺北口、あづま通り)

百音 mone(高円寺南口、西友の近く、流れ星の路にあるカフェです)

2009年5月7日木曜日

サイト「kibegraphy」を再構築中

kibegraphyを一新させました。長年、同じレイアウトでしたが、変えます。
始めのページは、ほぼ終了しました。ボタンを4つ作りました。ここから、各コンテンツにリンクできるようにしました。
しかし、リンク先は、従来のページを流用しているので、変り映えがしません。一度には無理なので、少しずつ変えていきます。
サイトにせよブログにせよ、課題ではありました。しかし、以前のサイト運営で、非常に辛い思いをしたため、手をつけるのが怖いような気持ちでした。10年も前の話です。
それが昨今、多くの方がブログなどを頼りに、催し物に出かけたり街に出かけたりするようになって、私としても、億劫がってばかりはいられなくなったのです。特に、トロッタの会を続けていくならば。紙のチラシは重要ですが、それと並行して、WEBの活動を重視し、積極的に行っていくことにしました。
改めて、よろしくお願いします。


2009年5月5日火曜日

新ページ「光のある部屋」開設

木部与巴仁のサイトkibegraphyに、ガラス造形家、扇田克也さんとのページ「光のある部屋」を新設しました。ただ、現在はブログの活動情報欄、関係者欄からのリンクのみです。
扇田克也さんとは、これまでに二度、場を同じくさせていただいてきました。

2008年3月3日(月)〜14日(土)、森岡書店において「扇田克也+木部与巴仁『光のある部屋』」を開催。オープニング・イベントは、以下のプログラムでした。

1)朗読 扇田克也の造形とともにある詩篇・その一
2)二十五絃箏曲『光へのOde』(初演)
3)ソプラノと二十五絃箏のための『光の詩(うた)』(初演)
4)作家と語る 扇田克也 & 木部与巴仁
5)朗読 扇田克也の造形とともにある詩篇・その二

作曲は酒井健吉さん、詩と朗読は木部与巴仁、ソプラノは赤羽佐東子さん、二十五絃箏は、かりんさんでした。

また最終日3月15日(土)には、クロージング・イベントを行いました。プログラムは以下の通りです。トルコ音楽・ウイグル音楽の大平清さんにサズを演奏していただきました。

1)『光の詩(うた)』詩・木部与巴仁 朗読・岡安圭子
2)『砂の領域』『光の中へ』詩・扇田克也 朗読・木部与巴仁
3)『光だより』詩・木部与巴仁 朗読・簑和田慶子、木部与巴仁 演奏・大平清
4)『光織り』詩・木部与巴仁 朗読・岡安圭子、簑和田慶子、木部与巴仁 演奏・大平清

そして、やはり2008年の11月14(金)、日本橋のギャラリー こちゅうきょにて行われました「扇田克也展 beyond expression」のオープニング・イベントに、出演しました。この時は、花道家の上野雄次さんが、会場のしつらいを行いました。以下のプログラムです。

1)『光の詩(うた)』詩・木部与巴仁 朗読・岡安圭子
2)『光の中へ』『砂の領域』詩・扇田克也 朗読・簑和田慶子
3)作家トーク 扇田克也 & 木部与巴仁
4)『光師』詩・木部与巴仁 朗読・朗読・岡安圭子、簑和田慶子、木部与巴仁
5)《都市の肖像》第二集補遺『「ガラスの国/扇田克也展」ヴィオラソロと朗読による五つのガラスの物語』作曲・橘川琢 詩と朗読・木部与巴仁 ヴィオラ・仁科拓也

