『むらさきの』は、吉行理恵さんの詩をもとに、酒井健吉さんが歌曲にされました。詩に注目したについては、酒井さんなりの心の働きがあるのでしょう。面識のない作曲家が、詩を見つけて、音楽にする。詩にとって、ひとつの、かくありたい形だと思います。著作権の問題がありますので、ここで詩を公開できないのは残念ですが、御興味のある方は吉行さんの詩集を御覧ください。
『「大公は死んだ」附 ルネサンス・リュートの為の「鳳舞」』は、トロッタ3で詩唱した詩の、音楽とともに披露する形としては初演になります。田中修一さんの『鳳舞』は、2003年に作曲されていたもので、「大公は死んだ」に添わせる曲として『鳳舞』がよいと判断したのは、田中さんのお考えです。
『NEBBIE』は、前回に続いて登場したFabrizio FESTA氏の、イタリア語による歌曲です。レオナルド・ダ・ヴィンチの文章がもとになった詩というのが興味をひきます。詩を書く者として思うのは、当然のことですが、光景のとらえ方ひとつにしても、自分と他人は違うということ。それが音楽になるのですから、違いはますます広がります。違えば違うほどいいというのが私の基本姿勢です。違いには、人生が反映されているからです。他人の人生を認めたいと思います。
詩歌曲集『恋歌』は、「詩の通信II」で発表された三篇、1号2007年7月27日発表の「夏の歌」、3号8月24日発表の「ゆめ うつつ」、2号8月10日発表の「逢瀬」をもとに、組曲にして橘川琢さんが発表しました。「夏の歌」は、トロッタ3で演奏された橘川さんのピアノ独奏曲『日本の小径(こみち)第一集 〈 瑠璃の雨 〉 』とともに詠みました。『恋歌』は、約一か月後の7月18日(金)、「名フィル サロンコンサート/詩と音楽2008」で再演されました。
『椅子のない映画館』は、初登場となった、清道洋一さんの曲です。神田神保町の喫茶店ミロンガで、清道さんと初めて打ち合わせをした時に、楽曲化することが決まりました。清道さんにふさわしいと思い、用意して提示した詩だったのです。その後、2008年9月28日(日)、谷中ボッサで行われた「声と音の会」vol.4で再演されました。毎回、清道さんが、椅子をテーマにしたオブジェを提示するのが約束事になっています。
『田中未知による歌曲』は、版画家、田中恭吉が“未知”の名義で書いた短詠をもとに、田中修一さんが作曲した作品です。何度も演奏されてよい曲でしょう。恥ずかしながら、田中未知も田中恭吉も、いわれるまで意識にありませんでした。この後、書店に行くと、思いがけず田中恭吉の作品集を目にするようになりました。無知を棚に上げていいますが、違う個性と共同作業をして得ることは多いものです。
室内楽劇『天の川』は、2007年7月22日(日)の「名フィル サロンコンサート/詩と音楽2007」初演に続く、再演です。素直な、誰にもわかりやすい曲で、詩唱も歌も、実に音楽として生かされていると思います。酒井さんがめざす室内楽曲の、ひとつの完成形、典型でしょう。わかりやすいということは、簡単とか安易ということではない。わかりにくいというのは、最も避けなければならない形だと思います。わかってもらえなければ、いったい何のために表現するのか、私はわかりません。
『めぐりあい 夏』に、当初、「夏」という言葉はありませんでした。その後、「冬」篇があり、トロッタ8で「若葉」篇に至るため、分けるために「夏」と名づけました。舞台を同じくしても、編成によって共演できない場合があります。せっかくの機会を生かしたい。全員が合奏できる曲がほしいという考えから、宮﨑文香さんに作曲をお願いし、毎回、異なる作曲家が、その時々の楽器を生かして編曲することにしました。よかったと思っています。
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