この日の顔ぶれが、橘川琢氏による、後の『花の記憶』や、「橘川琢作品個展2009『花の嵐』」に結びついていきます。「花の嵐」で橘川氏は、『ガラスの国』をピアノを加えた版に改訂し、扇田さんのガラス造形作品「陽だまりの器」を登場させ、それに上野雄次さんが花生けをするという、豪華な構成になりました。
扇田克也さんとの作業が生み出したものの、多いことを実感します。これからも何ごとかを生み続けるでしょう。新ページ「光のある部屋」を作ったのは、このようなことを思い、将来に結びつけてゆくためです。5月13日(水)〜18日(月)、銀座のギャラリーおかりやにて、「扇田克也展」が開催されます。詩や記録を、今後、少しずつ公開してまいります。

座・高円寺のこと

5月1日(金)、高円寺駅近くに、劇場「座・高円寺」が開館しました。
館内に、5月18日(月)から、“道草カウンター”と呼ばれる、チラシなどの置き場所が設けられます。まだ置かれていないので、見ていませんが、チラシを収納し、自由に持って帰れる箱だと思います。そこに、「トロッタの会」の名前で、5か月間、場所を確保しました。1か月200円で、1000円を払ったわけです。
トロッタのチラシを置くだけですと、演奏会が終るとチラシを置き続ける意味もなくなるので、仮の名前ですが、透明の袋に「トロッタ通信」などのラベルをはり、そこに関係者のチラシなどを入れていこうと思います。「詩の通信III」で、封筒にいろいろ入れてお送りしていますが、あの形式で、不特定多数の方に向けたものを用意するとお考えください。
どれだけ効果があがるかわかりませんが、小さいながら、情報を発信する場所ができるわけです。試してみますので、チラシなど預けてもよいとお考えの方は、御連絡ください。まず20枚を預けましたので、20セットの「トロッタ通信」を作ります。

チラシを置く場所を増やしました

2箇所、新しくチラシを置く場所を増やしました。可能な限り置きたいので、お心当たりのある場所を紹介してください。また、チラシを置いた場所がありましたらお知らせください。

東京音楽大学民族音楽研究所にも置いてあります。


Ben's Cafe(高田馬場駅最寄りのカフェ。イベントやアートの展示などを行っています)

http://www.benscafe.com/Home.html


座・高円寺(高円寺駅最寄りの劇場。演劇関係ですが、情報発信のためのカウンターを設置する予定です。トロッタの会の名前で、5か月間、カウンターを確保しました。518日より)

http://za-koenji.jp/


東京音楽大学民族音楽研究所(作曲の甲田潤さん、コントラバスの丹野敏広さんが常勤しています)

http://www.tokyo-ondai.ac.jp/archive/kenkyu.htm


舞台写真を載せました

右サイドの下に、新宿ハーモニックホールの舞台写真を載せました。森川あづささんに、ピアノを弾いていただいています。下見に行った時、橘川琢さんの個展「花の嵐」の準備中だったので、森川さんが弾いているのは、橘川さんの曲『冷たいくちづけ』です。

トロッタ7の詩篇を公開します。全詩篇公開中

やっと、トロッタ7に追いつきました。これで、過去の全詩篇を公開できました。
それにしても、もう半年も前の公演です。スケジュールが合わなかったのですが、間隔が開きすぎているというのが実感です。

『嗟嘆(といき)』は、甲田潤さんが曲を出してくれました。これまで協力という形でしたので、甲田さんに何とか登場してもらえないかと、ずっと思っていました。1989年ですから、もう20年も前の曲です。解説は不要でしょう。あえていうなら、解説に記された「憧れる美しい人に寄せる青年の純粋な恋心」が、甲田さんにあると、私は解釈します。

『こころ』は、トロッタ4で初演された曲の再演です。もともとシャンソンのための曲であり。シャンソン歌手、笠原千恵美さんの登場が、再演をうながしました。田中修一さんは、『遺傳』と合わせ、朔太郎の詩にもとづく歌曲を、トロッタで二曲、発表しています。トロッタは基本的にそうですが、日本語詩による曲を創作、発表する場でもあります。

『花の記憶』で、花道家、上野雄次さんがトロッタに初登場しました。この曲は、2008年10月20日(月)、すみだトリフォニー小ホールにおける、日本音楽舞踊会議作曲部会公演「7+1の音像」で初演されました。『花の記憶』を皮切りに、『死の花』『祝いの花』を書き、“花の三部作”と銘打ちました。いずれ、全曲を演奏する機会を持ちたいと、橘川琢さんは構想しています。

『齟齬』は、初登場となった山本和智さんの作曲です。ジャズアンサンブル、Gymnema sylvestre Trioが出演しました。PAを通した演奏は、トロッタとして初めてでした。弦楽カルッテットとの共演で、文字通り、“齟齬”の世界が表わされました。山本さんは、2009年度武満徹作曲賞の最終選考に残っておられます。発表は5月31日(日)。トロッタ8と同じ日です。よい結果を期待します。

『ナホトカ音楽院』は、歌あり語りあり演奏あり、さらに映像も印刷物もある、非常な演劇性をともなった曲で、清道洋一さんらしさが横溢する作品となりました。断るまでもありませんが、これはすべて架空の世界です。しかし、トロッタ7においては現実の世界です。どの曲でもそうだと思います。架空のものだと思いながら演奏する人はひとりもいません。

『神羽殺人事件』は、Fabrizio FESTA氏による、日本語の詩唱を伴った曲を作曲したいという願いに応じて書きました。これは、日本人の作曲家にとっても、難しい内容だったと思います。『天の川』のようにアリアが用意されたわけでもなく、『ナホトカ音楽院』のように音楽をテーマにした世界でもなく、これは音楽性がまったくない、推理小説のような内容です。どうして、このような詩を、彼に提供したのか。後悔ではなく、挑戦する姿勢はいいのですが、ハードルが高すぎたと思いました。しかし、彼はよく、日本語がわからないのに、音楽にしてくれました。感謝しています。ちなみに、神羽山という三角の岩山は、私が生まれた土地にある山をモデルにしました。風景としては実在しています。

『めぐりあい 冬』は、宮﨑文香さんの曲を、橘川琢さんが編曲しました。橘川さんらしい、弦楽四重奏とピアノ演奏を伴う合唱曲です。トロッタ7のフィナーレを飾るにふさわしい演奏でした。

2009年5月4日月曜日

トロッタ6の詩篇を公開しました

続いてトロッタ6に移ります。

『むらさきの』は、吉行理恵さんの詩をもとに、酒井健吉さんが歌曲にされました。詩に注目したについては、酒井さんなりの心の働きがあるのでしょう。面識のない作曲家が、詩を見つけて、音楽にする。詩にとって、ひとつの、かくありたい形だと思います。著作権の問題がありますので、ここで詩を公開できないのは残念ですが、御興味のある方は吉行さんの詩集を御覧ください。

『「大公は死んだ」附 ルネサンス・リュートの為の「鳳舞」』は、トロッタ3で詩唱した詩の、音楽とともに披露する形としては初演になります。田中修一さんの『鳳舞』は、2003年に作曲されていたもので、「大公は死んだ」に添わせる曲として『鳳舞』がよいと判断したのは、田中さんのお考えです。

『NEBBIE』は、前回に続いて登場したFabrizio FESTA氏の、イタリア語による歌曲です。レオナルド・ダ・ヴィンチの文章がもとになった詩というのが興味をひきます。詩を書く者として思うのは、当然のことですが、光景のとらえ方ひとつにしても、自分と他人は違うということ。それが音楽になるのですから、違いはますます広がります。違えば違うほどいいというのが私の基本姿勢です。違いには、人生が反映されているからです。他人の人生を認めたいと思います。

詩歌曲集『恋歌』は、「詩の通信II」で発表された三篇、1号2007年7月27日発表の「夏の歌」、3号8月24日発表の「ゆめ うつつ」、2号8月10日発表の「逢瀬」をもとに、組曲にして橘川琢さんが発表しました。「夏の歌」は、トロッタ3で演奏された橘川さんのピアノ独奏曲『日本の小径(こみち)第一集 〈 瑠璃の雨 〉 』とともに詠みました。『恋歌』は、約一か月後の7月18日(金)、「名フィル サロンコンサート/詩と音楽2008」で再演されました。

『椅子のない映画館』は、初登場となった、清道洋一さんの曲です。神田神保町の喫茶店ミロンガで、清道さんと初めて打ち合わせをした時に、楽曲化することが決まりました。清道さんにふさわしいと思い、用意して提示した詩だったのです。その後、2008年9月28日(日)、谷中ボッサで行われた「声と音の会」vol.4で再演されました。毎回、清道さんが、椅子をテーマにしたオブジェを提示するのが約束事になっています。

『田中未知による歌曲』は、版画家、田中恭吉が“未知”の名義で書いた短詠をもとに、田中修一さんが作曲した作品です。何度も演奏されてよい曲でしょう。恥ずかしながら、田中未知も田中恭吉も、いわれるまで意識にありませんでした。この後、書店に行くと、思いがけず田中恭吉の作品集を目にするようになりました。無知を棚に上げていいますが、違う個性と共同作業をして得ることは多いものです。

室内楽劇『天の川』は、2007年7月22日(日)の「名フィル サロンコンサート/詩と音楽2007」初演に続く、再演です。素直な、誰にもわかりやすい曲で、詩唱も歌も、実に音楽として生かされていると思います。酒井さんがめざす室内楽曲の、ひとつの完成形、典型でしょう。わかりやすいということは、簡単とか安易ということではない。わかりにくいというのは、最も避けなければならない形だと思います。わかってもらえなければ、いったい何のために表現するのか、私はわかりません。

『めぐりあい 夏』に、当初、「夏」という言葉はありませんでした。その後、「冬」篇があり、トロッタ8で「若葉」篇に至るため、分けるために「夏」と名づけました。舞台を同じくしても、編成によって共演できない場合があります。せっかくの機会を生かしたい。全員が合奏できる曲がほしいという考えから、宮﨑文香さんに作曲をお願いし、毎回、異なる作曲家が、その時々の楽器を生かして編曲することにしました。よかったと思っています。

トロッタ5の詩篇を公開しました

今回から2008年です。早稲田奉仕園のリバティホールが会場です。いいことかどうか、宗教施設で、一度、開催したいと思っていました。響きがいいという先入観があります。この思いは消えていません。

『緑の眼』は、2007年11月23日(金)、長崎市で開催された演奏会「美音彩歌〜長崎に集う作曲家シリーズNo.1〜」で初演されました。初演の打楽器は福田祥一さん。東京初演は鈴木亜由美さんでした。トロッタでは、鈴木さんの演奏が強い印象を残しました。SF的な内容を、私は気に入っており、自分では文明論だと思っています。詩に蜥蜴(とかげ)が登場したのは初めてです。いずれまた、現われるでしょう。

『いのち』は、イタリア在住の作曲家、Fabrizio FESTA氏の作曲です。日本語の詩で歌曲を創りたいという、彼の願いに応えました。音として把握しやすいのではないかと思う、文語体で詩を書きました。

『冥という名の女』は、松木敏晃さんの作曲です。その後、花を題材にした詩を多く書くようになり、作曲は橘川琢さんがなさっています。その場合は、花道家の上野雄次さんが登場するのが、定番のようになりました。しかし、それ以前に松木さん作曲による花の曲があったのだと、改めて思いました。松木さんと、またお手合わせしたい気持ちです。

『遺傳』は、萩原朔太郎の詩にもとづく、田中修一さんの歌曲です。私がバリトンとして初演しました。光栄なことです。朗読が入っているのも、私にふさわしい趣向です。感謝するとともに、いつかまた、よりよい歌唱をもって、再演させていただければと思います。

『うつろい』は、橘川琢さんの、唱歌のような歌曲を創りたいという願いに応じて書いた詩です。喫茶店が舞台です。どのお店という具体的なものはなく、これまでに経験した、さまざまな喫茶店の記憶をもとに、架空のお店を作り上げました。2009年3月22日(日)、「橘川琢作品個展2009『花の嵐』」で再演されました。何度演奏してもいい曲です。

『立つ鳥は』は、2007年2月25日(日)のトロッタ1で初演された曲の再演です。私が書いた、『伊福部昭 音楽彼の誕生』の後書きに、詩の断片が載っています。夢で見た詩でした。その時はもちろん、歌曲になるとは思わず、詩のすべてを把握してもいなかったのです。『トロッタで見た夢』は、お店の名前とストーリーを、夢で得ました。『立つ鳥は』は、それ以上に、無意識が詩そのものを創らせたといえるでしょう。

トロッタ3、4の詩篇を公開しました

引き続き、トロッタ3とトロッタ4の詩篇を公開します。これで、2007年分を公開したことになります。トロッタ3を開催した日、“詩と音楽のための”と銘打たれた雑誌、「洪水」の取材を受けました。翌日に座談会を行いました。「洪水」と、その編集長、池田康さんのことは、また改めて触れます。

『旅』は、2006年6月4日(日)、細川周平さんとともに谷中ボッサで行った「声と音の会2/旅をする詩、音楽」で披露された詩です。その時は酒井健吉さんの作曲ではなく、パンデイロ奏者・内藤修央さんの演奏で、即興的に詠みました。打楽器の音がとても効果的で、楽しい経験でした。トロッタ3の初演を経て、2007年7月22日(日)の「名フィル サロンコンサート/詩と音楽2007」で再演され、2008年8月22日(日)、長崎市で行われたkitara音楽研究所・第5回演奏会で三演されました。

『大公は死んだ 付・みのむし』は、音楽を伴わない詩唱です。異国的な内容と、支配者の孤独な死の情景にひかれて書きました。その死を、同じ部屋にいる蓑虫が見ているという視点を加えました。後、2008年6月8日(日)のトロッタ6にて、田中修一さんのルネサンス・リュート曲と合わせ、『「大公は死んだ」附ルネサンス・リュートの為の「鳳舞」』として演奏されました。

『詩歌曲 時の岬・雨のぬくもり〜木部与巴仁「夜」・橘川琢「幻灯機」の詩に依る』は、この時が初参加の橘川琢さん作曲です。トロッタ3は、2台ピアノの会でもありました。作曲者自ら、もう1台のピアノを弾いたことが、とても効果を生みました。この時の歌は、ソプラノの成富智佳子さん。つい先日、2009年3月22日(日)に行われた「橘川琢作品個展2009『花の嵐』」で再演されました。歌は、ヴォーカルの笠原千恵美さんでした。

『声と2台ピアノのためのムーヴメント〜木部与巴仁「亂譜」に依る』を構想したことが、トロッタ3の特徴である2台ピアノに結びつきました。私の中では、都市といえば新宿の風景が浮かんできますが、どこでもよいと思います。ピアノ1台を小さいとは決して思いませんが、私の中には、できるなら少しでも大きいものを、という欲求があります。この志向は、きちんと人に説明できるものにしなければと思います。簡単な言い方にとどめますが、スケール感のある表現を、私は求めています。

〈トロッタ4〉
『こころ』は、田中修一さんが、萩原朔太郎の詩をもとに作曲した歌曲です。1993年の作曲ですから、14年も前のものです。しかし、これが初演となりました。この時のソプラノは、成富智佳子さん。2008年12月6日(土)のトロッタ7にて、ヴォーカルの笠原千恵美さんが再演しました。初演、再演と重ねて、曲を生かしたいと思います。私以外の詩が取り上げられるのは、とてもいいことだと思っています。

『みみず』は、私が隔週で発行している、「詩の通信」の第l期第3号で、2005年12月9日に発表した詩です。みみずという小さな生き物に、大きな世界を託そうとしました。当然の話ですが、私はみみずが大好きです。みみずの存在に感謝を覚えています。

『バッハの無伴奏ヴァイオリン曲とともに詠む 塔のある町/付・世界を映す鏡』は、既成の曲と合わせて詩唱したいと思い、このような形になりました。いうまでもなく、バッハの曲には深みと歴史があります。それと私の詩を一緒に聴いていただこうというのですから、思い切ったものです。代々木上原にある、イスラム教の礼拝堂の近くを歩いた体験をもとに、詩を書きました。2008年11月24日(月)、長崎県美術館で行われたフィルハーモニックオーケストラ・長崎の演奏会にて再演されました。

『兎が月にいたころ』も「詩の通信」第l期に発表した詩で、第6号、2006年1月20日の発表です。幼いころの記憶がもとになっています。トロッタ3で初演した『旅』の最後に、自転車の荷台に乗せられて夜の田圃を行く子どもが、父親と会話する場面がありますが、それも幼年期の思い出です。子どものころの記憶はなくならず、ますます鮮明になっていくようです。2006年7月15日(土)の「名フィル サロンコンサート/詩と音楽」で初演されました。

『オーボエとピアノ、朗読による「冷たいくちづけ」』は、春日浩克さんのオーボエを生かそうとして、橘川さんに書いていただいた曲です。初演後の2007年8月19日(日)、「名フィルの日」でヴァイオリン版を演奏しました。「橘川琢作品個展2009『花の嵐』」では、オーボエ版、ヴァイオリン版とも演奏しました。橘川さんの名曲だと思っています。

『夜が吊るした命』は、2006年2月5日(日)、長崎県諫早市で行われたkitara音楽研究所・第3回演奏会「私たちの音を求めて」で初演されました。編成が大きいこの曲を演奏することが、トロッタ4の、ひとつのテーマでした。詩は、神田駅に止まった電車から見た光景を詠んでいます。生きることの不条理さを痛切に感じました。

2009年5月3日日曜日

トロッタ2の詩篇も公開しました

トロッタ1に続いて、2の詩篇も公開しました。まとめて作業しないと感覚がつかめないと思ったからです。

『唄う』は、“詩と音楽を歌い、奏でる”トロッタに向かう、私の基本的な姿勢を詩にしたものです。音楽、創作全般に対する姿勢といっていいかもしれません。“音楽の神”は、少し大きな表現になりましたが、誇張のない、私の考えです。初演は西川直美さん。2007年7月22日(日)、「名フィル サロンコンサート/詩と音楽2007」にて、児玉弘美さんの歌で再演されました。

『町』は、私が少年時代を送った、瀬戸内海に面した町の風景を詩にしたものです。炭鉱町でも似た話を聞きます。企業によって作られた町は、企業の都合によって生まれ、死んでゆきます。企業は、人を歯車としか考えていません。その町で育つ子どもの心に、どんな影響が及ぼされるか、思いもよらないでしょう。あるいは、考えないようにしている、というべきか。

『鼠戦記』は、この時は音楽のない、詩唱だけのプログラムとして取り上げられました。前回の『祈り』もそうですが、この形のものは、チラシに作品名を記しませんでした。何を詠むか、チラシ作成時には決めていなかったのです。後にアリアのための詩を加え、橘川琢氏の手で楽曲化され、詩歌曲『鼠戦記』として、2008年7月18日(金)の「名フィル サロンコンサート/詩と音楽2008」で、アルト、詩唱、ヴァイオリン、ピアノの編成で初演されました。トロッタの会でも、いずれ取り上げたいと思っています。

『雪迎え/蜘蛛』には、いろいろな思い出があります。初演は、2007年1月26日(金)、長崎市で行われた「kitara音楽研究所 第4回演奏会/大陸を渡る音楽」です。トロッタでは再演、東京初演となりました。この詩は、音楽を伴わない形で、単独でも、女声を加えた形でも、東京周辺の各所で4回ほど詩唱いたしました。空を舞う鳶の声に工夫を重ねたことが思い出されます。

過去の詩篇を公開します

トロッタの全詩篇を公開することにしました。「全記録」からご覧ください。本日5月3日(日)より、毎日一回分を目標に更新していきます。勢いがつけば、一日一回に限らないと思います。只今、トロッタ1の詩篇を公開中です。

トロッタの会の、名前のもとになった詩、『トロッタで見た夢』を、久しぶりで読みました。よく、トロッタの意味を訊かれるのですが、詩をお読みいただければ判ります。意味はありません。私が夢で見た、レストランの名前なのです。同じ2006年7月15日(土)、「名フィル サロンコンサート/詩と音楽」で再演され、さらにソプラノとピアノ三重奏のための曲として生まれ変わり、2007年7月22日(日)、「名フィル サロンコンサート/詩と音楽 2007」で初演されました。

『祈り 鳥になったら』は、音楽を伴わない、純粋な詩唱として、披露しました。初めのころは、音楽を伴わないプログラムがあったのです。後に酒井健吉さんの手で楽曲化され、2008年8月3日(日)、「名フィルの日」で初演されました。編成は、詩唱、ヴァイオリン、チェロ、ピアノです。

田中修一さんの『立つ鳥は』は、故伊福部昭氏の追悼曲として書かれました。何度演奏されてもいい曲だと思います。追悼曲だけに、滅多には演奏しない方がいいかもしれませんが。初演のソプラノは西川直美さんです。2008年1月26日(土)に行われた第5回トロッタの会で、ソプラノを赤羽佐東子さんとして、再演されました。

『ひよどりが見たもの』は、思い出深い曲です。初めは合唱曲として構想しましたが、それはまだ実現していません。子どもたちの合唱団のために書いたので、それにふさわしい内容ですが、詩に子ども向けも大人向けもないので、また、このような内容の詩を書いてもいいだろうと思います。同じ年の2006年7月15日(土)に行われました、「名フィル サロンコンサート/詩と音楽」で再演されています。

2009年5月2日土曜日

チラシを置いた場所です

これまでに、トロッタ8のチラシを置かせていただいた場所です。お近くにお立ち寄りの際は、ぜひお持ち帰りください。古書店が多いなど、木部与巴仁がよく立ち寄る場所なので、もっと広げていきたいと思います。チラシを置けそうな場所を御存知の方は、ぜひ御教示ください。

古書往来座(東京音楽大学のそばです。明治通り沿い)

古書ほうろう(千代田線千駄木駅の近くです)

ライブスペース奇聞屋(西荻窪駅の近くです)

フライングブックス(渋谷駅、東急文化会館裏手、渋谷古書センター2F)

古書音羽館(西荻窪駅北口、東京女子大学方面)
*サイトはありません

谷中ボッサ(谷中のカフェ。「声と音の会」でお世話になっています)

よるのひるね(阿佐ケ谷駅の近くです)


*以下の場所を、5月5日(火)に追加しました。

Ben's Cafe(高田馬場駅最寄りのカフェ。イベントやアートの展示などを行っています)

座・高円寺(高円寺駅最寄りの劇場。演劇関係ですが、情報発信のためのカウンターを設置する予定です。トロッタの会の名前で、5か月間、カウンターを確保しました。518日より)


東京音楽大学民族音楽研究所(作曲の甲田潤さん、コントラバスの丹野敏広さんが常勤しています)

*以下の場所を5月7日(木)に追加しました。

Too-ticki(手作りを愛する人のお店です。高円寺北口、あづま通り)

百音 mone(高円寺南口、西友の近く、流れ星の路にあるカフェです)

*以下の場所を5月16日(土)に追加しました。

ミッテンヴァルト(ミッテンヴァルト・レーベルからは、伊福部昭、團伊玖磨、山田一雄、山田耕筰ら邦人作曲家の作品集も発売されています)